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樋口円香と北信旅行

一日目

きっかけはかの全国旅行支援だった。円香のスケジュール的に11月末に決まった。当初は青森なんていいんじゃないか、ちゃんとした旅行だと北海道とか沖縄とか行っちゃうし、青森なんてこういう機会じゃないと行こうと思わないだろう、とか話していたが、agoda (格安旅行予約サイト) で青森の全国旅行支援対象の旅館が残っておらず、じゃあ長野なんてどうですか、と円香が提案し、確かに長野も行ったことないしいいかも、ということで agoda で検索すると 全国旅行支援対象のいい感じの旅館が見つかった。

当日の朝。ダウンを着てきたが、外は割と暖かった。大宮駅の新幹線改札内の待合室をぐるりと見渡すと、秋らしいシックな衣装に身を包んだ円香がストンと椅子に腰を下ろし、スマホをいじっていた。
「円香、おそくなった」
視線を私の方へ一度向け、またスマホに戻る。
「……別に待ってない」
「そうか」
新幹線までまだ10分くらい余裕がある。指定席なのであと5分くらいは待合室で時間を潰してもいいだろう。
「円香、今日の俺の格好どうだ? 円香との旅行だから、結構頑張っておしゃれしてみたんだ」
視線がスマホから再度私に戻り、全身を一瞥すると、
「なんですか、その眼鏡。チャイナマフィアみたい」
「はは……」
紫色のカラーレンズは不評みたいだった。

北陸新幹線あさま635号は割と空いていた。これなら自由席でもよかったかもしれないなとこぼすと、そういう後からケチ臭いこと言うの好きですよねと皮肉られ、返す言葉もなかった。高崎を過ぎたあたりで話題が尽き、私はブルアカを起動し先日追加されたメインストーリーを読みはじめた。窓側に座った円香はスマホで何かを読んでいたが、それに飽きると外の景色を眺めていた。私は連れ去られたアリスがどうなってしまうのか、続きが気になった。

あさま635号を降りるとまず、思ったより寒くないな、ダウンを着てきたのはやはり失敗だったかと思った。それをそのまま口にしようとしたが、先ほど円香に皮肉をいわれたばかりなのでダウンを着てきたのは失敗の部分は口にせずいうと、
「東京とそんなに変わらないんですね、気温」
と円香が天気アプリを見ながら教えてくれた。

ここ長野駅は長野県の県庁所在地である長野市にある。北口から降りて駅を見上げると、金沢駅ほどではないが、京都駅に少し及ばないくらいの迫力があった。

長野駅 善光寺口
意外と立派な駅舎。

長野市はいわゆる北信と呼ばれるエリアにあり、長野県でも北端に位置する。県庁が県の外れにあるのも新鮮だなと思ったが、日本三大アルプスに囲まれる山がちの地形に人が多く住める盆地が限られるのでそういうものなのだろう。今回の旅行プランはとしては、一日目に長野市散策で主に善光寺を観光し参道の旅館で一泊、二日目に栗の名産地である小布施町で栗菓子を堪能し夜は湯田中・渋温泉郷の旅館で一泊、三日目は未定、の二泊三日となっている。三日目は月曜だが、有給を取って万全の体制だ。

少し休んでから観光しようということになり、GoogleMap で見つけた昭和の香りがする純喫茶に入った。時間帯は昼前で、ちょうどモーニングが終わったところだった。惜しかったな、と思っていると円香がまたケチ臭いものを見る目で私を睨んだ。どうやら私の思考パターンは見透かされているらしい。円香はウインナー・ベルベット、私はカフェ・ベルボンを頼んだ。選んだ理由は名前がかっこいいからで、どんなものが出てきるのか楽しみだった。
「あなたが頼んだカフェ・ベルボンですが、シェリー酒が入っているそうです。昼間から酔っ払わないでくださいね。まあ、わたしのも入ってるけど」
「この程度で酔うわけがないだろう」
「そうですか」
「円香こそ、酔っ払っちゃうんじゃないか」
「この程度で酔うわけないでしょう」
「はは……」
それからお互いの近況などを語り合っていると、注文した品が運ばれてきた。

左上 カフェ・ベルボン、右 ウインナー・ベルベット。
三本コーヒーショップにて (2023/05/20 閉店)
閉店を知った時は驚いた。

「おお、美味そうだな! カフェ・ベルボンはホットなのにグラスなんだな。それに周りになにか付いてる。砂糖?」
「砂糖じゃないでしょうか。ホットにグラスって珍しいですね」
「確かに」
真っ白なレアチーズケーキにはワインレッドのベリーソースがかかっており、その白さを引き立てていた。私は松屋でも料理の写真を撮るタイプで、今回5枚ほど撮った。円香は1枚だけ撮ると、早速ウインナー・ベルベットに一口付ける。
「どうだ?」
「甘酸っぱくて、美味しいです。生クリームの上にオレンジピールがのってるみたい」
相槌を打ち、私もカフェ・ベルボンを口に運んだ。グラスの縁についた結晶を唇の内側の粘膜で舐め取る。甘い。やはり砂糖だった。一口含ませ、飲み込む。酸味が強く、アルコールの香りも相まってさらにすっぱく感じた。
「結構すっぱいけど、なかなかいけるな」
「ふーん……」
その後、斜め向かいに座っていた坊主と劇作家たして二で割ってヤクザを足したような老人に話しかけられた。身長が二メートル弱あるらしい。職業を聞かれ、IT関係です。と話すと、
「ああ、おらあ最近のそういうのよくわかんねえけど、この携帯とか、パソコンとかつかうんだろ。すごいよなあ、今の時代、これさえあれば、外出ないだって映画もみれるし顔見せて電話もできるしなあ。でもこれはあれだろ? 電気がなくなったらなんもできないだろ? やっぱそうだよなあ。でもそうか。ITか。ITの仕事ってことは、一日中机の前に縛り付けられて、こう……やってるんだろ? 可哀想に、呪われてるようなもんだ。本当に可哀想だ。そんなのは人間のすることじゃあない。辞めた方がいい。そうだなあ、あんちゃんは派手好きみたいだから、芸事が向いてるかもな。赤坂のバーテンをやりながら、演劇でもやったらいい。中条きよしって知ってっか? あんな感じがいいな。ねえちゃんはえらいべっぴんさんだけど、女優かなにかかい? アイドル? ああそりゃあ結構なこった。ねえちゃんはいい声してるし、このまま続けていけば絶対でっかくなるぞ」
別れ際にその腰の曲がった大男は、またどっかで会うことになるな、俺にはわかる。と言って去っていった。

善光寺に着くと、そこそこの人で賑わっていた。
せっかくだから記念に、と通行人に頼んで写真を撮ってもらった。

善光寺前にて、円香と。
左のおば様方が何かに注目している。

「なかなか良く撮れているじゃないか」
「そうですね」
それから善光寺本堂を見学し、去り際、日光さる軍団が芸を披露していたので観覧した。
「調教師とあの猿、息ぴったりですね。どうやってああもタイミングが完璧なんでしょう」
「おそらく何度も同じ流れをトレーニングをしているんだろう」
「そうなんですか」
「いや、わからんが。しかし、ああ紐に繋がれて、どんな気持ちなんだろうな」
「さあ」
「俺だったら、辛いな」
「共感性が高いんですね。‪……そうやって、ひとりでわかった気持ちになって同情して、勝手だとは思わないの」
「はは……」
「それに、今のあなたも同じような状況だと思いますが。首に紐は繋がれていないけど、あなたは三日後には会社ヘ向かわなければならない。月末の支払いや、社会的信用のため。今の生活を捨てるまでの覚悟はない。それで、今のあなたはそこそこ幸せなんじゃないですか。だったら、あの猿も同じでは?」

今夜泊まる宿にチェックインした。善光寺の参道にある旅館で、増改築を重ねたのか、随分と複雑な作りをしていた。夕食は部屋まで運んでくれるらしい。女将に何かいい日本酒はないかなと聞くと辛口と甘口どっちが良いか聞かれたので、辛口でといった。円香が神妙な顔をしていたので、辛口苦手だったかと聞くと「いえ、そんなことは」とそっけなく返された。

二日目

光が眩しい。もう朝か。目を開けると、白い天井。そこは住み慣れた私のアパートだった。白を基調にしてインテリアを揃えているせいもあって、朝日がよく反射して勝手に目が覚めてしまう。いい夢を見ていた。そんな気がする。とても幸せな夢。いまはただ喪失感が残った。なにか大切なことを忘れているような。体を右向きに寝返りを打つと、樋口円香の抱き枕が横たわっていた。正確には、樋口円香の等身大の抱き枕カバーを被せた抱き枕。薄いマットレスからも掛け布団からもはみ出して横たわっているそれを毎晩寝る時には一緒の布団に入れ抱きしめながら寝るのだが、朝起きるといつもこうなっている。
「おはよう、円香」
当然返事はない。悲しいことだ。あー、仕事行かなきゃ。クリーム色のフローリングの上に直接敷いたシングルサイズのマットレスは、大学3年の時に卒業した一つ上の先輩から譲り受けたもので、肘を立てると底をつき少し痛い。起きるか、いや、もう少し寝ていよう。家を出る時間まではまだ余裕はある。もう少し、夢の続きを……。

「では、悪夢とは逆に、幸せな夢を見たとしたら……どうです?」
「夢と現実、樋口さんなら、どちらを選びますか?」
「…………」
「できれば、さっさと起きたいですね」
「私が願っても願わなくても、夢は覚めるものなので」
「幸せな夢の中にずっと……とは思わない?」
「……そうですね、そう思ってしまう前に」

bug‪ ‪‪‪——‬【バグ・ル】樋口 円香
THE IDOLM@STER SHINY COLORS‪‬

目を覚ますと、薄暗い茶色い天井が見えた。古い旅館の和風建築の例に漏れず、天井には木の板が張っており、祖母の家を思い出した。隣からはリズミカルな寝息が聞こえてくる。左に寝返りを打つと、円香の寝顔があった。障子窓の淡い光に照らされて、絹のように柔らかい頬を照らしていた。悪夢、を見ていた。とても現実的な悪夢。ともすれば、いまのほうが夢で、次の瞬間には円香の存在も旅行に来た事実も崩れ去ってしまう気がした。その感覚は、円香の声を聞いた途端に消え去った。
「んあ……おはよう、ございます」
「おはよう、円香」
「顔を洗ってきます」朝の身支度を整えると朝食を食べに旅館の食堂へ行った。朝は部屋までは運んでくれないらしい。山菜や焼きしゃけ(さっぱりした和食はやはり朝の胃に優しい)をぱくぱくとつまみながら、今日の予定について話していた。「今日は……小布施町まで行ってモンブランを食べるんでしたっけ」
「ああ、栗が名産らしいからな。他にも酒造場とかもあるらしい」
「酒造……日本酒?」
「多分」

長野電鉄長野線小布施駅の前は閑散としていたが、10分ほど歩いた先にある土産物屋や洋菓子店、蕎麦屋などが集まった通り(後で調べたら谷街道というらしい)にはそこそこの人が歩いていた。見た感じ皆観光客のようで、歩いていると観光バスのロータリーや大規模な駐車場が見えた。半数以上の観光客は自家用車や観光バスで来ているのだと理解した。予定していたモンブランの店は既に今日分の予約が埋まっていた。Webで調べても予約のシステムが不明だったので店員に尋ねると、オンラインや電話での予約は行なっておらず当日の朝に整理券を配って無くなり次第受付終了らしい。円香と顔を見合わせ、どうすると聞くと、ここじゃなくても、近くにモンブランを売ってる店くらいあるでしょとスマホで調べ始めた。ここ、いいんじゃない。円香が示した画面には「桜井甘精堂 栗の木テラス 小布施店」と書かれており確実に栗菓子が売っていそうだった。

店内は奥に長い長方形の間取りで、入り口を入ってすぐは土産用の売り場、奥に進むとアンティークなカフェとなっていた。入り口付近は丁寧に包装されたお菓子やショーケースに並んだケーキを眺める客で所狭しといった具合だったが、案内された丸テーブルの席は静かで、照明も優しい暖色で落ち着いた雰囲気だった。いい雰囲気だなと呟くと、円香はゆっくりと瞼を閉じて「ん」とだけ発し、瞼を開くとメニューに目を落とした。
「やっぱりモンブランか」
「はい。あとこの栗の紅茶が気になります」
「確かに気になるな」
私と円香で栗のモンブランと栗の紅茶のセットを二つ注文した。

モンブラン、栗の紅茶
桜井甘精堂 栗の木テラス 小布施店 にて

モンブランは渋味ある甘さで、美味しいなと頷き合った。栗の紅茶はほのかに栗の香りがした。
名産の栗を使用したモンブランを食べて満足し、隣にあった酒造場へ行て角打ちで日本酒を飲み比べした後、私と円香は、この日の宿がある長野電鉄長野線の下り終着駅である湯田中駅に向かった。
田舎の長閑な景色を映す車窓に軽く顔を向けて眺めている円香の横顔は、なんとも儚げで美しかった。彼女の顔は基本的に都会的なのだが、意外にも田舎とも相性が良いことを発見し、またひとつ円香の別の側面を知れた喜びに感極まっていた。

湯田中駅に到着し駅を出ると肌寒さが目立った。鈍色の空。冬に入りかけの温泉街。ようこそ、湯田中渋温泉へというアーチがかかった橋を渡って大きな川を渡り、宿に荷物を置きに行った。あるいて30分のところにある渋温泉が、千と千尋の神隠しのような旅館があるとのことだったので、円香と向かった。

渋温泉 金具屋 斉月楼
渋温泉 金具屋 斉月楼にて、円香と。

三日目

昨日行けなかった当日整理券制の朱雀モンブランを食べに行くことになった。早朝からいけば食べられるだろう。

朱雀モンブラン ‪——‬小布施堂 モンブラン朱雀専門店「えんとつ」にて
朱雀モンブラン、円香と。

新幹線に乗り、東京へ帰る。大宮で降り、乗り換え駅の新宿でふと一旦降りた。円香は疲れたのでと京王線へ乗って帰っていった。私は一人、新宿歌舞伎町のTOHOシネマズ前、ゴジラがのぞいている真下にある広場、通称トー横界隈を見に行った。髪を染めたホスト風青年たちと地雷系ファッションに身を包んだ少女たちが立ち話をしていた。5分ほど眺めていると、じわじわと疎外感を覚え、居た堪れなくなって帰宅した。


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