平埜生成さんWS。

平埜生成さん開催の、実験的演劇ワークショップに参加してきました。未だに左手に握った/握られた感覚が残っていて、それがすごく、心地いい。あれだけで少し手が痛くなっているので、アイドルの握手会終わった後って相当なんだろうなーー。


自分の身体の状態に目を向けること、その場にいる人たちの様子を観察すること、その空間を感じること(音や光、床や壁とか)、そういうことを意識して過ごす時間って、なかなか意識しないと取れない現代。まずは、こういう時間を大切だと思っている人がいるということ、それを楽しめる人がいるということ、そしてこの豊かさを発信して広めようとしている人がいることが、本当に嬉しい。


人と人が出会って、コミュニケーションが生まれて、何かを伝えようとして、受け取ろうとして、その時に私たちの身体や心には何が起きているのか。

普段無意識に過ぎていってしまう一つ一つを掬い取って、少し引いたところから眺めつつも、その楽しさ・面白さを再発見する。そんな時間だったような気がします。

以下、参加した人にだけ(いや自分にだけ?)分かるメモ、みたいになってしまったように気がするけど、せっかくなので載せておきます。長いです。

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方向音痴の自負があるので、早めに出発したらうっかり早く着きすぎてしまいました。というわけであの場が出来上がっていく最初から見届けることができたわけだけれど、

「1対1」から3人…4人…5人…と人が増えていくにつれて、場の空気感が緊張!!!へと変わっていって、それがもぞもぞしながらも面白かった。


そうしてワークショップが始まって、生成さんのお話の後、まずは身体をあたためてほぐすところから。全身という全身を自分の手でこすって、体を温める!私末端冷え性なのですが、本当にどんどん身体があたたまってきて、「これ家でもやろー」となりました。普段、自分の身体の形を感じることってあまりないので、いいな、と。自分で自分の存在を確かめられるというか、ここに、私の身体がこうやってあります!と宣言しているような感じ。

始めにそうやって自分の身体の方へと意識が向いてからだと、ただ「歩く」ということでも、自分の身体の状態を感じやすくなるのかも。

足裏で床の冷たさを感じたり、鏡に映る、相変わらずの内股な歩き方とか、他の参加者の方の姿勢の良さとか、面白かったです。

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生成さんも言っていたけど、自己紹介の時間の前後で空気感がまるで違ったなあ。全体でまとめて自己紹介なんじゃなくて、全員と少しずつでも1対1でお話しできたのが良かった。それこそ、「私」と「あなた」の関係性をちゃんと築くことができたというか。ただただお互いの目を見ながら、互いに関心を持ちながらコミュニケーションを取った、その時間がグッと距離を縮めたように思う。もちろん相手についての情報(何してる人、とか)を知って安心、というのもあるんだろうけど、私は正直一度に人の名前やお話を覚えきれないので、「目を見て話したよ」という実感が私を安心させたような気がする。


そしてそこから、(というかずっとではあるけど)人に何かを伝える・渡そうとする・届けようとすること、に重きが置かれた時間だったように思うのだけど、言葉の中身じゃなくて、ただそれを渡そうとする、というのが面白いなあと!

例えば、自分の名前を相手に伝える時は、「ひなた」に自己紹介の意味を勝手に乗せていて、「私はこういう者です」って名刺交換をしているような感覚があったけど、名前を交換して、自分じゃない名前を渡していくとなると、それが途端に「モノ」化・記号化するというか、相手に渡すという行為をするためのモノ・道具になったような感覚がありました。

また、「私はあなたに話があります」って言葉はなかなか絶妙な含みを持っていて。実際にあなたに話があるわけじゃないけど、すごく相手に関心を向ける言葉だし、何かドラマが始まりそうな、言葉を発するこちら側が勝手に意味を持たせたくなるような文でもあって。

人によって伝え方が違って、それがすごく面白いし、その人が現れるところだなあ、と。役者さんはやっぱりバリエーションが豊かだし、別の角度から投げてみよう、と楽しんでる感じがあったのも興味深かった。私はというと、色々なバリエーションを試すというよりは、「相手に届ける!コミュニケーションをする!」ということに気持ちが向いていた気がします。たぶん日頃から私自身のスタンスに「相手にちゃんと届くように言葉を渡したい」という節があり、「私はあなたに話があります」というある種の重たさを持った言葉を、「相手にしっかり届けよう」と思わずにはいられなかったというか。本当に人によって違うなあと、楽しかったです。

そして、そうやって何かを人に届けようとするときの身体の在り方!自然とその人の方を向くし、身振り手振りも勝手についてくるし、距離に応じて身体の使い方も声の飛ばし方も変わるし、邪魔が入った時はそれを飛び越そうとするし、座ったら・寝転がったら、全部変わるし、でも相手に届けようとしたらその人の方をやっぱり見るんだよなあとか、視線が使えなくなった途端に難しくなるなあとか、目を閉じると声の方向を聞こうと耳が敏感になるなあとか、とにかくいろーんなことが起きていた!!!


特に背中を合わせていた時間が印象に残っていて、3人(ちょっとだけ4人)でやっていたので、目線がないと流石に誰へ言葉を投げようとしてるのか完全には分からず。そして「次誰が話すよ!」の空気の読みあいも、誰が誰にどうやって言葉を投げるのかも、全身を使って感じ取るぞ、という思いで、その状態とか、感覚とか、とても面白かった。あえて鏡は見ませんでした。目を見なくとも、言葉に意味がこもってなくても、人はコミュニケーションを取れるし、一緒に遊ぶことができるんだなあと思った。


一人一人、何を感じてたんだろうなあ。言葉(音・イントネーションとか)に重きを置く人、身体の状態を気にしていた人、自分に意識を向けていた人、周りの様子に注意していた人、きっとそれぞれだったのだろうし、それを聞いてみたかったなあ~。でもみなさん、人と関わること・コミュニケーションを取ることに積極的な方たちが集まっていたような気がします。

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最後のワークで、音が流れて光が変わるだけで、急にスタジオが舞台になったように思えて、演劇を観てるみたいで、不思議だった。

人が人に何かを伝えようとする、コミュニケーションが起きる、演劇ってただそれだけのことなのかもしれない。


いやあ、なんて豊かで楽しいことなんだろうか



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長々と、支離滅裂に書いてしまいました。へへ。

出会って数十分しか経ってない人達が、自然と抱き合ったり耳打ちしたりしてるの、魔法みたいだったなあと思います。ほわんとしながらもまっすぐな、今回の参加メンバー8人の誰が違ってもこうはならないんだろうなっていう空気感が、すごく好きでした。


最後になりますが、このワークショップがもっともっと広がっていて、身体を感じて人を感じて、という時間そのものが広がっていて、義務教育にも取り入れられて、世界に根付いて、みんなが少しずつ自分や人に優しくなれる、そんな未来に少しずつ近づいていけますように!

私も精進します。

生成さん、参加者のみなさん、豊かな時間をありがとうございました!

またどこかで再会しましょうね!


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