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オーストラリアに移住するきっかけとなった景色


「2002年、オーストラリアに移住しました」

わかりやすいのでこのように説明することが多いのですが、来豪当初、我々のビザは「ワーキングホリデー」でした。

ワーキングホリデーとは、簡単にいうと

協定を結んだ国同士の若者(だいたい30歳くらいまで)が、自国以外でも滞在中に働くことができる観光用の一年間のビザ。

ですからはじめは、「人生の1ページを、ちょっと海外で過ごしてみようか」程度の気持ちで飛行機に乗りました。


もともと私は英語アレルギーだったし、海外には全く興味がなくて、

「海外の前に日本全国を回るべきじゃないの?」と言いながら、別に旅行はそこまで好きじゃない若者でした。


夫が、

「私と付き合って、前を向いた行動をしたくなった」

と言って短期の語学留学に出かけ、

帰ってきて就職し、結婚をしたら

「夫婦で海外生活を経験すれば、もっと人生の勉強になると思う」

と言うものだから、さすがの私も前向きな行動には共感をしました。

また、一人じゃなくて夫婦だったら心強いという打算もありました。

まあ若くして結婚したのは、二人でそういう身軽なことが大手を振ってできるからだったし、数年海外で過ごしたとしても、私はまだ二十代。

なんとかなるでしょ。

就職氷河期世代だったのに、お気楽なものでした。


インターンシップの会社が斡旋してくれた夫の職場は、まだできたばかりの小さな会社で、数ヶ月働いたころに研修期間後の正式採用を打診されました。

まだお互いがそれぞれのカルチャーインターンシップ研修期間の途中、私が夫の職場まで、飛行機で2時間ほどかけて遊びに行ったことがありました。

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その時に、夫の職場からのこんな景色を見ながら

「ここに残って働かないかと言われている。」

と夫が言いました。

手前からフェンスのあたりまでが会社の敷地。その向こうには放牧された牛や馬が草を食んでいました。

こんな牧歌的な景色を前に、私たちは、まだここに居てもいいよと思われているんだ、と嬉しくなりました。

また、始まったばかりの会社を大きくするお手伝いができるなんて、日本でも滅多にありません。

「こんなチャンスはなかなかないから、やってみようよ」

と私もワクワクしました。

それはランチタイムで、私たちは地元で人気の「ビーフパイ」を頬張っていました。


この頃はまだ、ハイウェイには家用のペンキで塗り直したオンボロと言ってもよい車がジャンジャン走っていて、住宅価格も日本で1000万円ほどあれば、少し田舎の一戸建てが買えるような時代でした(私たちが暮らした田舎は、基本的に一戸建てしかなかったのですが… そして、当時私たちに住宅を買う余裕はありませんでしたが)。
スーパーには実用第一な商品ばかりでした。ちょっとしゃれた可愛いものなんて、全然見かけませんでした。

しかし、それが逆に私の気持ちを楽にしてくれました。

見栄を張らなくてもいいよ。

のんびりやっていこうよ。

と言われているような感じがしていました。

シドニーやブリスベンといった都会では、若者がおしゃれなものを求めている雰囲気はありましたが、田舎ではそんなことを気にしなくても暮らせそうな空気でした。

英語は苦手だけど、「やっていけるかも」と思わせてくれました。


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noteが先日7周年を迎えられたそうです。

おめでとうございます!

今日は私の連続投稿が100日目でもあるので、オーストラリアで暮らすことになった、印象的な景色をご紹介しました。

これからも、よろしくお願いいたします。

#note7周年

ご覧いただきましてありがとうございます♪