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都合の良い「見守る」

先週、
長女と一緒に心療内科を受診してきました。

長女と一緒に診察室に入り、
先生に
「お母さん、困っていることはありますか?」と聞かれて、
昼夜逆転は気になっているけど、それを本人が困っている様子がないこと、本人なりの楽しみを見つけている点では、安心している面もあります。昼夜逆転がこのままでよいのか..ということは気になっています。

と答え、私は退室。
(長女の前で、困っていることを正直に話すことって難しい..)

しばらく、
先生と長女の2人で話をしていました。


次に私が呼ばれて、
長女は退室。


先生に
「結論から言いますと、昼夜逆転はなおすべきで、食事はきちんととりましょう。子ども任せではいけません」
と。
人は本来朝起きて活動して、夜は寝る、このままでは成長がとまってしまうことなど、コンコンと話をされました。

はじめは、
はい。はい。と聞いていたのだけど、
あまりにも一方的で、それが自分を否定されている(これは、私の解釈なのだけど)ようで、フツフツと悲しみのような、悔しさのような、怒りのようなものが込み上げてきて、

ついには、
診察室で号泣してしまいました。

先生が言われている内容は分かるし、
理解もできる。
でも、
こちらにも、ここに至るまでの経緯がある…。


アレルギーもあり、食事にはこれまで気をつけてきた方だと思っていること。でも、制限しすぎていたと感じる時期もあり、その反動とも感じられていたこと。

生活リズムについては、これまで大きく崩れることはなくて、気をつけてきたこと

涙が止まらず、無表情無気力だった時期があったため、今の状況をものすごく否定的には捉えられなかったこと

家が安心できる居場所であるよう、配慮してきたつもりであること

目的もなく、朝起こすことに私が虚しさを感じるようになっていたこと…

涙がとまってから、1つ1つお伝えしていきました。


経緯をすっ飛ばして、
正論であろうことを次々に言われ、
泣きすぎて、ぼーっとしている頭の中で
(ここに、受診しなければよかった)
そんなことさえ思っていました。


診察室から出てきて、
明らかに泣いた後の顔を見て
長女は何を感じただろう



帰宅する車の中でも、
また、泣けてきたのだけど、
色々な感情を1つ1つ感じている中で、

でも、最近、
見守るというより、放任になっていたかもしれない..
という思いも出てきていました。


スクールカウンセラーや先生に、受診をすすめられてから、
長女とどう関わっていいのか分からなくなっていました。

(うちの子、
 精神科を受診するくらいの状況なの…。)

これまでの私の関わりがよくなかったのかもしれない..
下手な対応をしてはいけない..

自己正当化しながら、
親の責任を放棄しそうになっていた
と振り返り。


都合よく
「子どもたちを見守っている」
を使っていたのかもしれない。。


ぎゅっと縮こまっていた私を
動き出すきっかけをくれたようで、

眠りにつく頃には、
悲しみや怒りが、
『先生のおかげで』
に変わっているのを感じました






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