価値と価格について

(2023/7/2追記・修正)
お金について以前考えた。前回は書き損ねたが、それの追加事項についても書こうと思う。

お金という価値の代替

どこかでお金のはじまりは物々交換で、だんだんとそれが通貨に置き換えられたと聞いた。野菜を作る農家と魚を釣る漁師はお互い自分しかできないことをしていて自分が持たないものを持っている。もちろん、一人でいろんな仕事を兼ねることはできるが、全部をするのは現実的でない。生活を豊かにするためには協力する必要がある。
そのうち、通貨という物の価値を示すだけのものができた。これ自体に固有の価値は無い。しかし、“通貨に価値がある”と多くの人が認めることにより、それは価値があるとされる。そして、逆に通貨の多寡により、物の価値が決められるようになってきた。これについては後述する。
はじめは生活に必要なものだけが通貨で交換されていただろうが、だんだんとほぼすべてのものが“商品化”されることになった。”商品化”されていないものは人の本心くらいだろうか。

相対的な価値

”商品化”により物の価値が通貨の価値で決まるという逆の過程をたどることになった。
価格というのは相対的である。需要と供給で、需要の方が多ければ値段は上がり、供給の方が多ければ値段は下がる。

市場価格は,このようにして需要量と供給量が一致する点に近づいていきます。 需要量と供給量が一致したときの価格(上のグラフのP円)を「均衡価格」といいます。

【経済】 「価格と需要・供給の関係」のグラフの見方|中学生からの質問(社会)

一般の市場では需要と供給が一致した均衡価格を目指すのが良いが、特殊な業界ではそれが一概に成り立たないこともある。
私の個人的なイメージでは、美術系と性産業はその色が濃いと思っている。

美術系というのは、よく絵画で高い値段がつけられているのを疑問に思ったからである。バンクシーなどである。

上の記事によると、絵画の値段を決める要素は
・希少性
・知名度
・投資家
であるという。希少性は言葉通り、作者や作品数などについて珍しいという意味である。知名度は作者の知名度である。投資家というのは購入者が無名のアーティストに将来の価値を見込んで投資するという意味のようである。
この投資家については、以下の論文が関連しているように思える。

『名画か駄作かに関わりなく,経済的価値観の高い者は絵画に対する美的評価を高くしがちであり,一方の経済的価値観の低い者は絵画に対する美的評価を低くしがちであると考えられる.』
『美大生は美術教育を通し,絵画を学ぶ機会が多く,それ故名画の価格も
知る機会が多いと推察される.芸術家の創造する作品は経済的な価値で表すことができるため[17].美大生は美術教育を通じ,名画の価格と経済的な価値との関連を学ぶ経験・学習を得ているといえよう.』
『美大生は長期的なスパンで芸術活動を行うため,こうした「何年かすると駄作の価格が上がる」という長期的な視点で絵画鑑賞を行うのかもしれない.これは,経済的価値観には長期的な損得判断が含まれており[19]さらに経済的価値観を重視する者は長期的な視点に重きを置く可能性が考えられる.そのため,美大生の中でも経済的価値観を重視する者は,長期的な損得判断という視点[19]から.現在は価格が低い駄作であったとしても,これらに対する美的評価を高く行ったと推察される.』

美大生は経済的価値観という視点から絵画に対する美的評価を行うか:名画と駄作を用いた検討

引用が長くなったが、要するに、
・経済的価値観を重視する人は名画でも駄作でも高く評価する
・名画を高く評価するのは教育により名画の値段を知っているから
・駄作も高く評価するのは、長期的に見て高くなる可能性があるから
ということであろう。
これは美大生だけでなく、投資をするコレクターにも当てはまると思う。コレクターにも様々な人がいるだろうが、名画を見ている可能性が高い。従って、同じことが当てはまるだろう。

これらは絵画に絶対的な価値があるわけではないという事を表していると思う。そして、極端なことを言えば、作者も値段も示されていなければ、100円の絵画にすら1億円を出す人もいるかもしれない。贋作か真作かどうかすら判断できないかもしれない。
すなわち、物の価値はその人がお金を出したいかによるだろう。それは絶対的な理由が無くても構わない。

もう一つの性産業については、価値なんて測れないであろう、人間の尊厳や性的価値というものをはした金でやりとりする風俗やパパ活などである。
先に断っておくが、私はこれらの産業を肯定も否定もしていない。ただ、もったいないとは思う。
パパ活は若さとお金のやりとりで、風俗はカラダとお金のやり取りだろう。これだけでは浅く、実際には対人スキルもかかわるだろうが、オプションという事にしておいた。
しかし、若さや性の価値など測れるだろうか。処女厨などという言葉もあるらしいが、処女(性交渉の経験がない)にも価値があるらしい。
個人的な偏見で価値があるとみなされている点をまとめた。
・容姿、スタイル
・年齢(若さ)
・テクニック
・処女?
・コミュニケーション能力
・頭の良さ、教養
などだろう。
頭の良さ、教養というのは遊郭やパパ活の漫画で見たことを参考にしている。聡明な子にお金をかけたい男性もいるらしい。花魁が相手する男性は社会的地位が高い人も多かったようなので、その話についていけるだけの教養がないと上にいけないということであった。
と綴ったものの、これらに付加価値があると言ったところで、いわゆる“安い女”に価値がないわけでない。人の価値は多義だと思うので、男にとっての価値がすべてではない。さらにそれらに値段をつけること自体も失礼だとは思う。しかし、特殊だとは言っても誰かが「これは○○円」と言ったら値段が付きそれがだんだんと相場を形成していくのが市場社会である。

以上のように、価値につけられる価格というのは相対的で恣意的なものである。誰かがゴミにも「価値がある」と言えば、高い価格でやりとりされ、尊いものに「価値がない」と言えば、安い価格でやりとりされてしまう。
それは軽薄に見える一方で、違う見方もできる。すべてのもので商売ができるという楽観的な見方である。そのおかげでライブなど、物に限らない多様な商売が出てきたと考えている。

性の価値を利用する売春(2023/7/2追記・修正)

最近売春をする人について考えていたが、売春とは性への需要を最大限に理解して有効利用する方法だと思っている。ある意味で、性という価値を細かく刻んでそれを配っているように感じる。それが有限だからかはわからないが、大体30代あるいは40代で限界が来ることを感覚で知っている。
使い方の程度は人によるが、賢い使い方としては、生活費や学費、娯楽費などを出してくれる“カモ”を見つけて付かず離れずの関係でうまく恋愛感情を続かせて、関係を継続するというのがあるだろう。付かず離れずの関係というのは、本当に嫌なこと(本番行為や婚姻など)をのらりくらりとかわしながら、多少のご褒美(手つなぎ、甘い言葉など)をあげる関係と考えている。これは売春や援助交際について取り上げた記事や漫画を参考にして想像したことであるので、合っていないかもしれない。

実際に記事を読んでみると、うまく使っているというよりはそうするしかないという人もやはりいるようである。

頂き女子は巧みにパパの庇護欲をかき立て、ときには対面すらせずに数十万円単位でカネを引っ張るケースもあるが、標的となるのは主にミドル年収層のパパたちだ。

「年収400万~700万円程度の、貯金はあるが寂しい独身男性が頂き女子にカモられやすい。このコには俺しかいない、助けてあげなきゃと思い込み、助けた見返りとして自分のことを好きになってくれるのでは……と淡い期待を抱くも、搾り尽くされた末に関係を切られるパターンがほとんど」

コロナ禍で激変するパパ活。若さを売る女性と疑似恋愛したいおじさんの“値切り合戦”に

しかし、こちらの記事ではパパ活について取り上げられており、パパ活はうまく使うタイプもいるようである。“貯金はあるが寂しい独身男性”という寂しさを持て余した格好の客に、戦略を駆使してお金を搾り尽くす様は有能なマーケターのようにも感じられる。

記事で言及されていたが、パパ活は比較的余裕がある人の小遣い稼ぎ、風俗は貧困の人の稼ぐ手段のように見ることができると思う。
内容的にも、パパ活は食事のみなどライトな関係が多いが、メンエスや風俗まで行くと本番行為まで入りやすい。本番行為じゃなくとも手淫などでも恋人に罪悪感を感じやすいらしい。割り切っているらしいが。

風俗で働く理由は学費などの生活に欠かせない費用だけでなく、ホストに貢ぐための費用を稼ぐためというのも最近は耳にする。ホス狂いである。
ホストの売掛で前借した分を返すために手っ取り早く稼げる風俗で働くという道をホスト自身も勧めているケースも少なくないだろう。
売掛は返済不要なケースもあるらしい。以下のサイトを参考にしていただきたい。

性の価値を切り売りすることがいいことかどうかはわからない。しかし、偏見かもしれないが、夜職やパパ活、援助交際をしていた人は悲しい末路をたどることが多いように感じる。大体が普通の恋愛で満足できないケースだと考えられる。

男女を逆にしても成立すると思う。ホストだとしても、割り切れない人は多いだろう。これについては追記する可能性がある。

販売戦略

より人間の感じる価値の本質に迫っていくために価格設定の記事を紹介する。

要点のみをまとめると、以下のようになる。
おとりとなるパッケージやプランを、あなたが本当に選んで欲しいオプションの隣に追加しましょう。
9で終わる数字とセールという表示が有効
まずは高い数値を提案しましょう。選択肢の中に非常に高い製品を追加するのです(あなたが本当に売ろうとするものでなくとも)。あなたの製品(もしくはサービス)の最終的な価格が交渉のすえに決まるのであれば、まずは高い数字から始めましょう。価格競争に巻き込まれているのであれば、価格を告げる前に、他社がどのくらいの金額を提案するのかを明らかにしておきましょう。
・自身のポジショニングを考慮し、価格をそれに沿ったものに設定できるか検討しましょう。現状、複数のプランを提供している場合、実験的にシングルプランを提供してみましょう。
望むだけ支払う方式が成功する場合、下記の特徴が必要である
●限界費用が低い製品
公平な考えを持つ顧客
●幅広い価格で売られることが受け入れられる製品
●買い手と売り手の強い関係性
●競合性の高い市場
3つのパッケージを提供し、本当に売りたいものがある場合は、その製品の価格が真ん中になるように設定しましょう。
市場価格以上の値段を設定したいのであれば、競合を見ましょう。彼らはどのように製品を提供しているのか、ユーザー体験はどのようなものか、そして、それらを変化させるのです。あなたが提供するものが新しいカテゴリーであると見られれば、人々はより多くの金額を払うでしょう。
その一方、競合よりも低い値段で提供することで利益を得ているのであれば、それは素晴らしいことです。彼らの基準点を活用し、あなたは勝利を手にしているのですから。
・一見すると余分と感じる豪華さに投資しましょう。Webデザインやパッケージに「高価な」と記載するのです。

要点のみとは言ったが、かなり長くなった。元記事はそれぞれについて実験などを通してこれらの結論を導いている。それぞれ非常に興味深いので、一読してみるといい。
このように言うと、マーケティングの方法を示しているように見えるが、ここから言いたいのは、こういった理論があるぐらいに人間の価格設定は思い込みに左右されやすいということである。

まとめ

価値というのは相対的であり、恣意的なものである。人ですら“商品化”され、様々な巧みな販売戦略が蔓延る中、私たちは自らの需要を理解し、賢く利用していくことが良いのか、それとも自らの価値はプライスレスと言い、限られた人(信用できると認めた人など)にのみアクセスできるようにするのが良いのか、それとも他の在り方があるのか、私にはまだわからない。
変わりにくいものに価値があるとされる。例えば金などである。しかし、人間や物は劣化が早く、流行り廃れがある。見方によっては、最高時価で大量に売るのも賢い生き方かもしれない。
そして、生きていることを至高とすれば、自分の価値を見極め適切に売るのも生存戦略かもしれない。うまく利用すれば、誰かの生涯年収を超える額も稼げるのかもしれない。その是非はわからないが。
すべてを無に帰すことだが、個人スケールで見れば価値があることも宇宙スケールで見れば限りなく0に近くなることも多い。今日偉大なことも宇宙スケールで見ればちっぽけなものである。1000年前に貴重なものは今日には取るに足らない。規模・時代・解釈で物の価値は変わる。
人間から見れば、変わりゆく時代の中で、その時々で最高な選択肢を選び、最高な時期に最高な戦略で売ることがこれから大事になってくるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?