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ボーイスカウトと富士登山②

※2023年7月にOFUSEにて配信されたコラムを編集し再掲したものです。


親愛なる友だちへ、ひねもです。


そんなこんなで山中湖畔で野営が始まった。

(前回の記事はこちら)

たしか3日目に富士登山だった。気がする。

(なにせ四半世紀以上前の記憶なので不確かな箇所が多々ありますがご勘弁を)


サブタイトルは”御来光〜それは僕が見れなかった光〜“


ちなみに皆さんはキャンプをしたことがあるでしょうか?

キャンプじゃなくても酔っ払って終電を逃して駅のベンチで寝た、公園で寝た、漫画喫茶で寝た、カラオケで寝た、、、

そういった経験があればわかると思いますが、自宅と全く異なる環境で眠るというのはなかなか大変な事で熟睡はできない。

ボーイスカウトのテントはそれなりに広いですが6〜8人くらいで寝るから個人スペースはかなり狭い。

自分の陣地は寝袋に包まった分だけ。

手足を広げるなんて不可能。

起きたら起きたで炊事からオリエンテーションまでやる事は山積み。

子どもですが当然ながら疲れは蓄積する。

そんな3日目に野営地から登山に出かけたのです。



まず大変だったのが飲み水を沸かして作ること。

生水は危険なので、汲んだ水を煮沸消毒するのです。

ちなみにスカウト活動に水筒という道具は無かった。


当時は”携帯用ミニポリタンク”を使っていた。

こんな感じのやつ

こういったポリタンクに飲み水を入れて活動していた。

保冷保温とは無縁の世界。


とにかく2リットルの飲み水を確保することからスタートするのです。

これが大変で。

水自体は離れた場所にある水道から汲めますが沸かすのが一苦労。

前回にも書いたが火起こしと炎の維持がめちゃくちゃ難しい。

6人分12リットルもの水を沸かすとなると薪がたくさん必要なわけです。

(この量は家庭で普通のコンロで沸かしてもまぁまぁ大変だと思う)

出発時間までにこのミッションをクリアして、なおかつ炭の始末までするという。

だいぶ厳しい条件。

しかし、やらなければ“水無しで登山だ!”って恐怖感でいっぱい。

このときは立ちかまどは作成していなかったので、焚き火に直に鍋を放り込んでるみたいな荒い沸かし方。

なので灰とか木屑とかガンガン入るわけです。

濾す時間も道具も無く。

前日から少しずつ準備を始めたのか朝早起きしたのかまでは忘れてしまったが時間までに全員分の飲み水を確保できた。

当時の班長はとても優秀な人だったのだと今更ながら思う。

大事な水をリュックサックに入れて集合場所に向かう。

すると他の班は間に合ってないとこもあるわけです。

通常の登山なら自業自得でそのまま進行していたかもしれない。

しかし、さすがに富士登山に水無しはヤバいという判断になったのか、間に合わなかった子たちにはペットボトルの水が支給された。

四半世紀以上前の事だけど、今でもハッキリ覚えている。

よっぽど納得いかなかったんだろう...。

水無しで登れ!とまでは思わないけど、それならこっちも新品の水がもらえなきゃ不公平じゃないか?って。

もしくはこっちの”灰木屑生温濁水”と割って平等に詰め直すとか。

大変な思いをして準備したのに、出来なかった方が市販のミネラルウォーターを飲めるって...。

努力は報われるわけじゃないってこのときに改めて思い知った。


そんなこんなで複雑な思いを抱えつつバスに乗り込んで富士山へ。

ちなみに五合目までは車で行けてしまう。

山の頂上は当たり前だけど十合目。

つまり半分の高さから登山スタートするわけです。

もちろん一合目からも登ることができる。

富士登山には様々なルートがあるのです。

あくまで一般的には五合目からスタートが多いというだけ。


他にも富士登山にはいつもの山登りとは違う箇所がいくつもあって。

富士山は火山だから木とか草は生えてないのです。

つまり岩がゴロゴロあるめちゃくちゃ殺風景なところをひたすら登るという。

これが精神的にキツい。

だいたいトータルだと下山まで12時間くらいかかるわけですが、ずっと変わらない景色。

小学生にはつまらなく感じてしまった。

同時にいつも登ってる山々がいかに植物に恵まれていたかがよくわかった。

木々や花があるだけで登る時の風景が全然違うのだ。


あとは登山客がたくさんいたのも初めての経験だった。

毎日平均2000-4000人くらいも登っているらしい。

なので場所によっては日曜の池袋サンシャイン通りくらい混雑しているのだ。

さすが日本一の山だ。


そのため登山道は大行列。

ノロノロ歩きでしか登れない。

なので体力的にはいつもよりかなり楽だった。

あれ?意外と大したことないぞ?と勘違いしてしまうくらいに。

万が一にもはぐれたら大変。

なので通常ならば遅れたら振り落としていくメンバーをむしろ先頭に持ってきてペースメーカーとして登った。

Mくんという同い年の隊員がちょっとポッチャリ系で団の中ではダントツで体力が無かった。

そのため彼を先頭にしてみんなでゲラゲラと笑いながら楽しく登っていた記憶しかない。


ちなみにMくんは隣町のヤツで学校は違ったのだけど、習い事で小学生からドラムをやっていた。

後に一緒にバンドをやったりもした。

彼は中学生くらいからバンド活動を始めてて先輩から教わったクラッシュとラモーンズとセックスピストルズってバンドがカッコいいから聴いた方がいいとか情報くれて一緒に吉祥寺のタワレコに買いに行ったりもした。

この富士登山から数年後の話し。

このときはまだ小学生でパンクロックなんて知らなくて流行歌を聴いていた。


そんな感じで楽しかったんだけどジワジワきつくなってくる。

山登りというのは基本的には一直線に駆け上がってるわけじゃなくルートがあってギザギザまたはジグザグに登るわけです。

裾野市観光協会

これが普通の山なら木とか遮蔽物があるが富士山は何も生えてないので頂上は常に見えてるわけです。

そのため大きく蛇行しながら登っていると一向に距離が縮まっていないように感じてくるのです。

全てがデカい上に何もなさすぎて距離感が狂ってしまい、どのくらい登ってるかがわからなくなる。

景色はずっと灰色だし。

これはちょっとキツかった。


そして八合目に着くと山小屋があってそこに泊まる。

四半世紀以上前のためうろ覚えですが、たしかペットボトルが¥500くらい、そしてボンカレーが¥1500くらいしていたはず。

下界との金額差にめちゃくちゃビックリした。

後に、テレビで見たがそれらの商品は背負って運んでくるしか方法がない。

つまり何十キロもの水や食べ物を人力で持ってくるという情報を知った。(今では特殊な車で運んだりもするみたいだけど)

そりゃ高いわけだ!いやむしろ安いくらいだ!と納得した。

そうして山小屋で高級ボンカレーを食べ。

野営期間中なのに火起こしも調理も無しで食事できるなんてめちゃくちゃラッキーみたいな感覚だった。

食後は特にやることもなく夜7時前くらいには寝るわけです。

そして深夜1時頃に起きて登山再開。


なんでそんなスケジュールになるかというと

”御来光”

を見るため。

ついにやっとサブタイトル回収です!


これがどういうことなのかよくわかってなかった。

事前に説明されたのをボーっとしていて聞いてなかったのか、これは常識だから言わずもがなの事だったのか。

皆さんは小学生のときに

“御来光”

って言葉を知ってましたか?

僕はあれからまぁまぁ長いこと生きてきましたがそのとき以来1度も聞いたことがないし使ったこともない。

辞書を引くと

高山の頂上で見る荘厳な日の出

GOO辞書

とある。


つまり山頂で日の出を見るために深夜に出発するわけです。


それまで泊まりがけで山頂を目指す山登りはしたことがなかった。

今までの

・山の中腹から登り始める
・山小屋に泊まる
・夕方に寝る
・夜中に起きて登山

と、いつもの秩父や飯能の山登りとはやり方が全く違ったのは、それが日本一の“富士山”だからだろう。

と勘違いしてたのです。

全ては御来光を見るためのスケジュールなわけです。

もうこうなったら気付かない。

そもそも小学生で日の出を厳かに見るという高尚な精神なんか持ち合わせてないし。

着替えて準備をして夜中1時〜2時くらいに出発。

すでに八合目まで登っている。

なのに、なぜそんなに頂上まで時間かかるかというと、みんなが御来光のために登るから大混雑なわけです。

人の数が池袋サンシャイン通りを飛び越えて原宿竹下通りくらいの密集具合になる。

YouTubeを見てもらえればわかりますが、このようにみんなのヘッドライトの光が延々と続くわけです。

光のひとつひとつが登山客ですからね。

通常の登山とは全く違う。

最初から最後までずーっとこんな感じ。

大名行列に加わっているような雰囲気。


体調は万全ではなかった。

夕方から夜中1時まで寝るなんてしたことなかったので、しっかりは寝れていなかった。

山小屋では知らない人たちと同じ部屋でリラックスしきれたわけでもない。

しかしもう途中で引き返すとか休むとか言える雰囲気じゃないのです。

抜け出せるわけもなく、文句を言えるわけもなく。

ただただみんな無言で歩いている。

そうして自動的に頂上に到着した。


、、、書き忘れていたが富士山はめちゃくちゃ寒い。

地上というか下界が35℃だとしたら、富士山の上の方は5℃とか。

風が強いから体感はマイナスいくかいかないかくらいの寒さ。

だから上着がたくさんいる。

なめてかかったらかなりヤバい。

登り始めはなんで真夏にジャンパーいるの?大げさじゃない?邪魔なだけじゃん!みたいに思っていた。

しかし全部着込んでさらに雨具のカッパも羽織るくらい寒かった。


そんなこんなで極寒の頂上に着いて。

雲よりはるかに高い場所。

なので正直なところ眺めもそんなによくないのです。

どこまでも雲だけ。

寒いし風強いし眺めもよくないし、いつまでここにいるんだろう?

と思っていたのです。

たぶんあのとき富士山頂にいた中で僕1人だけ。

御来光の意味をわかってないから。

みんなは太陽を待ってるから暇って感覚ではなかったはず。

今か今かと待ってるわけ。厳かな気持ちで。

僕は明後日の方向を向いていた。

だから日の出の瞬間を見てない。

そのために泊まりがけで登ってきたのに。

今思い返すとなんと愚かだろうという気持ちと、いつも見てるただの太陽だろって気持ちが半々である。

もし理解していたとしても厳かな気持ちで待てていたかは自信が無い。


御来光後(僕だけはただの長い休憩だと思っていたが)

はデカい旗をみんなで持って記念撮影。

“東京◯◯第◯団富士山頂踏破!!”

みたいなことが書いてある旗。

お決まりのやつだ。

風が強いからピーンと張らせるのが難しかった。

あと寒すぎてみんな顰めっ面だった記憶がある。


そして神社にお参りして下山。

(これも後に勘違いの理由になる)



そして下山はめちゃくちゃ早い。

行きと違ってジグザグではなく一直線に下るのです。

たしか“砂走り”みたいないかにも名前で。

そのまんま砂だらけの斜面を滑るように走って下る。


動画の人ほど超速ではないが4時間くらいだったかな?

行きの半分以下の時間であっという間に下山した。

そして下にいくにつれてちゃんと真夏の気温になっていった。

五合目からはまたバスに乗り野営地に戻る。

その途中で温泉に行ったような気もする。

なので前回の5日間も風呂に入れなかった…は偽の記憶かもしれない。入れたときもあったのかもしれない。

それで富士登山のミッションは全て終了。


いつも通りの野営生活に戻った。

次の日はカヌーをしたり…なんとかやり切った。

やっと東京の自宅に戻った。

親は嬉しいって感情なのかな?

小学生の息子が野営生活をしながら富士登山をしてきたわけだから。

色々と内容を聞かれてやっぱり御来光の話しになるわけです。

“どうだった?”

と。

でも僕はわかってない。

そうして馬鹿なりに考えたところあの山頂の神社が“御来光”って名前なのではないかな?と。

“八幡宮”とかに似た響きだし。

そう思って

“あぁ御来光ね、思ったより小さかったよ。井草八幡宮の方が立派だね”

とトンチンカンな答えをして、家族中から笑われたという。

一生に何回もない御来光を拝めるチャンスにボーっとしてて見てなかったって愚か過ぎるって。



でも正月の初日の出とかもそうだけど、そんなに太陽が昇る瞬間って見たいかな?

毎日、誰の上にも必ず太陽は昇るんだから。

と思った話しでした。

ブラザーズ、シスターズ、とはいえ1度くらいは御来光を経験したいからまた富士山に登りたいとずっと思っています。

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