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かもめのジョナサン

※2023年11月にOFUSEにて配信されたコラムを編集し再掲したものです。

親愛なる友だちへ、ひねもです。

リチャード・バックの“かもめのジョナサン”を読んだ。

音楽、映画、本、漫画、絵 etc…

有名だけど知らない作品がたくさんある。

本だとサリンジャーのライ麦畑でつかまえてや、ファーブル昆虫記もシートン動物記も平家物語も枕草子も...もっと言えば古事記も聖書も読んだことが無い。

教科書とかで一部分に触れた事があるような気はするが全部は知らない。

折を見てはそういった作品に再チャレンジしてみている。


今回はリチャード・バックの“かもめのジョナサン”

いつかは読むだろうと思いながらタイミング無く今まで来てしまった。

...いやタイミングはたくさんあった。

父親の蔵書にあった。
学校の図書館にもあった。
自分で買ったこともある。

しかし、どうにもハマれなくて投げ出してきた。

買っては手放してを繰り返してきた。

今回はおそらく3回目くらいの買い直しだ。

初めてトライしたときから二十年以上経って遂に読了。


“かもめのジョナサン”について。

1970年発行。

最初はあまり売れなかった。

しかし当時のヒッピー達が回し読みし口コミで広まっていき1972年に大ヒット。

アメリカの出版史上最大の発行部数を示した『風と共に去りぬ』を抜いて1500万部の超ベストセラーに。

あのレイ・ブラッドベリが“この本は偉大なロールシャッハテストである”と言ったとか。

ブラッドベリは僕が最も影響を受けた作家の1人。

ティーンエイジャーの頃から現在まで作詞にあたって参考にしまくっている。

1973年には映画にもなった。

日本では1974年に日本語訳が発売。

手塚治虫や赤塚不二夫の作品にもパロディがあったり、菅原文太の“トラック野郎”の相棒が”やもめのジョナサン”というニックネームだったり、「この本を読んでください。僕の気持ちはこの本の中にあるから」と述べ村井秀夫がオウム真理教に出家した…など日本でも影響多数。
あのブラッドベリがそこまで言うのか!という驚きもあり。

音楽界ではなんといってもザ・ハイロウズの”十四才”だ。

僕は甲本ヒロト作のこの曲で知った。

このコラムを読む人はもちろん知ってるだろうから歌詞について今更書く必要もないだろうが

ジョナサン 音速の壁に
ジョナサン きりもみする
ホントそうだよな どうでもいいよな
ホントそうだよな どうなってもいいよな

十四才/ザ・ハイロウズ

のジョナサンは”かもめのジョナサン”の事だろう。

歌詞全体としてはジョナサン・リッチマンを意味する部分もあるかもしれないが。






...こういった背景や影響力などなどをなんとなーく知っていた。

なので自分は今からとんでもない超名作を読むのだ!とだいぶ力が入りながらページをめくった。


しかし、いざ読み始めると思ってた以上に本が薄く写真がたくさんで

...あれ?これが本当にあのかもめのジョナサンなのか…?

って感じで肩透かし気味というか。



自分の中で勝手にハードルを上げまくっていたのでもの凄い何かを期待してしまっていた。

それこそ十四才を聴いたときみたいなガツンとした衝撃を。



しかし哲学系と言えば良いのか…抽象的な精神世界のお話しで。

作品の系統としては星の王子さまやスターウォーズと似た雰囲気がある。あとはジブリ映画とか。

そういったファンタジー作品は好きなので、それ系のストーリーが苦手とかではない。

しかし、ここまで高く評価される作品なのだろうか...と思ってしまった。

どちらも著者が飛行機乗りなので“星の王子さま”と“かもめのジョナサン”は対比される事が多いらしい。

僕は選ぶとしたら星の王子さまの方が好みだ。


内容はカモメの飛び方の描写はとても面白かった。

しかし他の部分に関しては言いたいことはわかるが、そのまま素直に全部を受け取っていいのか?と疑問が生じる。

期待していたような“すごい何かは”なかったにしても鳥が主人公なのでもっと爽やかな印象で終わるかと思ってたがそうもならず。

うーん…と思いながらそのまま読了し、訳した五木寛之先生のあとがきを読んだ。

そうしたら、訳しながらこの作品に一種の違和感をおぼえる...という疑問を最初から書かれていてモヤモヤしていた気持ちがいくらか晴れた。

そうだよなって。

ジョナサンの考えや哲学は立派だけどちょっとあまりにも理想的過ぎるというか。

そして、そういうつもりではないのかもしれないが崇高な存在が教えを賜うてやるみたいな雰囲気が漂っているのが苦手だなあと。

そこにハマれる人はたまらないのだろうとは思う。



“自己啓発本の一種”という紹介もされていたが、答えが提示されているわけではないのでちょっと違うような。

自己啓発本を読んだ事が無いのでもしかしたら似通っているのかもしれないが。

“イエス・キリストのカモメ版”と言いたいところだけど、これも聖書を読んでいないので似ているのかはわからない。

しかし、読んで感じるのはそういった何処かの何かの宗教の開祖の物語風なのである。

あと女性が全く出てこず男が主な部分もあんまり共感できず。

これは時代的な事もあるのかもしれない。

高みを目指す行為こそが最高に素晴らしいという考えはわかる。

しかし、それが生きることの全てではないよなあとも。

これこそがあるべき姿だ!という考えは危ない...と思ってしまう。

当時の西海岸の若いヒッピー達に支持されて大ヒット。

なので、ティーンエイジャーの頃に読んだら感想はだいぶ違うのかもしれない。

そう思うと、やはり14才までに読むのが相応しい作品なのかもしれない。

おっさんになった(なってしまった)今(2023年)になってから読むといまいちピンと来なかった。

時代と自分の年齢と読むタイミングは非常に重要だ。

期待値をグリム童話くらいにしておけばちょうど良かったような気がする。

僕はもっとロック(ンロール)的なすごい何かがあると思ってしまっていた。


大ヒットした要因は時代背景はもちろんあるのだろうけど、なんにせよタイトルの素晴らしさもあると思う。

ちなみに今はサリンジャーの“ライ麦畑でつかまえて”を読んでるのだけど、どちらもタイトルが素晴らしい。

曽我部さんがサリンジャーの映画についてのインタビューで言っていたけど

“タイトルを聞いたときに名作の予感しかしない”

という。


かもめのジョナサンの場合はそれこそ“やもめのジョナサン”みたいにもじったりしたくなる語感があるのだ。

“◯◯の◯◯”って響きがたまらない。

ジョナサンって名前もカッコいいし。

これがもしもタヌキの田吾作だったらここまでヒットしなかったのでは...。

あとは小説だが写真が多くて文字が少ないという構成も全体の雰囲気がオシャレで当時は画期的だったと思う。

海をイメージした装丁も爽やかだし。

アメリカの西海岸で若者が持ち歩いたり部屋に置いたりしてる姿はカッコいいだろうなとは思うのだ。

そういうファッションアイテム的部分もヒットした要因にありそうな気がする。



ちなみに発売から44年も経った2014年になんと幻のPart4が発表されたらしい。

新しく書き足されたわけではなく元からあったが当時あえて掲載しなかった部分。

妻が見つけてきたのを読み直した事がキッカケで完全版の制作に踏み切ったとか。

僕は古い方しか読んでないので詳しい内容はわからないが、教えが形骸化されたその後が書かれているらしい。

当時そこまで書いてあったらヒッピー達からの評価は全く違っただろう。

日本版のあとがきも僕はそこまで読んでしっくりきたが、ジョナサンの生き様に感銘を受けた人からしたら一気に冷めるというかふざけんなと思うだろうし。

五木寛之先生はかつて1930年代に人々がそれを求めたことがあった。この作品が熱狂的に支持されるということは1970年代の人々は何を望むのか?と書いていた。

2023年のそれは”いいね”の数なのかなとか思ったり。

ブラザー&シスター、リアルよりリアリティ。

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