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なんのために?ってのは野暮な問い。弦交換は恐怖劇場。

練習は孤独だ。
仕事から帰り、夜は少しでもなるべく楽器に触れようとしているが、頭が疲れているのだろう、本当に練習になっているのか不安になる時がある。
とりあえず触っているだけなんじゃないか。
いやいや、そんな悲しいことを考えるなよってことで、朝起きて15分程度、前の日練習したことや気になるフレーズやらを整理するためにエレキベースで確認。
ウッベは流石に夜も朝もなかなか難しいからね。

本当に眠い時は無理せず朝はやりませんが、昔から考えるといま1番練習をしているのではないか?くらいしている気がする。気がするだけかもだが。

たまーに行き詰まったり精神が疲れている時、
『これってなんのためにやってるの?』ってなる時が正直ある。
仕事しながらだとありがちなネガティブなスパイラル。どーでもいいやって練習しない日もある。

とにかく脳が疲れている時練習になってない気がする。身体は基本そんなに疲れない仕事なので結局は脳なのだ。どこかで練習しなきゃ!ってのと休みなよ!ってのが混在してバグっている。

練習しないで寝ちゃうと少し後悔する。代わりに朝の15分はやるのですが、、、

結局これを延々と繰り返すのが楽器演奏者の試練、人生なのだろう。プロでもアマでもそんなもんだろう。

世間的にプロとして音楽やってる知り合い(友人)がいるのだが、もう20年くらいの付き合いだが、基本歌う人でたまにギターも弾く奴なんだけど、正直ギターは上手くないしここ数年特に上手くなってない。一緒にたまに演奏するので聴けば分かるのだ。
まあでもギターリストじゃないしね、そんなもんす。
逆を言えば、楽器演奏者は、プレイヤーは、絶対にそれではダメだ。プロではなくてもだ。
アマでも趣味でも弾くことが好きだから楽器を買ったのだろう?やらないならもうやめろってこと。
売ってお金にしてさっさとやめろってことだ。
中途半端に『たまにはちょっとギターでもやるか!』みたいな奴はきちぃーすわ。
そういう奴に限ってSNSに観葉植物とギターの写真をアップして『久しぶりに弾いてます!』みたいなふざけたおふざけヤローなんだ。

楽器を弾くことは、人生でもあって、
音楽にとともに一生生きるってことなんだ。

それでもアライサンは弦交換が嫌いだ。本当に嫌い。特にギターは。
ベースはたまーにしか交換しなくていいから掃除、メンテ兼ねてもあるから好き。
それでも新しい弦の音が好きだって人もいるらしいが古くなった音が好きな自分には好都合。

弦が細い楽器の交換は正直怖い。
弦が切れてバシッィィぃぃ〜〜っ!っていまにも来そうで怖い。やだなぁ〜って思いながら交換する。
いやぁ〜な感じがするんだ、途中でキュルキュル!って部品と擦れる音。あれが恐怖。

『貴方、キュルルルルルルルルッッ!!!でしょ?』

『え?あ?ん???なんですかぁぁ〜??』

だ。

記事投稿:アライサン

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