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同じ

同じ「さがす」でも、「探す」と「捜す」では微妙に意味合いが違います。「探しもの」と「捜しもの」だって、違います。

「欲しいものを見付け出そうとする場合に「探す」、見えなくなったものを見付け出そうとする場合に「捜す」を使うことが多い」と辞書は、解説します。

それでいえば、今の君は、「探している」のか、「捜している」のか。それは、「欲しいもの」なのか、それとも「見えなくなったもの」なのか。

ここいらで君は、高みの見物を卒業しなければなりません。「自分の居場所は別にある」という、そんな言い逃れからも足を洗わなければなりません。

 ホーム・シックというものがある。これは一時、人生から降りている状態である。今の、この生活は、仮の生活である、という気持ち。日本に帰った時にこそ、本当の生活が始まるのだ、という気持ちである。
 勇気を奮い起こさねばならぬのは、この時である。人生から降りてはいけないのだ。成程言葉が不自由であるかも知れぬ。孤独であるかも知れぬ。しかし、それを仮の生活だといい逃れてしまってはいけない。
 それが、現実であると受けとめた時に、外国生活は、初めて意味を持ってくる、と思われるのです。

伊丹十三「ヨーロッパ退屈日記」)


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