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火乃絵のロクジュウゴ航海日誌〈scrap log〉 第二百卅一日 8/17

きのう、というか今朝から「GOT A FLAVOR(1995 remix)」の録音をかれこれ二百回はきいているともう、

YouTubeに公開しているが火乃絵よりこのremixを気に入ることができる猛者が現われるだろうか、録音は一日だが制作は2年かかっている、あるいは8年。——

17歳の初冬、ひのえはミュージシャンになる決意をし作詞・作曲をスタートした。そしてようやく26歳の夏、この一曲を成した。しかもカバー・ソング、いや、かならずやこれは Cover でなければならなかった、

ブルースやジャズは同じ唄を歌い継ぐのに、ヒップホップではほとんど行われていない、そろそろかつての名曲が古典(〝クラシック〟とよくいうよりさらに原義にちかい意味で、)となるじきなので出て来てもおかしくない、

日本の和歌のれきしをみると、ほかの歌文化と同様、現代に近づくにしたがって個の表現へと向かってくる。ブラック・ミュージックも集団てきの霊歌(スピリチュアル)からゴスペル、ブルースへと個体化が起こる。ラッパーは現代のブルース・マンとおもうが、そのlyricはフロウと結びつき、より個人を強調するようになっている。だから、trackを引き継ぐことはあってもリリックをそのまま歌い継ぐということは起こりにくい。——

詩・歌・RAPどれをとっても引用と組み替え、サンプリングの精神と技術がこんごのキイになってくる。そのひとつまえの段階としてカバーもまた重要だ、それはつまり息遣いをからだに容れ込む行為なのだ。——

コセイ、コセイというわりにみんなじぶんの個性に自信がないので、好きなものをそのままなぞるということをしなくなってきている、すぐにオリジナルを創ろうとする、それがなりたいじぶんになるてっとりばやい方法とおもわれるからだ、しかし個性というのはもっとのっぴきならないものである、

そもそも歌と歌い手のりんりでは歌が主人で歌い手は従僕にすぎない、歌はつねに個の彼岸にある、歌人(うたびと)の歌う歌はいつでも歌への頌歌なのだ。——

ともすると火乃絵もようやく祭へと近づきつつあるということか、——

文月十日

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