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図書館との再会



久しぶりに図書館に行った。

ZOOMでの小説講座を受ける前に、戴いた「アドバイス・感想」内にあった『ジョゼと虎と魚たち』(田辺聖子)を読んでおきたかったからだ。


拙作(過去作の手直しばっかりも飽きてきたし、いつもお世話になっているポメラDM250_botさん主催だし、書けそうなら記念参加してみるか……みたいな感じで、あ、書けるな……と思ってから一気に書いた)を読んで、評価してくださった方の内容はきちんと理解したいし、今後のためにも身につけたい。


この「新作を仕上げた」という喜びは、私のガチガチに錆びていた創作意欲のスイッチを押したのか、直後に別の作品まで書き始めたのだから、本当に機会をいただけてよかったと思っている。


あいにく『ジョゼと虎と魚たち』は未読、映画も未視聴だった。

家人の親友が大好きな映画で話は何度か聞いていたが、恋愛物自体が苦手だし、恋愛系キャッチコピーが大々的に打ち出されるとどうしても手が伸びなかった。


おせいさんの本は、母に勧められて何冊か読んだことはあったが、エッセイ的なものが多かった気がする。


肌に合う、合わない、で言えば、申し訳ないけども合わない、だけど好き嫌い関係なく独特の女の湿度がじわじわと伝わってくる。女を自覚させられるから嫌だけど、この人に詰められるなら諦めもつく、そんな小説を書く人だと思った。


私はこの時代をよく知っているから、こんな風に湿度に溺れそうな感覚として受け止めるけども、例えば、平成二桁以降に生まれた方はどういう受け止め方をするのだろう、と気になった。




久しぶりに赴く昼下がりの図書館。寒さのせいもあってか人影はまばらだった。初めて家でWEB予約というものをしてみたけども、来館が早すぎたのか、うまくできていなかったのか、予約コーナーには準備されていなかったようだった。文庫本の貸し出し手続きの後に確認したら、予約内容は見当たらなかった。


居住地の市立図書館は知識の泉で、私の庭のように馴染んだものだったが、ガラス張りの明るい建物に移築されてからは片手の数ほどしか来たことはない。そして訪れるたびに学術書が減っていく。


軽佻浮薄、「あ、軽い」と揶揄されていた時代を思い出す。そんな頃でも図書館だけはずっしりと知識の宝庫として構えてくれていたはずだったんだけど……。


雑誌、オーディオ、児童書。希望が持てたのは児童書コーナーの層の厚さだ。敷地の半分ほどが児童書、子供用スペースで占められている。子供向けと言っても、過去のイメージにあるお子様向けではなく、中高生の進路や職業への疑問を解決するための本、有名企業の紹介本、心理解説、人間関係の問題を解決するための本……と、子供にもわかりやすく、選びやすく、専門書への敷居が高い人にはおすすめの本ばかり。


迷ったらまず児童書コーナーだな、と思いつつ、児童書コーナーは簡単なトピックス的な見出しはついているものの、日本十進分類法(NDC)に沿って並べられてないようで、捜し物に苦労した。タイトルがわかっていれば最初からパソコン検索を使えばいいのかもしれないが、どうしても慣れない。大人向けコーナーは小説、雑誌がほとんどで、専門書はほんのちょっぴり。


禁帯出のシールのつけられた本が、脚立でもかろうじて届くか?という棚の上に並べられているのを見て、寂しさを感じた。


蔵書はパソコン検索できるようになっているが、利用者が見ることができないスペースに保管されている本もきっと多いのだろう……そうであって欲しい。



私が住むエリアでは特に有名な作家さんの、過去に映画化された本が児童書コーナーにあったので読んでみようかと手に取ったところ、汚れた水に濡れたのを必死で修繕した痕が見受けられた。お茶かコーヒーだとまだいいが、香りもしないので雨水かもしれない。着色汚れで文字も読みにくく、司書の方には申し訳ないが汚いと感じてそのまま棚に戻してしまった。古い本は予算的に買い直しできないんだろうな、と想像する。



児童コーナーとは天井までの棚を隔てた向こう側では、お仲間とは思えない6人のご年配の男性達がテーブルを占拠して新聞を読んでいた。全員が新聞。読んでいるというより、ぼーっと眺めている感じ。図書館に居る理由付けに新聞を広げているような、独特の空気感だった。

このエリアには同年代の女性は一人もいない。


まぁ、家に居るよりは暖かく過ごしやすいのかもしれない。

なんとなく、物悲しさを感じた。


本を借りたので、期限内に返しに来なくてはいけない。

次に借りたい本があればいいなぁ、となんとなく思いながら、曇りのないガラスの自動ドアをくぐって、消毒液スタンドに手を伸ばした。

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