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人間関係の悩みでバランスを取る方法

人は人間の中で暮らしている。あの人に好かれている、嫌われているという相手の気持ちに左右され、悩むことがある。

子どもの頃に人の気持ちを考えるようにと教えられた人は多いと思う。
なぜ人の気持ちを考えなければならないのか?考えても想像はできるが本当にそうかは誰にも分からない。

そもそも気持ちとは何だろうか?
自分の事で考えてみると、面白いことを発見してワクワクしたり、怖いことを想像して不安になったり、嫌なことをされてイライラしたり、特に何もないと安定していたりと常に変化している。

気持ちは常に変化しているのかもしれない。または、変化する可能性を秘めている。
そして、不安に駆られた時、不安を打ち消すためにどっかに出かけたり、友達と話をしたり、何か違うことを考えることで解消している。

これは他の人でも一緒なのではないか?
常に気持ちは変化していて、良い時もあれば、悪い時もある。

では、自分の気持ちのバランスをどうとるか?
私は物事の捉え方で変わるのではないかと思っている。

私は喜怒哀楽を周りからの刺激によって受けた時に、少なからず同じ波長に自身が引っ張られていくような感覚を感じた。悲しい人の話を聞けば、悲しさや不安を感じ、楽しい話を聞けば、楽しくなる。

そのため、できる限り自分自身の気持ちは平らにしておくようにしている。
そうする事で、他人の感情に引っ張られないようにできるのでは無いか。少なからず、引っ張られすぎないようになる。

平常心を作り出すにはどんな事が効果的なのか?

私は自身の体験を元に、感情が揺れた時を意識して考えるようにしてみた。
イライラすることを言われたり、されたりした時、こいつ本当何考えてるだ!と怒りに支配された時、問うようにした。

なぜ私は怒っているのだろう?
何に私は怒っているのか?

大体の原因はたわいもない価値観の違いである。
価値観の違いは根本的には別の人間なので変えることは難しい。それを無理に変えようとすると、また否定する事が生まれ、争いが増える。
自分がいいと思っていることを押しつけられても人がいいとは思わないかもしれないことは、頭の片隅に置いている。
また、どっかで雷にでも打たれない限り価値観というものは変わらない。それが、本人にとっての普遍的なルールとして根付いているからである。それは本人の文化なのだろう。
結局は物事の捉え方の違いは考えても仕方のないことである。むしろ考えすぎると疲れる。

私は自分の捉え方を変えること+私たちの目的を考えるようにした。
自分の価値観に囚われすぎる事は自分すらも攻撃しかねない。自分の価値観を大切にはするが、あくまでも謙虚に捉えること、また、自分の価値観を伝えたい場合は、「私たちにとって」と主語をつけるようにした。

私たちとする事で、それは自分の価値観と相手の価値観の融合に変わる。それは新たな価値観として協力体制を作り出す。自分にとっても相手にとってもみんなにとってもハッピーになるのであれば、それに越した事はない。
自分だけがハッピーという考えは全体のバランスを崩しかねない。

自分にとっても相手にとっても、できればみんなにとってもハッピーな判断ができれば、幸いであるが、なかなか難しい。だが、いつも、そのことを意識しながら行動していると縛られた自分の価値観からは生まれない新たな行動に繋がるのではないだろうか?

人間関係を作り出すのは一人一人の気持ちから派生した行動である。その行動に右往左往するのではなく、行動の奥にある気持ちに目を向ける。その気持ちは常に変化するものである。その気持ちを受け止めて支えられるような思いから行動を起こすことで、人間関係というバランスを見つけられるのではないだろうか。

今回は人間関係のバランスについて考察してみました。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

次は感謝について考察したいと思います。

でわまた!

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