「天国」とは、「地獄」とは——宗教戦争の敗者・日本

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 おのれのうちに潜むロマン主義的傾向と向きあい続け、いい加減疲れたので息抜きにこれを書いてみる。

 漱石のように早死する恐れは自覚されて然るべきなのだろう。おのが使命感と関心を一致させた上で全力を尽くし、その結果くたばるのならば本望ではあるけれど。たまには岡潔のいう「情緒」とやらに思いを馳せ、神経を休ませてやるのもいい。「遊び」はホイジンガによれば、「厳粛さ」と「あほらしさ」のはざまを揺れ動くものらしい。「あほらしさ」と余暇は恐らく結びついており、これら無くして文化の成立もあり得ないのだろう。

 さて、集合的無意識ガンギマリな日本人の皆さんは事あるごとに、「天国」だの「地獄」だのといった単語を口にする。これらが仏教のほか、特にキリスト教の強い影響のもと生まれた観念であることは容易に想像がつく。

 日本人一般の宗教音痴はどれほど強調してもし過ぎるということはない。戦前の文化人たちは血の吐くような思いで、西洋文明の本質がキリスト教にあることを突き止めた。太宰治は実際に、自身の投影である小説の主人公に吐血させてみせた(「人間失格」はもちろん、単なる私小説として読まれるべきではない。この文脈と時代背景から察してもらいたい)。しかしそのようにして、まさに命懸けで発見された先人の叡智を、果たしてどれほどの人間が理解しているのか。

 マルクス主義のみならず、一見宗教の匂いを感じさせない近代以降の西洋哲学も、キリスト教的な視点なくしてその内容を真に読みとることはできない。仲正昌樹によれば、「種子」(ベンヤミン)、「散種」(デリダ)の元ネタは新約聖書の「種まきの喩え」である(「ヴァルター・ベンヤミン」)。また、これは人から聞いた話であり、確認を要するが、「"脱構築"の参照先であるハイデガーの"解体"は元々ルターの言葉だと、カプートに教わった」とデリダは晩年のインタビューで語っていたらしい。

 大急ぎで形だけの近代化、つまり西洋化を達成し、我々は先人よりも理性的に思考できるようになったと、未だに自惚れていやしないだろうか。その近代化なるものが、キリスト教化を意味するとしたらどうだろうか。僕はデリダが、近代をキリスト教と峻別して論じることの困難を語っていたと知っている(彼のメディア論を参照)。

 林房雄は、明治維新から先の大戦へと至る歴史を「東亜百年戦争」として論じた。林のように日本のナルシシズムを傲岸不遜に全肯定するつもりはない。ただしあの歴史が文明の衝突、ひいては世界観・宗教的なものの衝突であったことを僕は疑わない。折口信夫の「神道の新しい方向」という文章に強い共感を覚える所以である。

 宗教戦争に日本は、完膚なきまでに敗北した。これはもう揺るがしようのない事実である。戦後日本の病的なまでのアメリカナイズももちろん、キリスト教化の一変種である。ウェーバーはプロテスタンティズムが西洋における資本主義成立の要因になったと論じた。アメリカはピューリタニズムの影響の濃い宗教国家としても有名である。

 敗北の事実を踏まえた上で、世界観の植民地化に抗う為には、我々の持つ世界観、そして現状を言葉によって明らかにするしかない。「言挙げせぬ国」は敗れ去り、過去のものとなったのだから。仏教は葬式と密接に結びつき形としては文化に根づいているが、神道はどうか。「大祓詞」の「神(かむ)議(はか)りに議り賜ひて」の精神は現在、いよいよ重要性を増してきている。

 もちろんキリスト教を全否定するのではない。信仰を守るためには「現代の」神学が必要なのであり、その為にはキリスト教的世界観との対話を余儀なくされることは論をまたない。現代における宗教性を考える時、資本主義の構造も決して無視されてよいものではないが、これはまた稿を改めて論じる。

 上田賢治は著書「神道神學」において、記紀に登場する他界を「高天原と黄泉、そして常世との三種に」分類し、キリスト教・仏教との比較論を展開している。上田が述べているように、キリスト教の世界観における「現存在世界」、つまり現実の世界は、Godの国としての天国の従属にすぎない。これに対し従来の神道は、現世に肯定的であり、少なくとも高天原を絶対視してはいない。また神道的世界観においては、我々の生活世界つまり「中津国」と他界は緩やかに連続している。

 現代日本人の他界観はキリスト教の影響を受け、ある種の超越性・断絶性を獲得しつつあるのではないか——僕はこう考える。とはいえ、いわゆる葬式仏教にも見られる他界との緩やかな連続性は、未だに人々の無意識的領域に強く根を張っているようにも思われる。いずれにせよ、こうした世界観をめぐる葛藤から目を背ける組織神学は、なべて無用の長物と化すことは想像に難くない。

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