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”農の最高傑作を創る!”第四話 農業挑戦の入り口に立つ

向こう見ずな性格です。何とかなる、と考えてしまう浅はかさを持っています。
軽はずみな返事をしてしまったために、自分の首を絞めてしまうことがしばしばあります。
第四話は、人生を変えることになった僕のおバカ物語の典型的エピソードです。

【後悔】

公私共にとってもお世話になっていた経営者の方からお誘いをいただき、少々戸惑いはしたものの、2014年2月、僕は経営塾と呼ばれる「道場」に入門?することになりました。
建前上は農業経営者を目指すということにはなっていましたが、その実は自己啓発になればいいな、くらいの軽い考えでして、あわよくば農業経営者になれるのか?なんてまるで世間知らずな気持ちで参加していました。ナメていたわけではないんですが、いわゆる事の予測ができない人間なんです。
ところがですね、十数名の参加者はみんな経営者だったり経営幹部だったり、これから起業しようとする本気の挑戦者だったりするわけですよ。そこにまるで温度を低くしたサラリーマンの僕が入っているんです。完全に空気が違うんです。完全に間違って入った部屋なんです。経験したことのない居心地の悪さの中にいるんですよ。
これは絶対に来てはいけなかった場違いな空間だ・・・。しくじった・・・。軽はずみな返事をしてしまった自分を、大いに責めました。

まったく不適格な場だと気づきながらも、当然カリキュラムは進められていきます。
農作物を作ったこともない、販売したこともない、ほとんど農業を勉強したこともない、経営の意味なんてまるでわかんない。こんな「無」の状態の中で、帳簿の見方やSWOT分析なんてテクニックを教授されるんです。
会計の数字なんて全然イメージできないし、競合と言われたってイメージできるのは野菜作っているおじいちゃんやおばあちゃんくらいなもんで、マーケットがどうなっているのかなんて及びもつきませんでした。
周りの塾生たちは真剣に講義を聴いて自分のものにしているようでしたが、僕はずっと平静を装いながらも、(マズい!マズいぞ~!)と心の中は泣きそうになっていました。
マンツーマンで担当してくださった講師の方からは、容赦なく厳しいお叱りを受け続けます。その一言一言がドスンドスンと胃袋に突き刺さり、サンドバッグと化した僕は自分を保つことさえ難しくなっていきました。

【経営理念という結晶】

こうした講義が一ヵ月に一度、一泊二日の泊まり込みで6ヵ月間続くんです。
何とか喰らいつこうともがきはするものの、あまりにも知識が足りな過ぎてどうにもなりませんでした。
4ヵ月目の講義では、いよいよ戦意を喪失し、リングを降りることをほのめかしたりもしました。
セコンドからは「最後まで頑張れ!」「まだやれる!」との激励が飛び、意識朦朧のまま気力だけで再びリングに上がったこともありました。
最初は勢いだけで振り回していたネコパンチも、徐々に腕さえ上げることもできなくなり、立っているのがやっと。
一応、最後まで修了したことにはなっていますが、僕が到達したんではなくて、動けなくなってしまっていた僕の横を時間だけが過ぎていった感じです。

殴られ続けていたから、最後の方はほとんど覚えていません。とにかく、地獄のような6ヵ月間でした。正直なところ、思い出したくもありません。
経営知識としては何も身についていませんでしたが、唯一”経営理念”については、皮膚を削いで筋肉も引き裂かれた先の髄に叩き込まれました。
なぜ起業するのか。最大目的は何なのか。経営者として、人としてどうあるべきなのか。考えに考えて、更に深く、もっと深く掘り下げて、それでも尚考え続けて、徹底的に考え抜いた「結晶の文字」が経営理念であり、揺るぎない”覚悟”となるんですね。

道場を後にするにあたり、ズタズタボロボロの僕は、その時点では僕なりの最高の理念を握りしめていました。
「無謀挑戦」のど真ん中に据える至高の”経営理念”は、脱サラ後もひたすら磨き続け、当時のものとは文字としても覚悟としてもまったく形を変えて掲げています。
”喜びも感動さえも超えていく 農の最高傑作を創る”
ここでは多くを語りません。僕としては、それこそ血のにじむような思いで紡いだ結晶の文字です。

【人生の屈折】

話は戻しまして、経営塾後の僕はパンチドランカーでしたので、心の療養が必要でした。
地獄から抜け出た安堵感といったら、言葉になりませんでした。かといって、湧き立つような解放感というよりは、何日間も温泉につかって毒素が抜かれてしまったような感じなのか。うまく表現はできませんが、不純物が絞り出された感じはありました。かなり傷んではいたはずなのに、妙に気持ちは静かで落ち着いていて、心はなぜか軽くどっしり地に足がついている。なんとも不思議な感覚が、しばらくの間続きました。
本業の営業職はというと、たぶん悪くなかったと思います。たぶん。

道場での出来事については、おまじないかけて電子ジャーの中に封じ込めて、お札を貼りつけて思い出さないようにしています。それは今でも封じ込めたままです。
ただし、頭の中には自分なりに全力を傾けてつくった”経営理念”がこびりついていました。
大きなお金と、命をすり減らすようなエネルギーと時間を費やし、持って帰ってきた唯一の戦利品がまだ幼き”経営理念”でしたので、そのまま心の片隅にしまっておくのももったいない気がしていました。
かといって、脱サラして農業に挑戦するという決断もできないでいました。
さてどうしようかなってウジウジしてたんですが、色々考えて頭ん中整理した上で、とりあえずサラリーマンやりながら、片手間に農業もやるって方向で何となく進むことにしました。
文脈からお察しの通り、この時点ではいわゆる”覚悟”なんてありません。でも、方向性を決めただけでも、僕としてはそれなりの決断ではあったんです。

この瞬間、僕の人生は少しだけ屈折を引き起こしています。ほんのちょっとではあるんですが、角度が変わりました。
良い方向なのか、悪い方向なのか、あの時は判断がつきませんでしたし、今でさえもわかりません。でも、後悔しない方向であるのは間違いありませんでした。
あの軽はずみな返事をしたことにより、人生の選択肢が増えたんです。ホント、些細なことですね。人生わかりませんね。

こうして僕は農業本を買いあさり、農業関係の時事ネタを読みあさり、長くお蔵入りさせていたほこりだらけの空想農業を満を持して復活させます。
そしていよいよ、「土」に触れ始めるんです。
2015年の春でした。

第五話に続く

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