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私とウジ虫

私の心にはウジ虫が住んでいます。どうにもならない不安で弱気な自分がいて、私はそれをウジ虫と呼んでいます。私のウジ虫との戦いは、ずっと続いていて、いまだに克服できないんです…

みたいな内容だったら読みやすかったかと思いますが、私が書きたいウジ虫の話は、節足動物門昆虫綱ハエ目のウジ虫の話です。

私も息子と同様、幼少の頃から生き物が大好きでした。両親も祖父母も、特別生き物に関心があるわけでも無く、遺伝子の何らかの変異によって、生き物好きになったんだと思います。兄も弟も、私ほど生き物に思い入れは持っていません。

私は幼稚園に通っている時、幼稚園の外のトイレにいたウジ虫をたくさん捕まえました。男の子がオシッコをするトイレのコンクリートの壁面に、ウジ虫がたくさんへばりついてました。幼稚園の送迎バスから降りてきた私が、ビニール袋にたくさんのウジ虫を持って帰ってきたので、母は絶叫し、風呂に連れていき、全身を洗ったと言ってました。

私のウジ虫人生はそこから始まります。

母は人並み以上に虫が嫌いにも関わらず、虫好きの息子を尊重してくれました。私はいろんな昆虫が入った飼育ケースを枕元に置いて寝ていました。その中には、カブトムシやカナブンなどの甲虫や、カマキリ、バッタなどがいて、かなり乱暴な環境で飼っていました。ある朝、そのケースのフタが開いていて、部屋の中にカマキリが脱走し、柱に産卵していたこともありました。

夏の夜に台風が来たことがありました。私は外に飼育ケースを置いて寝ていました。母は飼育ケースが外にあることに気づき、台風の中、嫌いな虫が入っているケースを取りに行ったと言っていました。台風が行ってしまった朝に、昆虫が溺れて全滅したら、私が悲しむと思ったからだと思います。

10年以上前に、「虫好きな息子」と「虫嫌いな母親」を登場人物にして、『虫の飼い方』という長編映画のシナリオを書いたことがあります。そのシナリオは、「サンダンス・NHK国際映像作家賞」の日本代表の3本に入ったこともありました。最終選考で残ることはなく、それを映画化することもありませんでしたが、実話をベースに書いたので、初めて書いたシナリオにも関わらず、ディティールがよく書けていたのかもしれません。

小学生の頃に、わけも分からず虫を飼う子どもは多いと思いますが、私は大学生の頃にも、ウジ虫を飼っていました。飼育ケースに水で濡らしたビール酵母を入れて、そこに釣具屋で飼ってきたウジ虫を入れました。ウジ虫は100匹100円ぐらいで売っています。

ウジ虫をなぜ飼ったかと言うと、「変態」を見たかったからです。ある程度エサを食べたウジ虫は、動きを止め茶色くなります。そして黒いサナギになるんです。100匹のウジ虫が100個のアズキの様になります。そしてしばらくすると、全部がサナギから出てきてハエになるんです。

常に飼っていた訳ではありませんが、ふと「変態」が見たくなった時に、それをやってました。

私はウジ虫を主人公にした短編映画を撮ったこともあります。『十七個の空間と一匹のウジ虫で構成された作品』というタイトルの作品です。これを作った時、知らない人に「ウジ虫を使って作品を作って、いかにも狂人ぽく見せる作風が鼻につく」みたいに書かれた事があったのですが、私から言わせたら、イヌやネコを主人公として作品を作ってるのと同じ感覚だったので、ウジ虫の地位のあまりの低さに嘆いたこともありました。

去年作った『Shell and Joint』でもウジ虫は出演しました。500匹ほど。ウジ虫と共演した秋山桃子さんには事前に確認しました。「大丈夫です!」じゃなくて「頑張ります!」だったので、大変だったろうなあと思います。神々しい、とても良いシーンになりました。

人生で一番すごかったウジ虫体験はイタリアでした。撮影の前日にロケ地を見に行った時、草むらに白い犬が死んでいたんです。「うわっ!死んでる!」と思ってよく見てみると、黒い犬の全身にウジ虫が湧いて、白い犬に見えていただけでした。こんな光景に出会うことは一生に一度しか無いはずだと思い、翌日のCMの撮影で使う35mmフィルムで撮って欲しかったのですが、それを言う勇気は私にはありませんでした。いまだにとても後悔しています。

私がなぜウジ虫を好きなのか、自分でもよくわかりません。

そして、毎日のようにフォロワーの方が増えてる今、なぜフォロワーを減らす、こんなウジ虫に関する投稿をするのか。「そういうところがオマエの悪いところだぞ」と言われても仕方ありません。

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