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映画祭落選の心がまえ

映画祭にエントリーして落選した時に、どんな心がまえでいるべきなのか?同じ様なnoteを以前も書いた気がしますが、こんなもん、いくらあってもいいと思いますのでまた書いてみますよ。

まず最初に、私はこれまで控えめに言って数百もの落選メールを受け取っていると思います。精査すれば1000を超えているかも知れません。下手したら2000行ってる気もします。20年ぐらい前から毎年毎年映画祭に応募してきているので、そのぐらいの落選メールを受け取っているのです。1000〜2000の落選メールを受け取っているということは、1000〜2000の応募をしているということなんです。

そして、映画祭に決まる確率は作品によってバラつきがありますが、平均すると5%ぐらいでしょうか。メチャクチャ打率低いですよね。100の映画祭に応募して、決まるのが5個ぐらい。中には全く映画祭に決まらない作品だってあります。宝くじの7等だって10%の確率で当たるのにです。

でも、1000〜2000の5%は、50〜100になるんです。パーセンテージが低くても分母が大きければ、実数は大きくなります。分母バンザイ!です。

そんな計算はいいとして、応募した映画祭からメールが来ると今でもドキドキします。そして前にも書きましたが、0.0005秒で「I regret to inform you〜」や「Unfortunately」という英文をサーチし終えます。私クラスになると、メールの本文を開いた瞬間に落選が分かるんです。この特技を、何らかの仕事に出来ませんかね。

大体メールの本文の最初の段落に、これらの英文があります。そこから長々と英文が書いてありますが読みません。そこには、応募総数が何千あったとか、なぜあなたの作品が落ちてしまったのかが優しく書かれていますが、そんなものは読んでも仕方がないのです。全部テンプレなのです。

以前は、「もしかしたら、オフィシャルコンペ部門には落ちたけど、他の部門で上映しますと書かれているかも知れない。」などと思い、最後まで読んでいましたが、そんな事が書かれていたことは一回もありませんでした。なので、ド頭の段落に「I regret to inform you〜」や「Unfortunately」と書いてあったら、安心してメールを閉じて頂いて構いません。人生の時間は限られているのです。

そして、私クラスになると落選メールが来ても、心が痛手を追うことはありません。心の皮膚がかかとの皮膚みたく、分厚く固くなってしまっているからです。たまにヤスリで削った方がいいんじゃないかと思うことすらあります。

しかし、私が知っている人の中には、1回や2回応募して落ちて落ち込んで、二度と映画を撮らなくなってしまった人もいます。映画監督をやるような人は、心臓に毛が生えているように思われますが、実は本当に繊細な人が多かったりします。「作品見ましたよ。ダサいですね。」のひと言で憤死してしまう人もいるのです。

そんな人は、カンヌ映画祭からの落選メールが来ても、心に大きな傷を追ってしまいます。「私の作品を、カンヌは選んでくれなかった…」と。いやいや、「オレもアイツもコイツも、あっちのアイツも、そっちのコイツも、親戚のアイツも、親戚の親戚の友達のバイト先の店長のも選んでくれなかったんだよ!」と言いたいのです。

例えば、カンヌ映画祭の短編コンペ部門の応募が1万ぐらいあるとします。たぶん、実際そのぐらいの応募があるんだと思います。でも、選ばれるのは毎年10本ぐらいです。9990本が落選しているのです。何ならハリウッドで活躍している有名俳優が作った作品や、教科書に載っている様な大御所監督が作った短編だって応募されている可能性がありますが、それらの作品ですら落選しているのです。

それなのに「私の作品を、カンヌは選んでくれなかった…」じゃないのです。応募したほぼ全員が落選する映画祭なのです。

だから、カンヌに落ちたからって映画人生が終わったわけではないのです。って、こんな事は当たり前すぎて書くのもはばかられますが、若者の中には地下400kmのどん底に落ち込んでしまう人がいるので、一応書いておきたいのです。

それよりも、作品を完成させて、カンヌ映画祭に応募したことで、ミリ単位でもカンヌ映画祭と繋がった事が素晴らしいと思いませんか。作品を完成させる事がどれだけ尊いことか。

カンヌ映画祭は分かりやすいので、例えとして出しましたが、他の多くの映画祭も仕組みとしては同じです。そして、映画祭のレベルを下げていくと、選ばれる確率が上がってくるのです。

そして実は、映画監督が傷つくのは映画祭からの落選メールだけでは済まないのです。落選したという事実を知られる事、あるいは知らせる事で、もう一度傷つくのです。

でも、スタッフやキャストには言わなければなりません。「カンヌ狙いましょうよ!行ける気がするんすよ!」と言って集まってもらったスタッフやキャストに言わなければならないのです。薄ハリの映画監督の心がこれに耐えられるのか問題が存在するのです。

私が思うに、日本人の映画監督は協力してもらったスタッフやキャストに申し訳ないと思うと同時に、こんなにプライドがズタズタにされる経験は二度としたくないと思って、映画作りをやめてしまうんじゃないかと思うのです。映画祭からの落選メールよりも、スタッフやキャストに「落選監督」という目で見られることに耐えられなくなるのです。

そして事実として、SNSなどで「映画祭落ちた」で盛り上がることはありません。「オレも落ちた!」「落ちた!ふざけやがってw」「見返してやる!」などと書き込む人もいません。そんな気分にはなれないからです。落選した映画監督の瞳孔は、99%以上の光を吸収してしまうほど、真っ黒になっているのです。そんな時は、その映画監督の目を決して見てはいけませんよ。

私がこういう記事を書くことで、「あ〜、あの短編おじさんも同じだったんだ〜。」と思って頂けたら幸いです。中年になると「映画祭に応募した」という事すら言うのが恥ずかしくなるものです。もっと言うと「映画祭に応募して落ちた」とも言いたくないのです。それなりにキャリアを積んでくると、若者たちに対して、まあまあ偉そうな、分かった風な事を言ったり書いたりしているので、「落ちた」という事実は命取りなのです。「今さら応募なんかしてねえよ!」というスタンスでいたいのです。

でも私は「短編おじさん」として、いい歳して映画祭に応募していて、余裕で落ちている事実をお伝えしていきたいと思っています。人生は死ぬまで完成しないのです。中年が何かにチャレンジして失敗する様子を見せることは、絶対に良いことだと思うんです。

そして、中年の失敗をどんどん開示して行って、その数が増えていけば、「オレももう50歳か。人生も決まっちゃったな。あとは消化試合…」などと思わなくなると思うんです。「あの短編おじさんも恥ずかしげなくやってるから、オレもやってみようかな…」と思って頂けたら幸いです。

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