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僕が日本酒ベンチャーを創業した理由

はじめまして、日本酒ベンチャー株式会社Forbul代表の平野です。

2019年10月16日(水)に日本酒ベンチャーForbulとしての、フラッグシップブランドの日本酒「鷹ノ目(TAKANOME)」をリリースしました。

HP:https://takanome-sake.com/

そこで、この度、「なぜ日本酒ベンチャーを創業したのか?」や「鷹ノ目を開発に至った経緯」「鷹ノ目こだわり」などを質問としてよく聞かれるため、しっかりとお答えしたいと思いnote を書きました。

最初に多くの方々から感想を。

ほんとにありがとうございます!
大変励みになります。

少し長めですが、読み物として、読んでいただけると幸いです。

vol.1日本文化の魅力に気づく


「人口減少」
「少子高齢化」
「日本経済の頭打ち」

平成の時代に生まれた僕は、こんな暗いニュースを生まれてから、何度も聞いてきた。 どうやら、僕が生まれる前は、日本は経済が急速に伸びる「高度経済成長期」と呼ばれていたらしい。

小学生の頃、メディアや経済評論家はみな「失われた15年」という言葉を口にし、そして、それはそのうち「失われた20年」「失われた25年」あっという間に「失われた30年」となった。

そんな時代を過ごした自分は、日本はすでに過去の国だと漠然と感じていた。
 
 

そんな少年時代を過ごした後、19歳で海外に渡る。 フィリピン、アメリカに数年間住む中で、大きく自分の考えが変わっていった。


ある一つのできごとがある。
アメリカの大学に通いながら、ホームステイをしていた頃のこと。

ホームステイの値段は、一人部屋+朝と夕食付きで月$850、日本円で93000円くらい。すごくいい環境だったが、当時、お金がなかった自分にとってはなかなかの値段だった。

そこで、ホームステイファミリーにある交渉をした。


I will make Japanese food once a week, so can you please discount to $550

(週に1回 日本料理をつくるので、550ドルにしてもらえませんか?)

No problem at all. I`m really looking forward to Japanese food

(全然いいわよ、日本料理楽しみにしてるわ。)


それまでほとんど料理をしたことがなかったにも関わらず、自分でも驚くことに日本料理を提供することと引き換えに$300の値引きを要求したのである。

ほとんど料理経験もないうえ、ホームステイファミリーは5人もいて、5人分作らなければならず、かなり大変であった。

最初の料理は、日本のカレーにした、カレーなら作れそうな気がしたから。。材料をスーパーかき集め、カレーのルーは日系のスーパーで購入し、数時間かけて作ったカレー。


相手の反応は、、、、

めちゃくちゃいい!
(さすがカレー。ルーさえあれば、ある程度のクオリティが作れる。ありがたい。)

それからは、ネット上のレシピを忠実に守りながら、様々な日本料理を週に1回作り続けた。微妙な味の料理もあったが、いつも喜んで食べてくれていた記憶がある。


そんな経験を通して、自分のアイデンティティである「自国の文化」を発信し、相手に体験してもらうことに嬉しさを感じた。


また、海外に住んでいると、 比較対象ができるので日本を客観視することができ、日本のことがすごくいい国だなと思うようになった。


安全で、人はやさしく、料理はおいしくて、文化や歴史があり、 経済は発展していて、教育、医療も整っている。


とにかくバランスのいい国だなと。
(逆に、日本に帰ってくると、日本の悪さが見えてくる。隣の芝生は青い現象だろうか。)

こういった、数年間の海外での経験を通して、一番多くのことを学んだのは、「日本」のこと。

日本の文化は日本にとって、「大きな宝」であり、そのような日本文化の魅力を発掘し、発信していくことが今後の日本において大切なのではと思うようになった。

#vol .2 日本酒との出会い。

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アメリカから日本に帰ったあと、自分は何がやりたいのかを模索していた。日本文化を世界に発信したいという気持ちはあったが、なにをするかは具体的に決まっていなかった。


いろいろと経験したいと思い、知り合いの紹介を受けて、ある会社でインターンとして働くことになった。

その会社では、社長のカバン持ちから、営業、雑務、記事を執筆するなど様々なことをやらしてもらえていたのだが、アメリカ帰りの自分は、変に「アメリカナイズ」しており、何もできないのだが生意気で、当時の上司の関係がうまくいかなくなっていた。


そんな状況を見かねた先輩の社員さんが「今度、飲もうよ」と誘ってくれたのである。


「お店は自由に決めていいよ」 

そう言われ、インターネットで近くのお店を検索していると、あるお店が目に止まった。

「ひらの」(新橋にあるお店)

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自分と同じ名字のお店だ。
ここに行こう。すぐにそう思い、予約をした。


お店に到着し、席につくと、驚くことにドリンクメニューにビールと日本酒しかない。日本酒専門居酒屋だと入店してから気がついた。


「日本酒かぁ〜」
このお店に来たことを後悔した。


なぜなら、日本酒にはいい思い出がなかったからだ。

20歳になると、お酒が正式に解禁され、友人と飲む機会が増える。

ただ、お酒の飲み方は知らないため、ビール、ハイボール、酎ハイ、梅酒などをつぎつぎと飲んでいく。

そして、最後に気持ち悪くなってきたころに、 安い日本酒をガブッと飲み、ダウンする。

単純に飲みすぎが原因なのだが、最後に飲んだ日本酒にやられたと思い込んでしまう。 

日本酒はまずい、悪酔いする。そんな風にずっと思ってきた。


日本酒居酒屋「ひらの」では、そんな悪いイメージしかない日本酒は避け、「ビール」を2杯ほど飲んだ。ただ、周りを見渡すと、お客さんが美味しいそうに日本酒を飲んでいる。


いや、「もしかしたら、美味しい日本酒を知らないだけなのかも知れない。」 


よし、店長のオススメを一度だけ、飲んでみよう。

「店長、オススメは何ですか??」


「鳳凰美田ですね。」


メニューを見ると、栃木と書いてある。
「おっ自分の地元と一緒だ。」


「じゃあそれ一つで。」


しばらくすると、店長が一升瓶を持ってきて、グラスにお酒を注いだ。

グラスを持って口の方に運ぶと、 日本酒とは思えないフルーティーな香りで飲む前から驚いた。


少し飲んでみる。

「えっこれ、本当に日本酒!?」
思わず口に出してしまった。

今まで飲んできた日本酒とは大きく違い、まるでマスカットのようなフルーティーな味わいが口の中いっぱいに広がる。

感動的な瞬間だった。「こんなにうまい日本酒」が世の中に存在するなんて。


この時の経験が、自分が日本酒の道へと進む大きなきっかけとなった。

「ほんとに美味しい日本酒は時に、1人の人生を変えるほどの力を持つ。」

#vol .3 起業する覚悟を決める。

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日本酒の魅力に惹かれた自分は、全国各地の日本酒を飲み、本を読み、造りを学び、最終的には、日本酒のソムリエである「国際唎酒師」を取得した。また実際に、造っている現場を見たいと思い、全国の酒蔵を回った。


いろいろな酒蔵に足を運ぶ中で見えてきたことがある。


日本人は、世界的に見ても、圧倒的にマニアック民族だ。

一つものを作るのに、とにかく突き詰めて、いかにいいものを作り続けるという思いが強い。そしてそのことが、日本のものづくりが世界的に評価される理由になり、外国の方が日本のことを好きになる理由になっている。


ただ、その強みが逆に弱みになっている場合もある。

いい物を作り続けていれば、売れいくという思いが強すぎて、魅力を伝えきれてない場合が多い。

「職人が何十年にもわたって磨いた技術で、ものすごく良い物を作っているのに、世の中に広まっていないのはおかしい。」


特に日本酒は造るのがほんとに大変なうえ、ほんとに良い酒は人生を変えるほどの力を持っている。

その魅力に気づいている人はごくわずかという現状に見過ごせない自分がいた。

「良い物は世の中に広まるべきだ!」

日本酒の魅力を広げ、日本文化を発信する思いをもって、日本酒ベンチャーForbulを2018年1月に創業する。

#vol .4 日本酒業界の課題に気がつく。

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全国の酒蔵を歩きまわっていると、次第に自分自身が思う最高の日本酒を作りたいと思うようになった。


それは、ある酒蔵の方との印象的な出会いがあったからである。


岩手県にある酒蔵に行くと、60代くらいの阿部さんという方が出迎えてくれた。一通り酒蔵を見学したあと、それまで寡黙だった阿部さんが僕に質問してきた。

「日本酒って造るのが、これだけ大変で原価も高いのに、安すぎるとおもわんか?」

たしかに。。
酒屋に行くといつも思っていたが、日本酒の値段って、ワインと同じくらいの大きさの4合瓶で1000~2000円、一升瓶で3000円前後。

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阿部さんは話を続けた。
「日本酒業界は薄利多売なんじゃよ。」

「そうなんですね。」

「なんでか知ってるか?」

「わからないです。」


阿部さん再度語り始めた。
「それはなぁ、戦後までの日本は、酒を飲むいえば日本酒。というより、それ以外選択肢はなかった。だから、大量に造って、大量に売れば、酒蔵は儲かったんじゃ。」

「みんなとにかく酔えればよかった。だから日本酒は酔うための酒じゃった。だけど、高度成長期に入ってから、いろんなアルコールがはいってきよって、その競争の中で、日本酒は衰退していった。」


「ただ、最近になって、純米酒とか、吟醸酒のような特定名称酒と呼ばれる高価格帯の日本酒が売れるようになったじゃ。」


「つまり、消費者のニーズが「安価で大量に酒を飲む」時代から、「いい酒を味わう」時代へと変わってきたんじゃ。」


「ただ、変化して行く消費者ニーズに日本酒業界が対応できなかった。それで全体の消費量が減っている中で、多くの酒蔵が経営難に陥って、実際、半数くらいの蔵がこの20年~30年で消えていった。」

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僕は、少し大きい声を出した。
「それだったら、すぐに値段をあげればいいじゃないですか??」


阿部さんは落ち着いた表情で答えた。
「いや、酒蔵にとって、値段を上げるのは難しかったんじゃ。」


「なぜなら、今まで、日本酒が消費されるのは飲食店やスーパーが多く。どの蔵も飲食店が買いやすい価格で販売しなきゃ売上が上がんないんじゃ。まぁ一升瓶3000円くらいかの〜。4000円以上で高いと言われる。」


阿部さんは鋭い目つきで、質問をしてきた。
「これの何が一番の問題かわかるか??」

僕は検討もつかなかった。蔵にとっては、経営が厳しくなったとしても、消費者側にとって安いというのはいいことのように聞こえる。


阿部さんは困惑している自分を見て、話を続けた。

「四合瓶で、1500円前後、一升瓶で3000円でしか売れないということは、その価格の中でいかにコスパのいい酒を造るかに注力せなあかんのじゃ。」

「従業員の給料も上がらず、新しい設備の購入も難しい酒蔵が山ほどある。」   


日本酒業界の大きな課題を目の当たりにした。

『もし酒蔵が本気で日本酒を作ったどんな日本酒を作れるのだろうか。』


もちろんそこには、そんなお酒を作っても、本当に売れるのか?という疑問はあったが、時代は変わり、日本酒を販売するのも、既存の販売方法でもなくても販売はできる。


そして、職人の手で本当にこだわった美味しい日本酒を作ったら、お客さんはそれに価値があると認めてくれ、多少値段が張っても購入してくれるはず!

創業当時から、常に日本酒ベンチャーとして、何か日本業界に新たな風を吹かせたいと思ってきた。


「効率や生産性を重視しない、最高峰の日本酒を作ろう!」

#vol .5 地獄の日々-酒蔵との提携

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酒蔵と共同で酒は造ると言っても、酒蔵の既存の酒の質が高くなければ、いい酒は作れないと考えていた。だから、納得する酒を造るには、最高の技術、熱い思いを持った酒蔵を見つけなければならない。


ブラインドテイスティングと呼ばれる銘柄の情報を隠し単純に「美味しい」と思う銘柄のみを厳選していった。


当時、数日間に300銘柄ほどをテイスティングしていた。


その中から、最終的に残った40銘柄。そこから酒蔵の規模、造り方などの情報を元に最終的に20銘柄ほどまで絞っていった。


こんな美味しい日本酒を造っている酒蔵なら、すばらしい技術を持っており、納得する日本酒が作れそうだ!


そんな風に興奮しながら酒蔵探しが始まった。すぐに酒蔵の提携が決まると思っていたが、そんな簡単なことではないとすぐに気がつくことになった。


最高の日本酒は造りたいという思いはあるものの、会社としての実績はなく、資金は潤沢にあるわけでもない。もし商品を開発したとしても、売り先となる店舗との繋がりがあるわけでもなかった。


日本酒業界において、「経験、お金、人脈」なにもなかった。


電話でアポイントを取り、会って話して共感はしてもらえるが、なかなか提携には至らない。


「ちょっとうちでは難しい」そんな言葉を何度も聞いた。


1件目断られ。

2件目も断られ。

そして3件目も断られた。

ついには、10件目までいった。

初めて心が折れそうだった。

「孤独感」

常に孤独を感じた日々だった。
いつまでこれが続くのだろうか....そんなことをずっと考えてきた。


一人で会社を創業し、
一人暮らしをし、
一人で勉強して、
一人で仕事をする。


お金を節約するため、友人と遊ぶのを控えた。

もちろん、酒蔵に行くのも一人で行った。


電車で東京から何時間もかけて酒蔵の近くの駅に行き、そこから2時間ほどかけてレンタカーや、バスで酒蔵まで行く。


一緒に日本酒を造りたいという話をするが、「難しい」との言葉をもらい。

一人でとぼとぼ東京に帰ってくる。

1日中、誰とも話さない日は少なくなかった。

笑顔が自分から消えていった。
人と話していないせいか、コミュニケーションも下手になった。

こんな先行きの見えない未来は初めてで、なにをどうすればいいかわからなかった。


11件目の酒蔵に行った時。

怒鳴られながらこう言われた。
「東京のやつになにがわかるか!うちは、数百年続く酒蔵なんだぞ。お前みたいな、若造と組むわけがなかろう。東京から来るんだったら、手土産くらいもってきたらどうじゃ。」


帰りの車で駅まで向かう帰途、涙がでてきた。今まで抑えてきた感情の糸がプチんと切れた感覚だった。


次の一歩が踏み出せない。


1日中、部屋を暗くして、ベッドで天井を見る日々。

体が動かない。いや、体が動かないというより、心が動かない。


自分は、
何のために起業をしたんだろう。
何のために生まれてきたんだろう。
何のために頑張ってきたんだろう。


白い天井を見ながら、ずっと考えていた。


そして、原点の思い出がふと蘇ってきた。

それは、19歳の頃一人で外国(フィリピン)に行ったときのこと。

 「I love Japanese food!!」
「I like Japanese anime!」
「I want to go to Japan!」

 こんな言葉を、日本人である僕に言ってくる。


 驚きだった。
こんな異国の地で、みんなが日本にこんなに興味を持っているなんて。

日本のことを誇らしく思い、日本がより好きになり、日本にいては気づかないことに気がつくことができた。

 そして、今後はより
「世界中から愛される日本」でありたいなと。

その後、日本文化をより深く学んでいる最中に、偶然にも日本酒の魅力、可能性に気がつき、この魅力がまだ知られてないということに驚いた。そして日本酒文化の発展に尽力することを誓った。

「日本酒を世界中で飲まれるような酒にしたい。」


この原点で誓った言葉が、ベッドに横たわる自分の心に刺さる。。


「このままでは、終われないなぁ。。。」

「もう一回だけ、チャレンジしてみよう。」


ただ、資金は底を尽きかけていて、もう行ける蔵の数は限られていた。


慎重に決めよう。まだ残っている酒蔵の中から、より厳選し最後に残ったのが山口県にある「はつもみぢ」という酒蔵。


次の日、手が震えながら、電話をした。
「お話したいことがありまして、明日、お会いできませんでしょうか?」


要件を一切伝えず、会う約束だけをして、電話した次の日に山口に新幹線で向かった。


酒蔵に着くと、原田社長が出迎えてくれた。

原田社長は、酒蔵の酒造りを一時期やめていたころに12代社長に就任した。原田社長は県の唎酒競技会で優勝10回を誇る百選練磨の唎酒名人であり、その舌があればいい酒を作れるのでは?と一念発起し、酒蔵の酒造りを再開した地元で大変有名な方である。

席につくと、社長からの「酒蔵の歴史、酒へのこだわり」といったお話をじっくり耳を傾けたあと、「あなたはなぜ突然きたんだね?」と促された。

いよいよだ!
「とにかく思いを伝えよう。」そう心に決め、ある表を見せた。

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「この表は、国内で販売されている、日本酒とワインの価格表です。」

見てのとおり、ワインは、1万円以上の値段帯が一番多いですが、日本酒の場合、0円~5000円までの価格帯で、94.2%も占めています。

「これすごくおかしいと思ってます。」


原田社長が頷く。
「確かに思えば、値段が一緒って違和感があるなぁ。」


「僕自身も、すごく違和感があり、なんでだろう?といろいろと聞いて回ってるうちに、その問題は流通の問題がありました。」

「日本酒がメインで消費されて場所として、飲食店が多いということです。酒蔵は売上をあげるために、飲食店が購入しやすい3000円前後で売らなければならなかったわけです。」


「これの何が問題かといえば、3000円ほどの価格の中でいかにコスパのいい酒を造るかに注力しすぎてしまったわけです。


また、このような値段の日本酒を造るために、大手酒蔵が先導して、ボタン一つで、日本酒が造れてしまうような仕組みをつくり、大きくコストダウンをはかりました。結果、日本酒は安いけど質は低いというイメージがついてしまいました。


「ただ、世の中のニーズは変わり、良いものには特別な体験として投資を惜しまない方々が増えてきています。」


「僕ははつもみぢさんと共同で、人生を変えるような最高峰の日本酒を作り、日本酒の素晴らしさをより多くの人伝えたいんです!」

「どうかお願いできないでしょうか?」

原田社長は、「うーん。」という1分ほどの長い沈黙のあと話し始めた。


「たしかに、平野くんがいったように、日本酒が売れる値段は、一升瓶で3000円前後。酒造りは実際やってみてわかるが、ほんとに大変。それにも関わらず安すぎると思っていたんだよ。」


「普段はこういう提案は受けていないが、今回、平野くんの熱い思いにかけてもいいんじゃないかって思っている。」

「よし、一緒に、最高の日本酒を造ってみよう!」


やっと、酒蔵と提携できた瞬間だった。

山口からの帰りの新幹線で、前回断れた時よりも、もっと泣いた。

「こんないい酒蔵と、最高の日本酒を造れる。。」

誠心誠意、本気の志でぶつかれば、大きな夢を引き寄せることができる。そんなこと実体験として得られた。人生にとって貴重な体験だった。

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#vol .6 最高の日本酒造りへの挑戦と精米歩合非公開の決断。

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酒造りにあたって、最も重視したのが、単純に誰が飲んでも「ウマイ」という日本酒だった。


なぜなら、僕自身がそうだったように、人生で最初に飲む日本酒は、大学生になって、アルコール飲み放題のような居酒屋で、散々のんだ上で、安くて美味しいとは言えない日本酒を飲み、日本酒って美味しくないと思ってしまう人が少なくなかったからだ。

その経験が、日本酒を敬遠してしまう理由になっている。


だからこそ、日本酒をあまり飲んだことがない人や、日本酒に苦手意識がある人に日本酒の魅力を伝え、感動してもらえるような日本酒を作りたかった。


そこで、まずこだわったのが、原材料。
米と水が重要になってくる。

米は、「酒米の王様」と呼ばれている山口県産「山田錦」を100%使用することにした。様々な農家を訪問し、厳選した農家と契約を結ぶことになった。

この農家なくして、今の鷹ノ目は完成しなかったと思う。

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次に、水。

昔から日本酒は水が重要だと考えられてきたが、それは今でも変わらない。

酒蔵から車で数時間ほどのところにある山奥。周南市鹿野地区で涌き出でる数十年の年月をかけ、自然がろ過した命の水「伏流水」を使用した。


最高の酒米、水を準備し、次に精米歩合についての話になった。
(精米歩合とは、米をどれだけ削って酒を造ったかという数値のこと。)


どれだけ酒米を削ったかによって、味わいも大きく変わってくる。


精米歩合について、様々な研究を重ねていくと。


日本酒業界にある課題が見つかった。

既存の日本酒の値段は、精米歩合の数値によってほぼほぼ決められているということ。


例えば、精米歩合70%(お米を30%削った)の日本酒と精米歩合40%(お米を60%削った)の日本酒を比較すると、精米歩合40%の方が値段は高く、価値が高いという風潮がある。


特に、1万円以上する高級な銘柄ほど顕著にそれがある。


精米歩合20%や精米歩合8%、最近では1%というお酒が出てくるようになり、意味のわからないスペック競争が繰りひろげられている。


実際、米を磨けばみがくほど、キレイにはなるものの、スッキリしすぎたり、味わいが均質化してしまう。せっかく高い酒米を使っているのに、米本来の良さを捨てているようなものだ。


この日本酒への評価軸は、味わいを無視した、スペック勝負のような気がした。

そんな課題に頭を悩ました。


もし、プレミアムな日本酒を売るとなると、精米歩合の数値は低ければ低いほど、価値は高いと認知される。

だから、商売としては、売りやすくなる。

ただ、それをやってしまうと「ウマさ」のみを追求する。という、今回の信念から逸れてしまう。


「それではダメだ!!」

精米歩合にこだわらない、単純にウマさのみを求める日本酒を作ろう。

そして、「精米歩合の情報にとらわれず、そのままの味わいを楽しんでほしい」との願いから「精米歩合」も非公開にする。

この、精米歩合非公開は、日本酒業界においても異例の決断となる。


それから、ようやく酒造りが始まった。

何度もの試飲を重ね、何度もの改良を重ねてた。

また、原田社長が自ら酒を仕込んでくれるようになり、様々な問題をクリアして、やっとの思いで、完成したのである。



なによりも追求したその味わいは、

厳選した”山田錦”と、山奥から湧き出る”伏流水”を、300キロほどの少量タンクで丹念に仕込み、素材の持つ甘みや旨みを引き立たせる。

パイナップルのような芳醇な香りと酸味に心地よさを感じつつ、オレンジピールのような上品な苦味が全体をまとめる高級感のある味わいは、極上の白ワインのような深みをもたらし、

ボディの強さから、肉料理とも絶妙に調和。日本酒と肉料理の、これまでないマリアージュも楽しめる味わい。

名前は「TAKANOME(鷹ノ目)」。

意味は、鷹のごとく高い視点から物事を捉え、既存の固定概念に捉われない本質的な日本酒の味わいを生み出し、世界に羽ばたく日本酒でありたいという思いを込めた。


鷹ノ目が完成後、ホームページ、ラベル、箱などを造り、2019年10月16日に販売を開始した。


販売開始後、鷹ノ目の完成を待ってくれた多くの方々が、購入してくれ、驚くことに、5分ほどでその日の分は売り切れ。翌週も、口コミ等で広がり、販売開始後7分ほどで即完売という驚きの結果がでている。

(酒造りからラベル貼り、箱詰め、発送までのほとんどを丁寧に手作業で行っており、生産数の関係上、週に1回のみの販売としている。)


これは想定していなかった事態で、需要に応えられるよう現在生産を急いでいる。


何かを生み出すには「苦しみ」がつきものだ。特に、今回の開発した日本酒は、酒米から、日本酒造り、パッケージデザイン、ホームページ、流通、ブランディング 全てを自分が関わり、生み出しいった。

たとえば、鷹ノ目のラベルデザイン完成まで数ヶ月の時間を要した。

何十とあるデザインの選択肢の中から選んでいき、その後何度も修正をして、印刷をする。印刷にしたって、どの印刷会社に頼むのか?どの紙質にするのか?コストの調整などをさまざまな選択肢がある中で決めていかなければならない。

このようなことは、正解がない。

だからこそ、自分にどれだけ哲学があり、信念があり、思いを持ってつくっていけるかが重要になってくる。


今回の日本酒開発は今思うと、狂ったかのように「うまさ」のみを追求するという信念で進んできた。意識はしてなかったが、全ての選択する際の哲学となり、ブレない選択ができたのではないかと思う。

今の販売後の即完売という現状を見て、熱い思いを持って日本酒を造ってきてほんとによかったなとほっとしている。

苦しんで、苦しんで、苦しみながら生み出したあとの喜びは想像以上。


ほんとに長かった先行きの見えないトンネルの奥から、光が少し見えた気がした。

開発した日本酒-鷹ノ目が多くの方にとって、最高の1本となりますように。

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最後に。

数年前に、僕一人で立ち上げた日本酒ベンチャー株式会社Forbulは、仲間になってくれる方が増え、今では僕一人ではなくチームとして動いています。

創業してから、ずっと感じてきた孤独感は、
今ではなく、メンバーに支えられながら走り続けています。

まだまだ、僕個人としても未熟で、会社として未熟だけど、自分の思いに共感してくれ同じ目標に向かってくれてる仲間には感謝しています。

彼らなくして、今のForbulはないし、将来のForbulはないです。

ほんとにありがとう。

鷹ノ目のストーリーは多くの人に感動をもたらすまで終わらない。



公式ホームページ

https://takanome-sake.com/

鷹ノ目のtwitter とInstagram

https://twitter.com/takanome_sake

https://www.instagram.com/takanome.sake/?hl=ja



最後まで読んでくださりありがとうございます!サポートはさらなる価値を提供できるよう、お勉強代にさせていただきます!