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冒険と移動

初めての一人旅は高校生のとき。
夜行バスに乗って東京へ行った。
当時気になっていた写真家のトークを聞くためだった。

その時は、1人で鳥取の外に出るのも初めて、夜行バスも初めて、切符を買うのも初めてなら、電車に乗るのも初めて、ネットでしか見たことない憧れの人を目の前数メートルに見るのも初めてで。
帰りの夜行バスでも、すごく大冒険をして帰ってきたような感動があった。

実際、自分の行動の範囲外に出るのは、いつでも大冒険なのだ。

私のいちばん最初の大冒険は小学校にあがったとき。
それまでは、徒歩3分程の保育園に通い、近所の友だちの家へ遊びに行き、車で出かけるときは母親といっしょの生活だった。

それが、6歳の足で30分ほどかかる学校に通うようになったのは、自分の中で世界が一気に広がった出来事だった。

1度だけ、1人での下校中、通学路の道ではない道を行こうとした時がある。
「この道はどこに繋がっているんだろう」という素朴な疑問。
いつもと違う道を2,3m進んだところで、見たことのない景色が現れて、怖くなって急いで引き返した。
今ならまだ戻れる!とその時は一大事だった。
2,3m 進んだことで、普段歩いている道からは見えない家や風景が見えて、急に知らない世界へ足を踏み入れてしまったような感覚だった。
いつもの道に戻った後も、しばらくは心臓がドキドキしていた。

当時の私はとってもビビりだったのだ。

今日は 鳥取→広島→東京 となかなか大移動をしたのだけど、羽田に向かう飛行機の中で、あの頃の感動がなくなってしまったなぁ、と思っていた。

乗り物に身体さえ乗せてしまえば、あとは目的地まで運んでくれる。

昔は【東京】という文字だけでも不思議な世界だったのに、今はあまりその感覚がない。

土地が、というより、もっと固有なものに自分が価値を置いているからかもしれない。

この人がいるから
こういう企画をしているから
こういう場所があるから

それは、東京でも鳥取でもその他の場所でも。そして、その土地ではならない、というモノコトはあまりないような気がしている。

東京に行くために移動しているのではなく、その人、その場所を求めて移動している。

これは、結構違う気がする。

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hiragi ayako
twitter : @____hrg


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