希望が死んだ夜に / 天祢涼

希望が死んだ夜に / 天祢涼

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中学生による刺殺事件のニュースがあった。

被害者は中学3年生の男の子、加害者も中学3年生の男の子だった。

たまたま耳に入ったニュース、手に持っていた小説がこれだった。

ネットにはいじめだとか被害者が悪いとか加害者が悪いとか、色々な推測が流れていて、苦しくなって小説に目を戻した。

この小説も中学3年生、14歳の女の子が同じクラスの女の子を殺した罪で逮捕されたことから始まる。

犯行は認めるのに、動機は一切語らない。少しでも動機の話題になると、口を閉ざすか、一言しか言わない。

「わからないよ あんたたちにはわからない」。

私が中学生の時に抱いていた感情とは真逆だと、ふと当時を思い出した。

もうだいたい10年前の話だけれど、中学生の時、私は大人はなんでも知ってると思っていた。

どうやって勉強すれば成績が伸びるのか、どうやって進学先を選んだらいいのか、この先後悔しないためにはどうすればいいか、どうやったら幸せな人生を生きていけるのか。

私が今立っているレールの先には必ず大人たちがいて、今黒板に向かっている大人たちは私の抱えている悩みをとうの昔に乗り越えて、きっと生きていく上で有益な情報を教えてくれるのだと思っていたくらいには子どもだった。多分、この小説に出てくる女の子のほうがもっとずっと大人だった。

反して、そうやってぬくぬくと周りの大人たちを信用して、私が子どものままでいられたのは、家がある程度お金があったからだと思う。

ピアノを習いたいと言ったら通わせてくれた。DSが欲しいと言ったらクリスマスまで待ってねと言ってくれた。へとへとに疲れた運動会、お寿司を食べたいと言ったら連れていってくれた。どうしてもこの学校で学びたいと言ったら、無理して私立に行かせてくれた。

きっと彼女にとって、私は「あんたたち」だ。贅沢な生活を送らせてもらっていた私にはきっとわからない。

決して裕福すぎる家庭ではないけれど、「お金が無い」という理由で断られたことは一度もなかった。とてつもなく恵まれていた。

私は私が「子ども」でいることを許されたけれど、決してここに出てくる彼女らは大人みたいになりたかったわけじゃない。環境によって「子ども」でいられなかっただけだ。

多分それは、彼女側の視点だけじゃ分からないし、刑事側の視点だけじゃわからない。きっと全てを分かるには、登場人物全ての視点を見なければ分からないと思う。

でも、物語ですら難しいのに、現実世界で全員の視点なんて見ることはできない。だから私たちは想像しなければいけないのだ。

私の周りは、私を含めて子どもだらけだ。私立だったし振興住宅エリアだったから。今までそう思っていた。

でも少し「想像」を働かせて、考えてみたい。

私が直接出来ることは少ないかもしれないけれど、きっと彼女たちの存在を知っていたら、誰かが差し伸べる手のひらにつながるかもしれない。


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