死にたがりの君に贈る物語 /綾崎隼

死にたがりの君に贈る物語 / 綾崎隼

本好きにとって、好きな作家や作品は推しに等しい。

綾崎隼さんという作家は、私にとって推しの1人だ。

出版された綾崎隼さんの本は全作持っているし、うちほとんどは恐らく初版で持っている。以前都内の書店で行われた100名様限定サイン会は新宿まで走って勝ち取った。

この好きは、きっとここでは語り尽くせないので後日また取っておこうと思う。

ともかく中学生の頃から20代前半の今までずっとずっと好きな綾崎隼さんは、私にとって「好きな小説家」では収まらない作者さんだと思う。

そんな綾崎さんの最新作を、背表紙に皺が出来るほど読み込んだ。
皺ができた理由は、あまりにも自身と純恋が重なってしまったからだ。ページをめくる度に力が入って変な風に握って、皺になってしまった。

10何年も本好きを続けていると、未完に出会うことが度々ある。それはただ単に作品の未完だけではなくて、作者さんの未完だ。
きっと綺麗な作家人生の完結なんてものはほとんどないのに、私にとってその作者さんがぱったりと消えていなくなってしまったように感じたことが度々あった。

私は、「この本を読むために生きよう」と思った経験が何回も、何十回も、何百回もある。
残業祭りの社会人1年目、続刊の周期を予想して、きっと半年後に読めるであろう続きを未来へ進む杖にしていたことがあった。

どんなに嫌な毎日でも「あと3ヶ月」「あと2週間」、ただただ既刊本を読んで、続きを切望して過ごした時もあった。

だから、純恋の気持ちが痛いほどわかる。
生きる糧がなくなったら、私たちは多分何を杖にしたらいいのか分からなくなって、ひとりで立っていられなくなる。
毎晩苦しくて、どうしてだろう、何か私に出来ることがあったんじゃないだろうか、思いを伝えたことはあっただろうか。もっと好きを伝えればよかった。
そう後悔しながら、折れた杖を手に、ただただ悲しむことしか出来ない自分がもどかしくて消えたくなってしまう。

作家さんが筆を置いてしまったのならば、私には責める権利はもちろんないし、縋る権利もない。ましてや、亡くなってしまったのだったらただただ後悔するしかないのだ。

だけれど、この本を読んで、私の気持ちがもしかしたらもしかしたら、届いていたのかもしれないと、少しだけ思うようになった。
作家さんにとっては私が買ったのはほんの数冊で、作家さんにとって私が送ったファンレターは何万通もあるうちの1通だったかもしれない。だけれど。もしかしたら、私を支えてくれた物語の支えになれていたのかもしれない。ほんの少しだけ、そう思うことが出来た。

実は綾崎隼さんに何度かファンレターを送って、お返事を頂いたことがある。受験のせいで私が送ることが少なくなってしまったことに加えて、綾崎さんもお忙しさが増したようでハガキが届かなくなった。
そんな大好きな綾崎さんが、この物語はもらったファンレターのお返しと仰っていた。
そんなファンレターのお返しに返事を書きたいと思う。「あなたの紡ぐ物語があるから、私は生きていこうと思います。」なんて結びにしたらありきたりだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?