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「もうちょっと、あともうちょっと」が人を生かす

 2023/9/5のQrzoneを聴いた。
わたしは、菊池風磨さんのこういうところが好きで、救われているのだと改めて思う。

出かける日、時間の使い方の些細な変化。
スイカ割りの声が響く空間。
大人になること、その一面、そうなりたくなかったと語る声。

ほんの少しのことをたぶんいろいろ覚えていて、いつでも取り出せるのだろうな、と常々思っている。
そのことがどんなに人を生かす糧になるか、実感としてわかっている人なんじゃないかな。
あくまで私個人の見方だけれど。

 一年前、私は先行きのわからない真っ暗闇の中にいて、外に出られなくて、毎日12時間くらい眠り続けていた。
何もできなかった。「この先」が怖すぎて。

だけど、SexyZoneを知って、風磨くんを知って、人は少しずつ、ちいさなことを乗り越えながら生きていけばよいのだと教えてもらった。
それがどんなに私を勇気づけたか、どんなに当時の私にとって救いだったか、言葉ではとても表しきれない。
言葉でなんとかあらゆることを伝えるために仕事をしているから、普段ならどれだけ冗長になっても書こうと思うけれど、これだけは。
とてもじゃないけど、ぜんぶを表す言葉を私は持たない。

 Chapter IIのアリーナツアーで、風磨くんは「ライブは現実逃避の場ではない」と言ったそうだ。
そうだよね、と思った。
初めてライブBlu-rayを見たとき、終わったあと辛くなかったのが印象に残っている。
終盤に向けて少しずつ、少しずつ、現実に向けてやさしく背を押してもらっている気がした。

現実から逃げても、現実はそう簡単に終わってくれない。
少しずつ壁を乗り越えて、少しずつ楽しみながら、歩いていくしか、ないのだ。
外の世界を遮断して眠り続けても状況は変わらなかった。
終わってくれたらどんなにいいかと何度思ったかしれない。
終わらないのだ。
良くも悪くも、現実はそう簡単に終わらない。

それをよく知っていたから、SexyZoneのライブは響いた。
今回風磨くんのMCのレポを読んで、「逃げ場」ではなく、「現実に寄り添う」ことを目的としてくれていたことがわかって、やっぱりそうだよねと思ったのだ。

人生のことを「平凡なときもつらいときもある道の途中に時折夢みたいに最高な瞬間があって、それをいかに記憶して、折に触れて思い出して生きていくか」だと思っているので、その記憶をくれることがありがたい。
SexyZoneは夢幻にしない。現実の記憶として、これからも抱きしめて歩いていけるものをくれる。
風磨くんがラジオで話していた夏休みの記憶みたいに、SexyZoneのライブの記憶を抱きしめて現実を生きていくことができるのだ。

 そういうSexyZoneが、風磨くんが好きで、いちばん死にたかったときに生かされて、今も毎日少しずつ救われている。
そのことは何があっても変わらない。

これからもSexyZoneを応援しながら、もうちょっとずつ救われながら、あともうちょっとずつ自分の人生を頑張っていくだけだ。

 あと、最後にひとつだけいいですか?
風磨くん、夏休み楽しかったみたいでほんとうによかったです。私も聴いてて楽しかった。
逃げ場になるんじゃなくて、現実を生きていくことに寄り添ってくれてありがとう。ほんとうにありがとう。たくさん救われています。
これからもよろしくね。ずっと応援しています。

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