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ペルーに連れてってもらった。クスコは標高3399mなんだって!


朝、クスコのバスターミナルに着いた。思いがけない素晴らしいバスで、シッカリ眠れたことがありがたかった。着いたバスターミナルで顔を洗って口をすすいでタクシーでホテルに直行。
左側がホテルの入口。ホテルの入口の所に民族衣装を着ている女の人がいた。彼女は誰を、何を待っていたのかな?

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ホテルの受付の壁に絵が掛かっていた。
リマに着いて2日目に行ったラルコ博物館で覚えたクスコ派の絵だった。ここはクスコだからねと納得。

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荷物を預けたあとは、歩いて最初に市場を見に行く。市場はこの坂を上って左側にあった。

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坂の途中から上って来た方を振り返ってみる。

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市場の中には、大きくてとても開放感がある食堂があって、これはアレキパとの大きな違いだった。
アレキパの市場よりも小さな店がたくさんあるという感じで、果物、野菜の色がきれいなのは一緒!特に写真は撮らなかった。
この市場で生の果物のジュースを作ってもらった。冷たくはなかったけど、フレッシュジュースを飲んで、ホッとしたことを覚えている。

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市場を見たあとは、アルマス広場に行く。
リマでもアルマス広場があった。アレキパでもアルマス広場があった。クスコでもアルマス広場だという。
どうやら、ペルーでは大きな広場はみんなアルマス広場と言うらしい。広場の真ん中にはやはり噴水が。
山の上の方まで家が建っている。

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広場の周りグルっと。

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カテドラル(大聖堂) 

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お昼はこの広場に面しているレストランでいただいた。

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裏は中庭みたいになっていたように記憶している。違ったかな…。
中庭に面して、お店があって楽しい雰囲気だった。

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クスコの街を見て歩く。
インカの石組みは石と石の間にカミソリ一枚も入れられないという精巧な造りだそう。スペインに征服されたあと地震が起きて、スペイン人が作った石の壁は崩れたけれどインカ時代の壁は崩れなかったそうだ。
そのインカの時代の石組みがクスコの街では所々に残っている。
そのインカの時代の石組みの道。右手奥に12角の石がある。

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12の角を持つ石。

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これは別の通り。

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この博物館に入る。

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デザイン、色合いが日本の織部焼きを思い出させた。

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ペルーでは、どの時代もネコ科の動物、鳥、蛇が神聖な動物とされ、土器もその3つが融合した形や、擬人化された形で作られたり、文様にも使われていたそうだ。

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奴さんみたい!

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この土器は、目がおもしろいです。ペルーは、長い時間の流れの中で、いろいろな文化が栄え衰退していって、最後がインカ帝国のインカ文明で、スペインに滅ぼされたそうです。

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これは、なに文化の土器なのでしょうか。

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何を表しているのかわからないけど、優しい感じですね。

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次は、聖ドミンゴ教会(コリカンチャ、又は、太陽の神殿)というインカ時代の神殿だった所を見に行きます。
スペインによって太陽信仰の神殿は壊され、その上に建てられたスペイン風の教会の建物ですが、
丸い石垣の所など、土台の一部に太陽神殿の壁が利用されているそうてす。

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中庭はこんな感じです。
太陽神殿のときは、神殿全体が金で装飾されていたそうですが、スペインに征服されたあとはほとんどの金は奪われてしまったそうです。内部では、修復された部屋、月の神殿など精巧な石組みの部屋、作りを見ることができました。

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コリカンチャを見てから、カルロスの知り合いの方が勤めている、格式のある古いホテルの中を見せてもらい、ミイラを見るか?と聞かれ、あまり興味はないなぁとみんなが言って、ミイラは見ませんでした。

夜ご飯は、このレストランで食べたらしい。
ショーが行われていたらしい。
というのは、写真はあるけど、私の中では、全く記憶が飛んでて、何も覚えてないのです!!!
一時の高山病???今でも不思議です。

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夜のアルマス広場

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今日は 標高、3390m のクスコの街を、たくさん歩きました。
夜ご飯の不思議な時間を除いては、1日無事に過ごせてありがたかったです。





















































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