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可愛くなったおじいさん。        ここはワシが!って…。

おばあさんが亡くなったあと、認知症が少しずつ進んでいるおじいさんと、私達夫婦、私達の友達夫婦との交流、思い出。

いつものように、友達夫婦を家に呼んで、おじいさんと5人で食事をしていた。
おじいさんは夜ご飯のたびに、口癖のように言う言葉がある。
「これはうんまいなぁ〜、こんな美味いものは初めてだなぁ〜」

その日は、お刺し身だった。
おじいさんは、これはうんまいなぁ〜、こんなうまいものは初めて食べるなぁ〜といつものように言いながら、刺し身をビールのコップの中でしゃぶしゃぶして、食べている。
そして、友達の奥さん(すーちゃん) の方に向かって、こうやってやるとこれもうんまいんだわ、あんたも飲んでみやぁ
と、そのビールのコップを差し出した。
私は、向かい側に座っていて、エッ?と思ったけど、
すーちゃんは、ほうかね、じゃあひと口ごちそうになるかねと、飲むマネをしてからおじいさんに返しながら言った。

じい、ありがとうね、うんまかったわ。だけど私はこっちの方が( 自分のコップを指して)好きだから 、これはじいに返すで、じい飲んで、と上手に相手をしてくれた。

認知症になってから、おじいさんは、否定されたり頭ごなしに言われると怒りっぽくなっていたので、とりあえず、分かったよ!と認めてあげるようにしていた。
それをすーちゃんは、私達のそんな思いとは関係なく、おじいさんを受け入れてくれていたのだ。
自然におじいさんに寄り添ってあげられるすーちゃんは、本当に素敵な人だなぁと思った。その姿を見て、私もまだまだだなぁと、勉強させてもらった。

汚い話で申し訳ないが、ある時、おじいさんがトイレに入ってなかなか出てこない。
何となく嫌な思いが湧いてトイレに行って見たら、便器の中に手を入れて掻きまわしていた。
ギョッとして思わず大声で何してるの!と言いそうになったけど、いかん!いかん!冷静に!冷静に!と自分を励まして、何してるの?と穏やかに装っておじいさんに話しかけた。
おじいさんは、ニコニコしてこんな物があったで、何かなあと思ってよぉ、だって。
そうか!気になったんだね!でも、これは水で流れていくやつだから、気にせんでもええよと、おじいさんの手をトイレットペーパーで拭いて、トイレの水を流した。
おじいさんは、あれ、なくなっちまったなと、驚いていたけど。

もちろん、その後おじいさんの手をしっかり石鹸をつけて洗った。
認知症を患うおじいさんにしてみたら、自分のウンチを見て何かな?と思って触っていただけで、悪いことはしているなんて思ってもいなかったので、私が驚いて大きな声を出していたらおじいさんもパニックになったと思う。
お互いに嫌な思いをすることもなく、普通にやり過ごせて心底ホッとした。
それと同時に、また一つ気をつけなければならないことが増えたなと思ったのだけれど。

 この時、私はおじいさん状態、私の状態を冷静に見れるようになっていて、認知症ではあるけれど、おじいさんに人として愛情を持って接することができたことを感じ、何となく自分なりに介護者として、人間として階段を1つ上がったと思った。形だけじゃなくて心に寄り添えた、前のビールでしゃぶしゃぶの時のすーちゃんみたいになれたんだ。嬉しかった!

そして、また別の夜の話。
いつものように友達夫婦とおじいさんと5人で食事をしていた。
だいぶお腹も満ちてきた頃、おじいさんが、友達の旦那さんの方(みきくん) に向かって
「ここはワシが!」と、お勘定を払う仕草をした。

みきくんは、真面目な顔でおじいさんに向かって
「ありがとうね!だけど、今夜は、ひーちゃん(おじいさんの息子、私の旦那さん)がもう払ってくれたで、じいは払わんでもええよ。また、この次に頼むわ」って。

目の前に長男夫婦がいるのに、ここはいつも住んでいる家なのに???と笑えたけど、でも、いつもご馳走になってばかりではいかんと思ったのだろうか?
認知症でも、そんな社会のお付き合いの感覚が残っているんだ!と、人の頭の不思議を感じた。

その後、これで拭くでええわな、と並んで、ここはワシが!のおじいさんの言葉が、みんなで楽しい思い出を語り合うきっかけの言葉になっている。


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