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学校行事で、イナゴ取り

たまに車で出かけると、、季節がどんどん変わっていくのにビックリする。
つい先日、この辺りは赤い彼岸花がいっぱい咲いていて、彼岸花の思い出が溢れ出てきたのだけど、
いつの間にか、すっかり稲刈りが済んでいて。それを見るとまた、その景色からいろいろな思い出が湧き上がってくる。

刈り取りが終わった田んぼを見て、思い出したこと。

私の生まれ育った所は、冬は雪がたくさん降る長野県の北の地方。
夏は田んぼに稲が青々と育ち、水が良いのでおいしいお米が採れる所。
昭和30年代のその頃、猫の手も借りたいほど忙しい春の田植えと、秋の稲刈りの時期は、今と違って、子供達の力も必要だったらしく、
田植え休み、稲刈り休みと、それぞれ一週間くらいの休みがあった。
あと、寒い時期の、寒中休みというのもあった。

多分その分、夏休みや、冬休みが短かったと思うが。

そして、秋の、稲刈り休みと共に思い出すのは、
小学校の時の、イナゴ取りのことだ。
何年やったのかは、覚えていないが、2、3回は回は行ったような覚えがある。

稲刈り休みの少し前の時期だったか、田んぼに稲が実りイナゴが飛ぶ時期の午前中、小学校の生徒たちが周辺の田んぼにイナゴを取りに行くのだ。
それぞれ家で作ってもらった木綿の袋を手に持って、イナゴを取って歩く。

朝の集会で、イナゴ取りにいく前に、校長先生から受けた注意は、田んぼの中まで入って行って大事な稲を倒したりしてはいけないということ。
畦道を子どもたちに追いかけられたイナゴは田の真ん中に逃げてしまって、なかなか捕まえられない。
田んぼの中まで追いかけて行ったら、たくさんイナゴがとれるだろうなぁ〜と思うけど、実際に稲が実っている田んぼに入ったら、思うように動けるものではないのだけど。

そして、イナゴ取りが終わった次の朝会では、校長先生から、皆さんで取ったイナゴは、何キロあって、どこどこのお店に買って頂いて、いくらになって、それで、学校の図書館の本を買います、とのお話があったことを覚えている。

その時の校長先生の考えなのか、他の小学校もやっていたのか、今となっては分からないことだらけだが、
考えたら、稲の葉っぱを食い荒すイナゴを取ることと、田んぼを守ることと、みんなにとって良い事だったのだろうか?
今思えば、高学年だけ行っていたのかな、とも思うが、昔のことでうろ覚え。

でも、秋晴れの気持いい天気の時、田んぼに出て、イナゴを取ってまわるのは楽しかった。
子供の手にはピョンピョンと跳ねるイナゴは、なかなかうまく捕まえられなかった。
ソーッと手を出して捕まえた!と思っても、瞬間に逃げられてしまう。

そして、折角取っても、袋に上手に入れないと、ピョンと逃げてしまう!
取ったとき、手の中でモゾモゾする感じ、木綿の袋の中でゴソゴソと動いている感じは、いつまでも忘れられるものではなくて、懐かしい。
今思うと、イナゴが怖くて触れない子どもはいなかった。

イナゴを食べるのは、郷土食というのか、その頃は当たり前のことで、どの家でも食べていた。きっと嫌いな人もいたとは思うけど…。

取ってきたイナゴは2、3日そのままにしておき、お腹の中をきれいにしてから、熱湯で湯がき、油で炒りつけて砂糖醤油で味付けをした。
佃煮ふうで、日持ちがした。

母は、器用で料理がとても上手な人だったので、母が作ったイナゴはカリッと香ばしくて美味しかった。
他所の家でご馳走になったある時、炒りつけが足りなくて、美味しくなかった。
最初にあれを食べていたら、多分嫌いになっていたと思う。

今の長野では、食べる人もいなくなっているのだろうか。

昆虫食、
言葉で聞くとちょっと引いてしまう感じがするが、今住んでいるこの地域は、地蜂の子を食べる習慣がある。
川の中のザザムシというのを食べる地域があることも知っている。
そうそう、長野では、タンパク源として、蚕のサナギも食べた。

幼い時からそれが当たり前のこととして育ったら、どうってことないんだよね。

自分の生活では身近ではないけれど、世界ではいろいろなものを食べる習慣があるという。
カエル、ザリガニ、サソリ、鳩、などなど。
セミはおいしいよ!と聞いたこともある。
それを自分の感覚、価値観で、どうこう言うことは、ちょっと違うかな?と思う。

あぁ!でも、私、昆虫とは違うけど、蛇だけは絶対に食べられない!
中国で、蛇料理の店の前の道路で、蛇が入っている袋がグニュグニュと動いているのを見たとき、絶対、無理!と思った!!

でも、それは私が、小さい頃から蛇を食べる習慣がない世界で育ったからで、もし、小さい頃から食べていたら、おいしそうと思ったかもしれない。

そんなどうってことのないことを考えながら、帰ってきた。


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