見出し画像

ペルーに連れてってもらった。リマに着いた。

主人が亡くなった後、長男が「ペルーに行くけど、一緒に行く?」と、誘ってくれた。
えっ、ペルーのような遠い所へ行けるなんて! 喜んで連れてってもらうことにした。
長男夫婦、長男の若いペルー人の友人カルロス(仮名)と私の4人の個人旅行だという。
息子から聞いたのは、出発と帰りの日にち。あと、カルロスの家族に会うからお土産を用意しておいてね、との2つだけ。
どこを回るのかなど、具体的なことは何も分からなかった。
まぁ、連れてって貰えるだけでありがたいので、いいか。

メキシコで乗り換え。
メキシコの空港の待ち時間。
マルガリータ、美味しくてみんなでお代わり何杯も!

画像5

画像4


メキシコ経由でペルーのリマのホルヘ•チャベス国際空港に着いたのは午前結構早い時間だったような。
空港からホテルの道はどの家も塀が頑丈で防護をしっかりしている。
カルロスが言うには、空港の周辺は治安が良くないということで、言われてみれば、埃っぽく落ち着かない感じの街並みだった。

ホテルでは、ウエルカムドリンクにピスコサワーを頂いた。
ピスコサワーは、ブドウの蒸留酒のピスコと、ライムジュース、シロップで作るカクテルで卵白を加えたもの。表面を卵白がふわっと覆っていて、白っぽく濁っていた。初めて飲んだけど、ライムの酸味と柔らかい舌触りで、美味しいなと思った。 

チェックインの後、私は疲れていて休みたかったので、部屋に残ったが、若い人達はお昼ごはんを食べに出かけた。
今夜はカルロスの家族とご飯を食べる予定だと言われていた。
いつ帰ってくるか分からない人を待つのもつまらなくなって、散歩に出かけた。

画像6

上の写真はホテルの窓から見うた景色。

ホテルの場所は、道は広く街路樹も大きく育っていて、碁盤の目になっていて分かりやすく、安全に思えた。店や住まい会社などがそこそこの高さのビルの建物に収まっていた感じ。男の人がたくさん集まっている場所もあった。何なんだろうか?
住宅も門や塀がしっかりしているけれど、木、花などが手入れされている様子が見えて、その植物達が日本の雰囲気とは違って、ここはもうペルー、リマなんだ!と一回りして、ホテルに戻った。

夜、レストランに行くと、カルロスの家族だけではなく、おじさん、おばさん夫婦など大勢が集まっていてビックリ!
日本で息子が帰って来るのを迎えるのとは、雰囲気が全然違ってお祭りみたいだった。
離れた席の人とは話すこともなく、目が合えばニッコリとして、取り分けて頂いたお料理を頂き、最後にはみんなで記念写真を撮ってお開きになった。

レストランの店内で、テーブルに行くまでに並んでいたたくさんの種類の食材。これだけで圧倒された気分だったな。写真が少なくて残念ですが。

画像1

画像2

このレストランで、頂きました。

画像3

カルロスのご家族は、ご両親、妹さん夫婦。
今夜集まった親戚の人達もみんな明るくて、見ていても心にゆとりのある方々で楽しそうでした。

ホテルに戻って、寝る前に息子夫婦が言うには、この日のお昼のレストランの料理がとても美味しかったと。特にセビーチェが美味しかったんだと!
それと、天野プレコロンビアン織物博物館がとっても良かったと。
天野プレコロンビアン織物博物館は、日本人実業家天野芳太郎が集めたアンデス古代文明の土器や織物を収蔵している。
私も行ってみたかったなぁ、残念だった。
今日、そこにいくと知っていたら、ついていったのに!

もうこれからは絶対に、みんなと一緒に行動しようと決心したペルー、リマの最初の夜のことでした。

こんな感じで、ペルーの旅行がスタートしました。
いつものことながら、写真も記憶もちょっといい加減なので、思い出したことをポツポツと書いてみようと思っています。
"おばあちゃん、日記をつけていたら良かったのにね〜。そしたらもっと詳しい旅の話を書けたかもしれないよね"って、
孫たちはこれを読んだ時に思うでしょうか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?