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可愛くなったおじいさん、ありがとう!

認知症が進んできたおじいさんと息子夫婦の暮らし。

おじいさんが、一人歩き(徘徊)を始めるようになってから、私の生活が変わった。
おじいさんがデイサービスがなくて家にいる日は、目が離せなくなったのだ。
それでも、最初のうちは、何か興味を引きそうな物を用意しておくと、居間の椅子や、ソファに座ってそれらで遊んでいてくれた。
画用紙とクレヨンのような物は、もう使い方が分からなくて興味をひかなくなっていた。
紙袋に鉛筆や消しゴム、ホチキスなどを入れておいて、テーブルの上に何気なくおいておくと、それらを出して並べたりして遊んでくれた。
袋に入っているものを出すのが好きだった。

ある時、台所にいた私が、ん?えらい静かだなぁと思って見ると、おじいさんは自分の着ているズボンのベルトの辺りを一生懸命ほどいていた。
ちょっとした糸のほつれの所から、服の縫い目をほどき始めていたのだった。
おじいさんが楽しくできることならいいやと、ほかっておいた。
何枚かシャツやズボンがおもちゃ代わりになったが、後で直せば良いことで、そんなことで時間を過ごしてくれるなら、ありがたいことだった。
でも、そんなこともいつかは飽きて、いつも一緒にいなければならなくなった。
家の中だけでは飽きるので、子供たちが行く公園にお弁当を持って行ってたり、スーパーの中を見て回ったり。
夜は主人と3人でおじいさんの部屋で寝て、
昼も夜もいつも一緒で気が抜けなかった。

体も動かしたりしても、疲れないみたいで、おじいさんの気持ちは外に向かっているようだった。
私がトイレに行くときも、これを食べていてねとお菓子を渡して、すぐに戻るからどこにも行かないでね!と言って急いで済ませたものだったが、
おじいさんは、そういったほんの一瞬のすきに出かけてしまうのだった。
それはまるで、漫画の忍者がスッと消えるような感じで、人としての気配が全く無くなって、自然にスーッと消える感じだった。

おじいさんが何回か消えた時は、友達にSOSを出して、一緒に探してもらったり、おじいさんが家から出られないようにいろいろな工夫をしたりした。そして、結局、いつもしっかりと見ていることしかないということになるのだった。

大変だったことのうちの2つ
主人とおじいさんと3人で、妙高高原の今まで何回かお世話になったことのある旅館に泊まった時、気がつくとおじいさんがいない。私達も、女将さんも真っ青!遅い秋の夕暮れ。霧が出てきて空気が冷たくなってきて、どうしたらいいのか、生きた心地がしなかった。
暗くなった坂道を歩いていたおじいさんを地元の人がこの道ならあの宿のお客さんじやないかと宿に連れてきて下さった時は、本当にありがたくて涙が出た。
女将さんも、明日は消防の人に頼んで山狩りをしなくちゃいけないかなぁと思ったよと、ホッとしていらした。
本当に見つかって有り難かった。

もう一回は、主人の妹の娘、おじいさんの孫の結婚式で鹿児島に行って帰ってきた空港でいなくなった時のこと。
荷物を取ろうと、主人と私が荷物に目がいっている一瞬だった。
今、今、ここにいたのに!
主人が探して見つかったが、空港の外まで行っていたと。主人が探した道と違う道をおじいさんが歩いていたなら、もっと時間がかかっただろうし、見つかったかどうか。

どんな時も主人と私が気を抜いていた訳ではなくて、おじいさんが本当にスーッと気配を消して一人で歩いて行ってしまったという感じだった。

1年間の認知症の人の行方不明者が1万5千人以上いると、前にテレビで見たことがある。
その時、1万5千人という人数の感覚は分からなかったけど、認知症の人がいなくなってしまうことが、簡単に起こってしまうことはとてもよく分かるし、そして、一人で歩き出してしまったら街であっても、田舎であっても人の協力がないと探すのが難しいことも分かるし、見つからない人とおじいさんの姿とが重なって、胸が苦しくなった。
ご本人、残された家族の胸の内を思うと、とても辛い。

うちの場合は本当に運が良くて、いつもおじいさんは見つかって家に帰ってこられた。
もし、おじいさんが見つからなかったら、今の私の生活は全く違ったものになっていたと思う。
私の場合は、主人の父をお世話する立場だったけど、自分の連れ合いだったら、自分も同じ位年を取っていて、体力もなくなり、介護ももっと大変だろうなぁとも思う。

自分がどういうふうに弱って老いていくのかは選べないし、認知症になってしまうのは、誰のせいでもない、
もし、おじいさんが可愛くならなかったとしたら、おじいさんの娘、主人の姉が亡くなった時は、おじいさんは辛かったと思うし、嫁の私に紙パンツを替えてもらうときも切なかったと思う。
すまんな、すまんなと言われながらお世話をするよりは、私の場合は、おじいさんが可愛くなって良かったんじゃないかと思っている。
可愛くなってくれたおじいさん、ありがとうだった。



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