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可愛くなったおじいさん、元気でいてくれてありがとう!

まだ、元気な頃のおじいさんは、冬のとっても寒い日以外は、庭に出て植木鉢に水をやるのを仕事のようにしていた。
庭には、歩く場所を残して、たくさんの植木鉢があった。
一番沢山あったのはサツキの鉢。
ちゃんと手入れができていた頃は、こういう形にしようとサツキの枝に針金を巻いて、全体の形を整えていたと思う。

それが形も整えられなくなっていき、
だんだん可愛くなっていったおじいさんの中では、サツキの枝に針金を巻くことだけが残っていたようで、伸びっぱなしの、真っ直ぐな枝に、針金がグルグルと巻き付けられたサツキの鉢が増えていった。
それと同じくして、接ぎ木で増やそうと思ったのだろうか、いろいろな木の枝が一杯突き刺さった植木鉢も増えていった。
芽が出た鉢は無かった。

庭では、赤い南天の実を全部取って、小さなマッチ箱に詰めていたこともある。
あっちの箱、こっちの箱と何度も入れ替えていたな。
松ぼっくりを集めていたこともあった。
おばあさんが亡くなった年は、親戚から一対の盆提灯を頂いた。
淡い水色の生地に、涼やかな草花が描かれた提灯、その下にはくるくると回る灯篭が、きれいな光を放っていた。
その盆提灯を、2年目の夏に出したたところ、おじいさんはこれはきれいだなぁ〜と眺めていたが、何日か経ったある日、その盆提灯が消えていた。
おじいさんは、"これは何かいなぁ" と、思って触っていくうちに分解してしまったんだろうね。縁側に、壊れた盆提灯の竹ひごやら、木枠やらが散乱していた。ビックリ!!
おばあさんの供養で頂いた物を、おじいさんが好きにして壊しても、誰も文句は言わないよね。

写真で遊んでいたこともある。
最初は、お茶を持っていくと、アルバムをじっと見ていただけだった。
ある時、1枚の写真を剥がして、はさみで切り抜りぬいた跡があった。
それがきっかけとなって、だんだん写真を剥がして束ねるようになった。畳の上に写真が散らばっていたこともある。
紙でこよりを上手に作って、その写真を束にして縛っていた。
昔、お菓子や折り詰めを紐で結んで、持ち手を作った、あの縛り方で写真の束を結んでいた。
何日も、写真を入れ替え、結び直し、また、ほどいて。

おじいさんの頭の中では、何が起こってこうなったのか?誰も分からなかったけど、サツキの針金のように、おじいさんの中では、多分意味があって一生懸命やっていたんじゃないかと思う。
そして、いつの間にか写真も消えていった。
1枚の写真も残っていなかった。

親を見送った友達や知り合いが言うには、親の写真の整理が一番心が重かったという。
顔のある写真をゴミ袋に入れてゴミで出すのが躊躇われるのだと言う。
だから、自分の写真は今から整理しているという人もいた。

そうか!私達はその苦労を味合わなくて済んだのか!

後から思うと、一人で出かけてしまうこともなく、こうして一人で自分の時間を過ごしてくれていた日々は、平穏で、本当にありがたい時間だった。
元気でいてくれてありがとう!だった。

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