見出し画像

息子に言われて、始めたnote

息子に言われて、何も分からずに始めたnote。

noteが良いよと言われても、noteがどんなものなのかも、何も知らなかった。

noteと調べれば分かるからと言われ、

何を書いたらいいの? どう書くの?と聞くと、

お母は今までいろんな事をしてきただろ?その事を書けばいいんだよ。俺たちもおかぁのことは知ってるようで知らない。孫たちだってたまに会うだけだし、大きくなったら自分の事で精一杯になっていく。

孫たちがいつか おかぁの書いたものを読んで、おばあさんってこういう人だったんだと、自分の根っこみたいなものを感じて、ちょっと嬉しくなるかもしれないだろ。元気が無いときにおかぁの書いたもので救われるかもしれないだろ。

おかぁはいろんなことをしてきているんだから、それを書けばいいんだよ。

そんなことをずっと言われて、これをしなかったら、後は知らないからな!勝手に年取って死んでいけよ!みたいな無言のプレッシャーをかけてきた。( そんなつもりじゃなかったよ! と言うんだったらゴメン! でも、その時は、正直な話、書くことを始めなかったら、見放される感じがした。息子に嫌われたくないし、やるしかないじゃん!って気持ちだった。 )

そして、書き始めているけど、誰に向かって書けばいいのか、どんな口調で書けばいいのか、分からない。

やってきた事は、まぁあるけれど、人に伝えようなんて言う気持ちもなかったし、きちんとした記録も取ってないし、記憶も曖昧。

最近、思い出すのは自分の子どもの頃のことが多い。こんな年寄の昔話みたいな事を書いても意味があるのかなぁと、書くことの内容についても、悩んでしまう。

他の人の投稿を読むと、みなさん素敵な生き方や、かっこいい暮らし方、しっかりした考え方をしている。

伝えたいことがちゃんとあるんだ、すごいなぁと、読み始めるとその人の世界に入り込んでしまう。そして、疲れて、あぁ 私はこんな素敵な人たちの世界に一緒にいて良いのかなと勝手に思っては ちょっと落ち込んでしまう。

そう言えば、息子が私に言ったことがあった。

おかぁは、自己承認力が弱いんだな〜と。

そうかもしれない。自分暮らしが、ちっぽけなもので、つまらないものにに思えてしまう。

だから、今はあまり人の投稿は、目にしないようにしている。 (すみません!)

でも、息子に言われたこととはいえ、始めてしまった。

やっていくしかない!と、これを書きながらある意味では、覚悟を決めた感じがある。

普通の自分、たまにはちょっとカッコつけた自分、気負わないで 続けることと、自分に言い聞かせている。

息子は、まだ 私の文を読んだことがない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?