『ベートーヴェン』感想④~not for meの理由探し~

個人的に色々ありましたが、ベートーヴェン大千秋楽お疲れ様でした。
私もKOBELCOホールまで行き、大千秋楽見納めてきました。KOBELCOホールはとてもよいホール、ホールについてはまた。

超毒舌感想なので、演目好きな方はここで回れ右して、ページ閉じてくださいね。無駄な時間を使わせるのは申し訳ないし、多分不快になるんじゃないかしら。
めちゃくちゃ長いですし(笑)

さて、大千秋楽まで観たのですけど、やはり私には最後までダメでした〜。
感動しないわけではないし、面白い部分もあるのだけど、どうにもしっくりこない。
結局、涙腺ユルユルの私が全く泣かない、泣けない。

歌はいいんです!めちゃ好き、つい歌っちゃう。
演者さんには何にも文句はない、むしろ無駄使いすぎると思う。
舞台装置も好き、照明はここ最近ではピカイチレベルに美しい、衣装も最高。
じゃあ、結局何がってなると

ストーリーがダメ

もう、これに尽きちゃうんですよね。
もともと「愛」を謳い文句にしている演目は苦手で…愛って素晴らしいですよねと言われたら、そうか?って返事になっちゃう。
だって、愛って諸刃の剣じゃない?

先にも書いたけど、自分にとってダメなら、どの部分がなぜダメだったのかをじっくり考える方でして、千穐楽終わってからずっと考えてました。

初日観たあとから言ってるんですが、とにかくトニという女性がまったく受け付けない。絶対に友達になれない。
これ花總まりさんが演じていて、その可愛らしさは私にもわかるんだけど、それでも受け付けないのだから、他のキャスティングだったら自分でも恐ろしいくらい、さらに文句言ってたと思う(笑)
花總さんでよかったわー、じゃなかったら13回は耐えられなかった。
トニから花總さんを抜いて、たとえば台本だけ読んだとしたら「はぁぁぁぁ???」って口に出すことばっかりだと思うんですけど💦
この女性はなんというか、女の狡猾さを持ち合わせた人だと思っちゃうんですよね〜。
どこかでみた女だなと思ったら、あれですよ、視聴翌日には各所で大ブーイングが起こった「東京ラブストーリー」のさとみちゃんですよ(お若い方には通じないかもしれないが)あれも、有森也実さんは何も悪くないんだけど、さとみの行動には世の中の女性が「なんなの、あの女🔥」となったものです(笑)
今で言うところの「あざと女子」って言うんですか?
自己紹介で上流階級の奥様がいきなり「私はトニ」とか愛称で自己紹介するんかい!とツッコミからはじまる。
断っておきますが、もちろん音に合わせた結果なのはわかってはいるんですよ。
ベッティーナが「義姉は内気で」とか言う割には、ベートーヴェンの誘いに「来ちゃった…(うふっ)」を平気でやれるんですよ。
私がキライなのは、ベートーヴェンがテペリツェからトニのもとに行って再会したときに、「時間が欲しい」とかいうのに、「待たないで」とか言っちゃうとこ! あれベートーヴェンに「待てるよ」って言わせてるじゃないか。
待たないでっていうなら、その前にキスすんな(苦笑)

そして、一番キライなのは、別れる理由。
もうね「千のナイフ」が嫌いすぎて、2幕は半分くらい闘いだった。
唯一のリーヴァイ先生のオリジナル曲を嫌いだと思うのは、私だってしんどい〜。
けど、あの歌詞が本当に無理!!!!!
「周り中が敵だわ」とか言うけどさ、敵にしてるの自分じゃない。
ベッティーナが裏切ったとか言うけど、なぜベッティーナが自分に都合よく子供たちを連れ出してくれると思った? フランツが全方向に嫌な奴なら、ベッティーナに対しても居丈高で、もしかしたらベッティーナは部屋に監禁されたくらいのことが起こったかもしれないじゃないか。
その理由も確かめずに、一人勝手に私は悲しい孤独可哀想って歌われても、私は「ふ〜ん」ってなっちゃうんですよね。
念の為に書いておくけど、もちろん別れの理由を細かく説明する尺がミュージカルにはないことはわかってはいるのだけど。
で、挙句の果てに「子どもたちとは離れられない」ってねぇ。
私も母親の1人だから思うんだけど、そもそもそこまで子どもが大事なら不倫しません。
たとえどうしょうもなく惹かれる人に出会ったとしても、子どものことを考えたら踏みとどまる。
踏みとどまれずに一人の女になってしまったのだったら、子どもを理由にすんな、いきなり母親ヅラって思ってしまう。
だから、ベートーヴェンとトニがプラトニックな関係のままだったら、私でももう少し物語に納得できたんじゃないかなって思う。
どこからか不倫なのか問題はあるけど、恋心を含めたキスしてるんだから、プラトニックではないわな。
そうそう、別れの前にベートーヴェンに「私たちと子どもたちで幸せになりましょう」とか言うけど、あれも、はぁ?なんですよ。
子どもたちが新しいお父さんとのほうが幸せになれるって決めてるのは母親だけの意見でさー、そこに子どもの意思はないよね。
子どもたちはフランツが怖いと思ってるかもしれないけど、よくわからないおじさんに懐くかどうかもわからないじゃない。
「幸せになりたい」のはトニの女としての意思であって、母親としての意思をそこに含めるのは狡いと思うのだわ。
(これは、私の父が両親離婚…つまり私の祖父母が離婚していて、相当な大人になっても父がそれなり傷をおってるのを子どもこころに感じていたので、私自身が子どもがいて離婚することにはかなり厳しい意見を持っているからという自覚の上での辛口感想)
なんか行き当たりばったりで「幸せになりましょう」って言ってるけど、ある程度ベートーヴェンさんの史実を知ってると、ん?となっちゃうとこあるんですよね。
弟カスパールは一人息子のカールを残して割と早死しちゃって、その後にヨハンナとルードヴィヒが親権争いの末に、カールをヨハンナからとりあげちゃうんですけど、結果カールくんはベートーヴェンから逃れたくて拳銃自殺未遂を起こしちゃうわけです。
ベートーヴェンさん、子どもを育てられなかった。歪ませちゃったんですよね。
だから「子どもたちと幸せになりましょう」には、私は心のなかで「いやいやいやいや、この人には無理やろ〜〜〜〜」って、盛大にツッコんでしまった。
この事件のあらましを知識として持っていると、トニの言葉の浅はかさに気づいてしまう。じゃあ知らなきゃ良かったのかっていうと、それも違うよね。
史実を絡めてもフィクションにして観客に違和感を持たせない方法はあると思うし。
浅はかといえば、橋のとこで耳が聴こえないっていうルードヴィヒに「きっと大丈夫」っていうのも嫌いだったな。病気の方への安易な「大丈夫」は禁句だと思ってるし、変な気休めは失礼だよ。
トニの悪口書き出したら止まらないから、これくらいにしておこう。

他にも、not for me な部分はある。
韓国ミュージカルそのものは嫌いじゃなくて、フランケンシュタインとか大好きだし、JtRもストーリーにはものすごい反論しながら再演待ってる(笑)
韓国ミュージカルって余韻とかより、勢い!勢い!勢い!、細かいとこは気にするな!ノリで乗り越えろ!みたいなとこあるので、そのノリと音楽とパワーが揃えば面白いんですよ。
でも、個人的な好みの話になってしまうのですが、クンリー作品は余韻と哲学的な余白を楽しむのが面白いと思っていて、ノリで乗り越えるにはちょっとつらい。
哲学的な余白ってのは『エリザベート』における「夜のボート」とかね。あれ、わかります?2人の感情とか歌詞の意味とか…私は何十回と現場で聴いてますが未だにわかりません!難しいじゃない。
M!だって、問いかけが「才能は肉体に宿るか、魂に宿るか」ですよ。自分の腕にペン突き刺して血で楽譜を綴るとか、これを哲学とせず何とする。

なので、個人的な韓ミュとして好きな部分とクンリー作品として好きな部分がどうにもチグハグで、どうも心に不協和音が鳴り響く。

曲のパワーが強すぎることもあって、音音音!歌歌歌!で疲れるところに、場面がぱっぱっと切り替わるのに付いていくのが疲れる。
さらに主人公2人の心情と状況以外、登場人物が何のためにそこにいるのかもイマイチわかりにくいので、えっとこの人は…と考えていたら、もうそこでこの場面終わるんかい!ってなって、気持ちがおいてけぼり。
いや、カスパールと和解したあとに、カスパール帰るの早すぎやん!あんな泣き崩れた兄を放ってさっさと帰るんかいっ!
一曲くらい兄弟デュエットがあってもいいじゃないか〜。

そうそう、最大のツッコミがあった。
カスパールとヨハンナの息子、2年経っても全然大きくならへん(笑)
2年経ってもちっちゃいベビーカーってどうなのよ〜。人形でいいから、大きくなった息子の影くらいチラつかせて〜。なんか、こういうとこ少し雑よね。

悪い人を出さないと物語が締まらないのもわかるけど、フランツが無意味に悪い人なのも気になる。
いや、「金こそすべて」が最高の名曲だと思っているのでフランツさん好きですけど。
トニが日常に不満を抱くためだけの人となりにされたフランツさんが気の毒すぎて…。
これもたまたまなんですけど、ミュージカルが始まる前に、山田五郎さんのYouTube「大人の教養講座」で、音楽室にあるベートーヴェンの肖像画は誰が描いたのかを取り扱ってるの見ちゃったんです。

ジョセフ・カール・シュティーラー《ミサ・ソレムニスを作曲するときのルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの肖像》1820年作

らしいんですが、描いたのはシュティーラーですけど、当時の絵画って画家が好きなものを描くってのはほぼ無かったそうです。大抵の絵、とくに肖像画には依頼主がいる。
その依頼主がブレンターノ夫妻!
フランツさんは、ベートーヴェンとそれなりに仲の良いパトロンの1人だったそうです。
トニが現実に不満を抱く理由付けのためだけに、悪人にされてしまったフランツさんがお気の毒すぎて。草葉の陰で泣いてるんじゃなかろうか。

で、この手法何かに似てないかと思ったら、あれだわ「自分の推しを上げるために、共演者やWキャストのお相手を下げるコメント」じゃないか。
すごく嫌いなんですよね、この類の行為が!
ただの不倫だとトニが悪者になっちゃうから、旦那を悪人にしないと物語が成り立たないってことでしょ、それってどうなの〜。
この手法、ベッティーナにも使われてると思うんですけど、トニを良い人に見せるために、ベッティーナを浅はかなミーハーな女の子に仕立て上げてると思っちゃうんですよ。
後々の裏切りの伏線かもしれないけど、ベッティーナの目線で考えてみたら、義姉は実兄が最悪の男なのに尽くしてくれてるから、義姉の力になりたいと思っていたかもしれないじゃない。だからフランツに女優と別れてとお願いしてるわけで。でも、応援していたはずの義姉が不倫してるの知ったら、若い女の子がショックを受けるのは当然じゃないかしら。それをトニを裏切る女としちゃうのはどうなのよー。ベッティーナのファンだったら泣いちゃうよ。

あと、物足りないかなと思ったのが物語上のゴーストの存在。
物足りないってのはダンサーさんたちの技量とかの話ではないですよ。
ゴーストの存在って、物語のすごく大切なキーポイントだと思ったんです。その割に、なんとなく存在の軽さを感じてしまう。振付なのかなぁ…。
私の解釈が正解かどうかってのはよくわかりませんが、トニという存在の対極にいるのがゴーストだとしたら、このストーリーがよくわかるんです。
ゴーストって何なのかって考えたら、ルードヴィヒの心の声でもあるんだけど、天才故に自分自身ではどうにもならない、運命とか才能〜才能を持つ人は否応なく他者からの期待を背負わされてしまったりする苦悩でもあるのかなと思ってます。
ゴーストはけっこうベートーヴェンに酷いこと言ってたりするし、敵なのか味方なのか。両面持ち合わせているのでしょうが。
見方によってはベートーヴェンの才能に寄生する得体のしれない何かで、ベートーヴェンの心に起こる感情のアレコレを貪り食いながら肥大していく不気味な生き物に見えなくもないんだけど。
衣装とかが綺麗すぎるのかなぁ、もう少し気持ち悪さがあっても良かったかなと思ったり。
1幕のラストはベートーヴェンと彼を取り巻く人々と、ゴーストの対比がうまく表現されてると思うのだけど、2幕のラストは「で、結局、ゴーストはなんやったん???」って、尻切れトンボな空気になっちゃうんですよね〜。あとひとつ、何かしらのインパクト欲しいなぁ。

1幕のラストはめちゃ好きなんですけどね。
あそこの場面に詰め込まれたアレコレは私なりに理解できてるつもり。
ベートーヴェンの中に、女神化したトニがいて、それを頼りに頑張ろうと思ってるのがよく伝わる。
私から見たトニがどんな女でも、我が推しのベートーヴェンさんが彼女を愛し彼女を光とするなら、ファンは黙って事実を受け入れましょうという気持ちにすらなる。
で、私の中ではそこで物語が止まってしまって、2幕が蛇足に感じてしまう。
生身のトニはいらんなぁって思ってしまう。

ボロボロのピアノを弾いて再び立ち上がる2幕のラストにトニの姿がないのに、不滅の愛って言われてもなぁ…となるので、ここにも女神化されたトニが現れたらわかりやすいんじゃないかと思ったりする。
女神の花總まり様で締めてくれよ!(そりゃ喪服も似合うけどさ〜)

まぁ、どうしても第九で終わらせたかったのねと、物語より音楽重視のジューク・ボックスミュージカルなのねと自分を納得させて観てましたけど。

友人との感想の話で「お葬式で綺麗ごと言ってるけど、17年たって死んだあとに会いに来るくらいなら、子どもが成人したら離婚してベートーヴェンのもとに行けばよかったのに」(意訳)と言ってたのに、私もそれな!ってなったんですが(笑)
類は友を呼ぶで、仲良くしてもらってるミュー仲間尽くトニが嫌いで、それがちょっと面白かった。
まぁ、途中で会いにいったら、それこそ史実とは違っちゃうし、悲恋の純愛じゃなくなっちゃうのでしょうけど。

けっきょく、トニって自分からは動かない人なのね〜って感情が立ってしまうし、ベートーヴェンさんはうまいこと手玉に取られてるなwwwとしか思えない、恋愛偏差値30の女たち(笑)

日生の後半くらいからは、この演目はオペラ、私は歌を聴きに来てるの!と暗示をかけながら観たら楽しさは増したかな。
歌はもう芳雄さんを筆頭に、アンサンブルの皆々様も素晴らしかったからね。
DVDはいらないけど、CDは欲しい。

前の記事でも書いたけど、演目を好きになるか嫌いになるかってのは、観客自身の持つ引き出しの中身で決まってしまうので、どんなに制作に関わった人たちやこれを好きだと思う観客がすばらしいと訴えてきても、自分に合わないものは合わないから仕方ない。
私が大切にしたいと思う「愛」と、この物語が訴えたい「愛」は相容れないのだもの。
大切にしてるからこそ、私も簡単に折れるわけにはいかないのですよ。

再演があったら、歌は聴きたいから何度かはチケットを取るかもしれないけど、通いたい作品ではないかなというのが、私の総評です。

ブラッシュアップは期待したいけど、物語の根本は変わらないと思うから、この作品と両思いになれるのは難しいかも💦








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?