見出し画像

外回り営業中に2時間以上、ベンチでぼーっとしていた1998年冬(5)

2つ目の出張先は関西だった。
新幹線で新神戸まで行き、そこから三宮駅まで歩いて書店営業活動をした。
それが初日のことだった。
関西はたしか2日では足りず、2泊したような気がする。
名古屋でもそうだが、関西も、どこに行ってもみなやさしく、温かくしてくれる。
この出張で、個人的に目標にしていたことがあった。
小2のときに父と兄、妹で訪問した明石の家を再訪することだ。

この家には、遠い親戚のおじいちゃんが独居していた。
木造の狭い平屋建て。
部屋は一つしかない。
トイレはボットン便所だった。
私たちはそこを使わず、近隣のどこかのトイレをつかわせていただいた気がする。
古い、おじいちゃんだったから、18時には床についた。

夕食は外食ではなく、そのおじいちゃんの家で食べた気がする。
それとも、おじいちゃんがひとりで晩御飯を食べるのを
私たちは見ているだけで、私たちは外食を済ませてきたか。
よく覚えていない。
ただ、夜に明石の岸壁で、近所の方が太刀魚釣りをしているのを
見に行った記憶はある。
これはおじいちゃんが床についたあとだったか。
記憶がはっきりしない。
18時に一緒に床についたはずだったが、太刀魚釣りを見た記憶とは矛盾する。

あるとき、夜中に目を覚ますと、大きなゴキブリが、だれかの枕元に
漂っていた。
私は再び目を閉じて、現実から離れることにした。

そんなおじいちゃんの家で過ごした夜の記憶だが、
その後、そのおじいちゃんの家は火事で焼失してしまった。
おじいちゃんもその際に亡くなった。
警察の調べでは、焼け跡から見つかったおじいちゃんの死体には、
暴行を受けたあとがあった、と聞いたような記憶があるが、定かではない。

だから、その、火事で焼失してしまったはずのおじいちゃんの家を
再訪したかった。1998年当時の現状、どうなってるのか、見てみたかった。
その日の営業活動を少し早めに終え、私は新快速で明石に向かった。
翌日からは大阪に行くから、新神戸、三宮で営業活動をした初日に
明石に向かった、と考えたほうが自然だろう。
実家の親父と携帯でやりとりしながら、私はおじいちゃんの家があったと思われる場所に近づいた。
そもそもここに来たのは1度だけだし、幼少のころだから、記憶がはっきりしない。
このなのかな、という場所にはたどり着いた。

そのあとは、明石の岸壁に立ちながら、実家の父との携帯でのやりとりを続けた。

あとでお袋に聞いた話しだと、このやりとりを傍で聞きながら、
お袋は「こいつは死ぬんじゃないだろうか」と感じていたようだ。

母の愛というのは偉大である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?