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『マチネの終わりに』第七章(25)

「君の家庭みたいに、シングル・マザーで、がんばって子育てをしている人だって、ちゃんと自分の家を買って落ち着いて子育てをすべきだろう? だけど、目の前にそういう人がいても、誰も金を貸さない。彼女が子供を抱えて、一人で立っている姿を見て、返せないんじゃないかと疑ってね。だったら、その姿を見えなくすればいいんだよ。彼らのローンを一まとめにして、支払われる利子に利益というお化粧をしてやって、更に念入りに、もっと確実な債権までくっつけてセット売りにする。そうすると、投資家はお金を出すんだよ。その一人のシングル・マザーの姿が見えないからこそ、安心してね。皮肉な話だけど、これは、富める人と貧しい人とが、数学を根拠に信頼し合い、結び合い、幸せになるための新しい科学なんだよ。貧しい人たちの団結でもある。富める人たちの“強欲”を、慈善に変える錬金術なんだ。君とは違うかたちで、僕だってこの世界を良くしたいと願ってる。君は世界の不幸を告発する。僕は世界を幸福にするシステムの創造に携わっているんだ。これ以上の組み合わせはないよ!」

 洋子は、リチャードの発想に、自分がまったく不案内な世界の新鮮な善意のあり方を見たように感じ、心を動かされた。それは、ネットで検索してたまたま読んだ記事ではなく、他でもない、自分を愛している人間が、自分の生き方として熱意とともに語った話だった。

 洋子はそのことまでをも、美談に不純物を混ぜ込み、見えなくしてしまうまやかしの説明だったとは、彼に言ってほしくなかった。

 しかし、話を聴けば聴くほど、リチャードが、その金融工学の理論と業界の実情とのギャップに無知であったとは思えなかった。知らなかったとしても、学者としては問題があるだろう。しかし、知っていながら業界と癒着し、知らないフリをしていたのだとすれば悪質だった。むしろ、そのギャップを無いかのように見せかける数学的な偽装に積極的に関与していたのだから。――そして、その現実に対し、自分は妻としてどう振る舞うべきか、葛藤するようになった。社会の不正をこれまで厳しく訴えてきた自分は、いざ他人事ではなく、自分の夫の問題に直面した時、それは無かったこととして目を瞑るのだろうか?


第七章・彼方と傷/25=平野啓一郎

#マチネの終わりに

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