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『マチネの終わりに』第七章(13)

 学生時代にニューヨークで過ごした時には意識しなかったが、年齢が年齢で、また付き合う層のせいもあって、洋子は、自分の周りにこんなにたくさん整形手術を受けている人がいるということに、まだ慣れなかった。老いに対する決して勝つ見込みのない戦い。――徹底抗戦の構えを見せるどの顔も、戦況は思わしくなかったが、彼女たちにしてみれば、老いの先兵がこんなに平然と顔の方々で陣取り始めている自分の方こそ、神経を疑われているのだろう。

 ヘレンも美貌だが、頬や目尻といった感情の出やすい部分が動かないので、喋っていることが本音なのかどうか、つい考えてしまう。向かい合っていると、洋子自身の表情まで、そのコルセット風の顔に閉じ込められてゆくような感覚があった。

 リチャードが、ちらと気にするようにこちらを見ている。彼も本心では、自分に、そうした手入れを期待しているのだろうか?……

「わたしだからなんてことじゃない。男の本性よ。別にみんながブガッティを自慢するわけじゃないけど、それぞれの収入なりに、みんな自慢好きでしょう? あなたのご主人だって、他でもなく、あなたのことをよく自慢してたから。」

 洋子は、受け流すように首を振った。幾らそう言われても、彼女はその意見に賛同できなかった。ここにいると、確かにヘレンの言う通りだという気もするが、自分の人生を振り返ってみれば、それほど始終、男の自慢話に悩まされてきたというわけでもなかった。

 例えば、父親のイェルコ・ソリッチは、本当に人に自慢をしない人間だった。寡黙なせいでもあったが、カンヌで賞を獲った時のことなどを聞きたがっても、ほとんど迷惑そうに簡単に話を済ませてしまう。或いは、イラク時代の同僚だったフィリップは?彼のキャリアは、どんな大金を積んでも手に入れることの出来ない貴重なものだが、同じジャーナリストとして、彼がそれを鼻にかけていると感じたことは一度もなかった。むしろ、彼の言動には、苦い慎みとでも言うべきものが、隅々にまで染み渡っていた。


第七章・彼方と傷/13=平野啓一郎

#マチネの終わりに

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