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第四章 再 会

『マチネの終わりに』タイアップCD発売(2016年10月19日)を記念して、各シーンを振り返りつつ、登場する収録曲をご紹介していきます。今回は、パリでの洋子との再開を前に、恩師である祖父江と共演する場面です。

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第四章 再 会
(単行本 P.78)

 蒔野は、久しぶりに恩師と再会して、フェルナンド・ソルの幻想曲作品五十四で共演したが、祖父江は、演奏については良いとも悪いとも言わなかった。そして、演奏会後の楽屋で、それとなく《この素晴らしき世界》のレコーディング中止の話を切り出した。
「あのレコードですか? いやぁ、あれは、どぉーしても続けられなくなってしまって。」
 苦笑して頭を搔く蒔野に、祖父江は、「珍しいですね、あなたでもそういうことがあるんですか?」と、昔と変わらない、静かな重々しい口調で、含蓄のある皮肉を言った。そして、「騒がれているような外的な事情ならともかく、内的な理由なら、せっかく止めてまで作った時間を、有効に活用しなければと、あまり思いつめない方がいいでしょうね。──あなたのことだから、色々考えてはいるでしょうけど、老婆心ながら。」と真面目な、心配する風な面持ちで言った。
 それ以上の言葉のやりとりは不要だった。さっきの演奏で、先生は何もかもお見通しなのだろうと、蒔野は感じた。
 蒔野は、今でも新作を出す度に、祖父江に必ずCDを送っている。世界中から、毎月ウンザリするほどそういうサンプルが届いているはずだが、祖父江は、そのすべてに耳を通して、丁寧な手書きの礼状の葉書を送って来る。蒔野は、恩師のそういう律儀さを、自分には決して真似の出来ないことだと尊敬していた。そして、ここ数年、自分のCDへの感想が遅く、少し遠慮がちであることを気にしていた。
 かつてのような昂揚した賞賛の言葉はなりを潜めて、理解しようとする心づかいが端々に看て取れた。それは丁度、彼が、より多くの聴衆に向けての演奏を意識し始めた時期と合致していた。

 蒔野の《この素晴らしき世界》のキャンセルを、そんなふうに、彼の演奏家としての問題に関係づけて見ていたのは、しかし、ほとんど祖父江一人だった。他の者たちの憶測は、また思いがけないもので、祖父江が「騒がれているような外的な事情」と言ったのは、その噂に由っていた。蒔野は敢えて訂正せずに、曖昧にしたまま、それを隠れ蓑とすることにした。

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★「第四章:再会」で紹介した曲の視聴
04.幻想曲 Op.54 bis より II.アレグロ (F.ソル)
https://mz-edge.stream.co.jp/v/j06gntu9

★タイアップCDの先行予約はこちらから(2016/10/19発売予定)
https://storeshirano.stores.jp/

特典:新聞連載の挿絵を描いてくださった石井正信氏による「しおり」。毎日新聞での挿絵は、単行本に生かされませんでしたが、CDのブックレットにはふんだんに盛り込まれています。平野と福田氏の対談もぜひご覧ください。

★『マチネの終わりに』単行本ご購入はこちらからhttps://www.amazon.co.jp/dp/4620108197

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