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『マチネの終わりに』序(2)第一章(1)

 私自身が最初に知っていたのは蒔野聡史の方で、後には小峰洋子とも連絡を取るようになった。それで、この二人が惹かれ合った理由がよくわかった。

 彼らの生の軌跡には、華やかさと寂寥とが交互に立ち現れる。だからこそ、その魂の呼応には、今時珍しいような――それでいて、今より他の時には決して見出し得なかったような美しさがある。

 私は二人に憧れを感じていた。一体、他人の恋愛ほど退屈なものはないが、彼らの場合はそうではなかった。なぜだろうか? 仕事の合間に二人について考えることは、ここ数年、幾つかの大きな幻滅を経験していた私にとって、束の間の現実逃避となった。

 最初から、私には不可能な人生だが、自分ならどうしただろうかとよく考えた。

 彼らの生には色々と謎も多く、最後までどうしても理解できなかった点もある。私から見てさえ、二人はいかにも遠い存在なので、読者は、直接的な共感をあまり性急に求めすぎると、肩透かしを喰らうかもしれない。

 そのうちに、私はどうしても、彼らについて書きたいと思うようになった。しかし、実際に筆を執ったのは、書くべきだと感じてからである。

 最後に、これは余計な断りだろうが、この序文は、すべてを書き終え、あとからここに添えられたものである。

 序文とは固より、そういう性質のものだろうが、私はどうしても、そう一言、言っておかずにはいられなかった。

 ◇第一章 出会いの長い夜(1)

 二〇〇六年、クラシック・ギタリストの蒔野聡史は三十八歳になっていた。

 この年、彼は「デビュー二十周年記念」として、国内で三十五回、海外で五十一回と、例年にない数のコンサートをこなし、盛況のうちにツアーの最終公演日を迎えた。丁度、会場のサントリーホール周辺の紅葉が見頃を迎えた時期で、シャンパン色の光にライトアップされた木々が、夕間暮れから鮮やかだった。風は冷たく、時折木の葉を舞い上げて強く吹いたが、そのせいでむしろ、チケットを握り締めた人々は、コートの下の胸の昂ぶりに熱を感じた。

序/2 第一章・出会いの長い夜/1=平野啓一郎

#マチネの終わりに

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