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『マチネの終わりに』第六章(35)


「わたしは、蒔野さんの音楽を、そういう一過性の、わー、かっこいいみたいな消費の場に巻き込んでもしょうがないと思うんです。だって、その人たち、結局、コンサートにも来ないし、CDも買わないですよ。」
「そこを繋ぐのが、僕たちの仕事じゃないですか? もちろん、大半は、わー、かっこいい、とか、えー、すごい、で終わりだと思いますよ。でも、そのうちの何割かでも、蒔野さんのファンになってくれればっていう話ですよ。普通に生活している人は、蒔野さんの創造する美の世界からは、あまりにも遠いですから。――僕は、クラシック・ファンじゃなかったから、正直、この部署に来るまでは、やっていけるかなって自信がなかったんです。でも、勉強のつもりで色々聴いてて、アルゲリッチのプロコフィエフのピアノ協奏曲とかって、なんか、やっぱりすごい世界だなって思ったんですよ。カルロス・クライバーのドキュメンタリーとか見て、かっこいいなぁ、とか。そういうきっかけが必要だっていう話です。」
「それだったら、テレビとか出てもらって、これまでもやってきてます。」
「だから、その延長ですよ。ただ、ネットを使って、もっとインタラクティヴなコミュニティを作れないかと思ってます。」
 野田は、六十年代以降、何度かあったバンドブームの時代の、エレキギターやアコースティックギターの生産台数のグラフを持参していて、この世の中に、ジャンルを問わず、“ギターを囓ったことがある人”たちが、どんなにたくさんいるかという話をした。彼らの大半は、今ではもうバンド活動などしていなくて、せいぜいのところ、家でちょっと爪弾く程度か、それさえもせずにケースごとギターを押し入れに眠らせている。けれども、根本的には音楽好きで、家族や友人に、一人で弾けるちょっとした曲でも披露できれば、かっこいいだろうなと夢見ている。

「クラシックギターは、レパートリーが広いでしょう? ポップスとか、映画音楽とか、何でも弾けますから、蒔野さんをクラシックギターっていう遠い世界の人にしてしまわないで、曲がりなりにも、ギターっていう楽器に興味のある人全員の憧れの存在にしたいんです。


第六章・消失点/35=平野啓一郎

#マチネの終わりに


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