人に厳しい世界と優しい世界。優しい世界の方がいいね。

久しぶりに姉と電話をした。
最近は「人に相談をする」ということを心掛けている。
しかし、心掛けていることは「信頼できる人」にするということだ。
以前までは、何か壁にぶつかったり、悩みごとができたら、
何も考えずに頭に浮かんだ人に相談をしていた。

だから、「ん…何か違う」と府に落ちない、もしくは、欲しい回答が得られなかったら
また他の誰かに聞いていた。

だから、よく「正解を求めすぎ」だとか「いろんな人に聞きすぎ」と言われていた。
まず、思考停止していた。

そして、でも、色々な人に相談をすると、色々な人が色々なアドバイスをくれて、
その都度、選択が変わる自分に、
「軸がない」「影響されやすい」「ブレブレ」と言われ、
「自分の判断でやってみよう」と考えた。

そんなある時、
ある人にあるメールを送った。
きっと、これまでだったら
「こういう文章送ろうと思っているんだよね」と誰かに相談していただろう。

その内容に自分は悪気はなかったのだが、
人を傷つけるようなメッセージを送ってしまった。
目上の人である以前に、人としての思いやりが欠けた文章であった。

そこで、その方にその文章を送ったに至った経緯や意図をお伝えした。
そして、まずは①メールは記録として残るからこそ、慎重に送る必要がある②自己判断でなく、人に相談する必要性を教えていただいた。それも、「信頼できる人にね」と。「逆の立場で考えてごらん。相談してきた人が、いろんな人に聞きまわって、結局自分のアドバイスが何も使われていなかったらどう?」と。なるほど、と府に落ちた。「一人の人に聞いて、まずがそれを実践してみる」とはそういうことだったのかと府に落ちた。

この間、友人と話していて、彼女は「相手が何を言ってほしいかを察するのが得意」と言っていた。
以前は、彼女に相談したら、こういってくれるだろうなと予測し、彼女に相談していたのだろう。
最近は、「いったい自分はなんて言ってほしいんだろう」「何を求めているんだろう」と考える。
また、「この分野では〇〇さんに相談させてもらおう」と決めるようにした。

今の私に必要なのは、
①これをしたらどうなるかな?という創造力
②自分がされたらどう思うだろう。相手の立場に立って考える、思いやり。

結局は、想像力に集約される。

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