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とけちゃう

前回の音源発表から1週間。

同時にマスタリング進めてたもう1曲、
とけちゃう」が
過去15年くらいの中からの
写真や動画を繋ぎ合わせて
完成しました〜

「とけちゃう」

過去 現在 未来・・・

とろっとろっととけちゃうよ
とろっとろっと〜

この青い空に
子供の頃の想い出に
今日もいつかの想い出に
まだあの頃出逢ってなかったあの人と
これから出逢うだろうその人と

とろっとろっと〜

毎年過ぎてくあの夏に
気配の消えた冬の夜空に
友達と
知らない人
友達の友達の友達と

とろっとろっと〜

おんなじ世界にいるんだって
おんなじ時代にいるんだって

過去 現在 未来・・・
イマダイズレイツカイマイノママニ

「イッタイコッチドッチ」と並んで、
理解無用のノリノリファンキーナンバーです。

この曲も、
原曲はずいぶん前から歌ってるなぁ・・・

26歳くらいの時に出来たんだと思う。

当時はギター、ベース、ドラムの
ロックバンドやってて、
「とけちゃうよ〜」と叫ぶ、
ブルーハーツの「1000のバイオリン」っぽい
疾走する8ビート的な曲だった。

でも、ロックバンドやらなくなって、
路上でギター1本かき鳴らして歌うこともしなくなって、
(ウクレレで静かに奏でうたうか、
タイコ叩いて高らかに謳うか、
どちらかのシンプルなスタイルで、
根源的表現欲求、必要性を満たせるようになったのです)

だんだんと、
タイコひとつで
ドンドコドコドコ歌えるようなメロディに
変わっていったのです。

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曲が出来たころの話。

その頃知り合った友達、
絵描きや音楽家や、舞踏家さんと、
路上やデザインフェスタ、
最終的には富士山の山頂とかで

(検索して見つけた! 懐かしい・・・)

ゲリラライブを企画して
青春を謳歌していました。

この寒い富士山の山頂で
ふんどしひとつで踊っている舞踏家さんと
当時、いろいろ話していると、
どうやら以前、
東京で住んでた場所がとても近くて、
隣のアパートくらいのレベルで暮らしていて、
近所の銭湯の話題で盛り上がったり。

なんか東京、生息する隣近所は
なかなか接点ないけど、
こうして気の合うコミュニティで出逢って
友達が増えてゆくと
けっこう道ゆく人 道ゆく人、
いろんな友達と繋がっていて、
今は知り合ってないけど、
みんな友達みたいなもんじゃないか!

なんて、
20代の僕は氣付いて、
慈しみの心をふるわせたのでした。

あと安らかになった。
安寧になった。

猜疑心なんて不要と想った。

*************

そんな
溶けてく、
解けてくかんじ。

みんなとも分かち合いたくて、
この曲をうたっています。

「おんなじ世界にいるんだって」
って歌詞は、
出来た時も、今も、
ライブや路上の状況では
「おんなじ街にいるんだって」
と歌っていて、
本当の出来た時の歌詞は
「おんなじ町にいたんだって」
と、
とても個人的なご縁を
喜んだ歌詞でした。

まぁ、そこは流動的に歌ってます。

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いまだ

いずれ

いつか

いま

意のままに

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「い」って何だろう?

僕はよく
言葉、50音、もしくは
それ以上の
発声する声の響かせ方で、
「ひと」は
何を現出させようとしてきたのか。

そんなことを考えます。

「い」って、
「あ」の始まる感じ、
現出させる感じとも、
「ん」の
胎に落とし込む感じとも違って・・・

なんか、
意を感じる
というか、
方向性を感じるというか。

上顎をガシッと固めて発するから
何かを固定する感じあるよね。

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本当に、
観念、概念で「感じ」を説明するのは
難しいので、
言ってみると、
それが答え。応え。

意って見ると
現実が応えてくれる。

それが答えだ。

*************

最後の
「イマダイズレイツカイマイノママニ」は
最近付け足した歌詞です。

20代の頃にはなかった
この言霊の考察。

若い、現場で生まれた言葉。

成熟して生まれた言葉。

どちらも気に入ってます。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。