見出し画像

二十歳の手帳を見て

子どもが崖の上から落ちてゆくのを見てた
そんな僕もゆっくり落ちていた
ガラガラガラ
ザラザラザラ

その子は途中でポーンと
弾けるように落ちていったんだ

僕はゆっくり
ザラザラザラ ガラガラガラと・・

僕はまだ生きていたけど
ゆっくりと
落ちているようだ

かなしくて
さみしくて
胸のあたりが苦しくて

そんな気分で目覚めた朝だった


僕は今
公園で缶コーヒーを飲んでいる
誰も話しかけてくれないから
缶コーヒーを飲んでいる

この場所の
地名くらいは知ってるけど
まだどこにいるのかわからない

夢はまだ
頭に残っていて

大切にしてあげたかった

なによりも

大切にしてあげたかった

*************


実家から持って来た
日記手帳。

そこに書き留めてあった詩だ。

1999年か、1998年くらいの手帳だと想う。
2000年にはなっていなかった。

19、ハタチの僕は
今が西暦何年かなんて
あまり必要なかったんだな。

世界は「そういうものなんだな」
と受け止め、
それに僕自身が
何をどう感じているのか。

それを言語化して
浮き上がらせるために
いつも手帳を持ち歩いて
いたんだと想う。


ついでに、
あぁ!本当に同じくらいの歳だ!

今はボケて
施設に入っている
父の「自由日記」という背表紙の
青森から上京して、
1年か2年。
・・・やっぱり19、二十歳だね。

その頃の、彼の日記を見つけ
勝手に読んでいた。

いや、本人、絶対見られたくないだろうけど。
僕も誰にも見せないよ。

僕は、まぁ、息子なので、
引き継ぎ。ということで。

本を読むような趣味はなかったし、
心の機微に興味のある人ではなかった。

きっと、
当時の流行りか、
誰かに薦められて始めたんだろうな。

生真面目で、
自称「理系」で、
「アタマは良かった」と
自称していた。

青森の田舎から、
唯一、大学進学で上京したことを
自慢していた。

それが誇れる時代でもあったんだろうな。

でも、東京出たら
田舎もんの自分が恥ずかしくて
劣等感に苛まれてたみたい。

いろいろ悩んでた。

ソ連のロケットが月へ行ったことが
衝撃だったみたい。

僕には興味のない
大リーグや、プロ野球のことが
書かれてた。

誰にも見せない日記に書くくらいだから
自分の人生と
同等だったのかな?

気が弱く、悩み症だったのは
似てるな。

でも、
「時代」なのか、
持ち前の「性分」なのか。

彼は真面目に、
出世せずとも、
それなりに大きな
当時は活気のあった
鉄工の会社に入り、
終身雇用を勤め上げた。

そして
こんな僕が育った。

彼は
真面目に勤め上げ、
年金、保険、諸々やりくりして、
こうして施設に入っても
お金の心配はない。

なのに、
ボケた今も、
お金の心配だけはしている。

お金の心配だけが、
本人のアイデンティティを保つ
唯一の頼りになっている
ようにも見える。

そして、
今、この時代で
40代後半にさしかかる僕は
心配すべきお金は無く、
お金の心配はしない。

お金に心配の要因があるわけではなく
心の配り方は
僕が決めることである。

と、
父を見て確信させてもらった。

*************

人生に、
いろいろ見せてもらっている。

描き留め、
歌えば「今」としてよみがえる。

いろんな人生があるんだろうな。
と想う。

僕は「僕」で
世界に触れさせてもらってきた。

だから今生は
こんな「僕」らしく、
今後も生きて、
いつか「僕」らしく、
人生を終えることになると想う。

*************

二十歳の手帳を見て、
46になっても変わらない「僕」を見ました。

そして、
父の時代に「僕」が生きたら・・・。
今の時代に「僕」が二十歳だったら・・・。

何か違う手段で生きていたかもしれない。

僕が父とは違う人生になったのは、
高3の2学期に
千葉駅の路上に
ギターを持って歌いに行くことを、
自ら選び、
「僕」でどんな人生が歩めるのか、
その感触を味わうことが
人生の醍醐味であると、
少しでも知れたからじゃ
ないのかと想うのです。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。