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幸せな「成果」とは

今回の1週間の演奏ツアー、
noteで知り合い、
フォローしてくれたり、
フォローしたり、
note上で知り合った方が、
2箇所の公演で、
2名、来てくださった。

本当に嬉しい。

noteへの投稿は
他のSNSのタイムラインにも
リンクを投稿しているが、

noteは、
僕のnoteが徒然と
2000文字とかの
まとまらない
僕の、いつも常々言われている
「何が言いたのかわからない」
「もっと簡潔に喋りなさいよ」
と注意される僕を
そのまま出して書いているので、

おそらく、
リンクを辿って
最後まで読んでくれる人は
少ないだろうと
踏んでいる。

そんな僕のnoteを読んで、
人柄を知ってくれている人が
リアルで会いに来てくれるのだから、
嬉しくもあり、
恥ずかしくもあり、
感無量になってしまう。

*********

noteでお仕事や
集客を求めて
そんな意図のある投稿をしている方の
記事もよく見かける。

その方々が
どんな成果を出しているかは
わからない。

ただ、
僕にとってnoteは
集客や宣伝のために使うものではないと
思っている。

想ったことを
あまり繕わずに
そのまま書いている。

他のSNSでは
それがなかなか出来ない。

公式ホームページでも出来ない。

今日もたくさんのご来場
ありがとうございました。
楽しい時間を共有した皆さんとパチリ♪

なんていうリア充投稿には
反吐が出る。

というか、
落ち込む。

自分の良さをアピールするのも、
相手のニーズを汲み取ることも
やろうとすると
ぎこちなくなる自分を知った。

これがまぁ、
僕の成長かもね。

******

3人の「風の音楽家」
というバンドでのツアーだったが、
7日間、
大体10名〜40名の前で演奏したけど、
僕の声かけで、
来てくれたお客さんは
そのnoteで来てくれた2名と
プラス8名くらいだったかな・・・。

いつもそんなもんです。

僕が礼を欠いているのか、
それとも社交辞令だったのか、
いや、そんな悪気なんてなくて、
今まで知り合った方々と、
また会えるかどうかなんて、
タイミングだろう。

メールの返信がなくて
気にしてもしょうがないし、
友達になった全ての人に
注意を払えるような
器も持ち合わせていない。

******

noteで2名の人が
LIVEに足を運んでくれた。

嬉しいけど、
このことは
あまり言いたくない。

なんかnoteっていうツールが
集客に適している。
とかは勘違いだし、
そんな次元の関係性ではない。
と僕は思っている。

******

会話の流れで、酔っぱらって、
noteの繋がりで
2名、ライブに足を運んでくれたことを
ミュージシャンの友人に話したら
「へぇ〜noteもそういった集客につながるんですね」
といって、
目をキラリとさせた友人に
「不毛な会話をしてしまったなぁ・・」
と内心思った。

彼には彼の好さがあるんだけどね。

彼がnote書いて、
どんな成果を得られるのか
保証は出来ないよ。

また別の
彼らしい適した出会いが
あるのかもしれないし、
彼が望んだようなツールに
noteはなり得ないかもしれない。

******

これを「成果」と呼んで
いいのかわからない。

でも、世間と共有される言葉の響きとは
別に考え、
僕が僕らしく振る舞えるnoteで
成し遂げ得られた果が

〖果〗 カ(クワ)・はたす・はてる・はて
1.木の実。くだもの。
2.《名・造》
原因・因縁によって生ずるもの。
「因となり果となる」

「成果」と呼ぶなら
僕は幸せな成果を上げられたと思う。

*******

僕がnoteを日々投稿していて、
それを呼んでくれて
数少ないライブ会場に
足を運んでくれた方は、
今回の2名に加えて
1名、過去にいて、
計3名となる。

これが僕の成果♪

******

西千葉の、
いつも帰省するたびに
演らせてもらっている、
いつもお客さんが
2~3人であっても
演らせてもらっているLIVEに

東京の西の方から
はるばるnoteを見て
来てくださった方がいた。

僕のnoteを読んで、
人柄を知ってくれている人が
リアルで会いに来てくれるのだから、
嬉しくもあり、
恥ずかしくもあり、
感無量になってしまう。

普段、なかなか外に出れない人が
力を湧かして来てくれた。

そんなチカラになれた僕自身も
嬉しい。

********

より多くの人に
来場してくれるとか、
フォローしてくれることを
求めるのなら、
社会的影響力の強い人と
仲良くなったほうが得だ。

インフルエンサーと仲良くなるか、
ネットワークを構築して
自身もインフルエンサーとなるか。

そこで得られる成果は、
どんな成果なんだろう?

本当に僕が望んだ成果が得られるんだろうか?

それは、
自分がやらなくてもかまわない
代替可能な成果なのではないだろうか?

モノゴトの中心に立つのは苦手だ。
歌うくせに、センターは苦手なんだけど
すみっコの声を届けたくて、
声を上げるのです。

******

よく聞く「成功の手順」は
少しでも
多くの人に認知してもらうことで
最初の「成果」を出して、
影響力が出て来たところで、
「自己実現」でも
「社会貢献」でもいいから
発言や行動をすれば
実績を出せる。
そんな重要性を説いている。

その「実績」が
「望み」の本質なのだろうか?

******

誰にでも、
届くものなら
届けたいと想っている。

ただ、
僕の、いつも常々言われている
「何が言いたのかわからない」
「もっと簡潔に喋りなさいよ」
とダメ出ししてくるような人の、
そんな基準のところに
認めてもらえるような振る舞いを
身につけるために
生きている訳じゃない。

パッケージされた「実績」では
抱えきれない、
にじみでるフィラメントのような
響き合い生まれる「想い」の現実を
本当は望んでいる。

*******

これからも、
より好い「成果」を出して、
愛おしい人たちと
出逢っていきたいと想っています。


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