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お金の考察③

お金を支払う時って、
「良いモノ、必要なモノ」を
購入するわけではなく、
「良さそうなモノ」
「必要と思われるモノ」に
お金を支払うんだなぁ・・・

なんて思う。

だから、
商品は
「良いモノ」である以前に、
「良さげ」に
仕上げなければならないんだな・・・。

なんて思う。

*************

やっぱり
インスタ映えしなければ売れないし、
良さげなデザインにしなければ
売れない。

お金を支払う時点で、
それが「良いモノ」かどうかは
わからないのだから。

良いかどうかは
購入後、自分で確かめるんだ。

美味しそうだから買った。
本当に美味しいのだろうか?

使えそうだから買った。
本当にこれは
自分にとって使えるモノ
なのだろうか?

*************

「投げ銭ライブ」と呼ばれる
ライブをしばしばやる機会が多い。

お題は心に響いた分だけ。
ハートマネーをよろしくお願いします。

noteにも「サポート機能」
なるものがあるよね?

基本的に、
それを求め、糧にして、
生きていくのは
難しいですよね?

もう手にしたモノの評価に
今更お金を出す気にはならない。
事前の約束でもない限り。

*************

「よかった」
「素晴らしかった」で、
僕らはお金を
その対象に渡すのでしょうか?

「よかった」
「素晴らしかった」は
自身の心が得たものなので、
僕が個人的に想うのは、

例えば
僕が提供した立場だとしたら、
「その感動はあなたの感動なんだから
あなたの人生に生かしてください」と。

だって、
その感動を
「僕の表現」に
依存させたくないじゃん?

自分の人生として
しっかり味わってほしいんですよ。

だから、
僕が「感動を受け取った人」だと、
お金払ったり、
「素晴らしかったです」と
話しかけたりすると、
大切な「本当のこと」が
何か違うものになってしまいそうで、
ついつい僕は独り、
映画館を出てしまったりするんだよね。


こんなんじゃ、
お金、僕払えないね。

こんなんじゃ、
僕、お金もらえないね(笑)。


請求されなければ、
僕、なかなかお金を払うことって
出来ないなぁ。

請求しないと、
なかなかお金ってもらえないよなぁ・・・

良いか悪いかは、
購入した後、
所有者になったお客さんが
自身で判断すればいいことだし、
所有者になったからこそ
「良い」「悪い」を
素直に忖度なしに
感じられるのかもしれないな。

だから、
「良いモノ」を創ることより、
「良さそうなモノ」を創ることが優先される。

どんなに「良い」と思って
労力を注いで創っても、
それが購入者にとって、
本当に良いか悪いかは
その人の心持ち次第だから。

だから、「デザイン」とか、
市場のコンセンサスとかターゲットとか、
にーずとか。
そんなプランデミックを考えるのが苦手な
僕は、なかなか・・・

「悪かったから返品」て制度も
あるでしょうが、
なかなかめんどくさいよね。

よっぽどの悪い根拠を主張をしないと。

それを発信する労力は
無駄と思うから、
「もう次は買わんとこ」
ってなるくらいだよね。

それが「良さげ」から
「悪いらしい」という
評判になって、
誰も買わなくなる。という。

今の世の中って
そんな感じかな?

なんて、
日々、心の中で想ったりしています。

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