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「音楽が大切」にしがみつく

もうすでに、7/10が懐かしい。
あの日は前日から大雨警報。
は、知っていたけど、
少しでも雨が小降りになったら、
出発前に、最後の残りの
田んぼの除草作業をしたい。
と、目論んでいた。

小学校はすでに前日休校だったけどね。

家の山際の石垣

凄い雨だった。

さすがに田んぼには近づけまい。

こんな石垣に面して建てられている
スタジオ兼書斎で、noteを書いていた。

雨漏りをタライで受けながら
noteを書いていた。

大雨の中、自治委員さんがやって来て
避難を勧められた。

家の中は平穏な感じがするけど、
土石流でもあったら、
一発でアウトだもんな・・・。

家族で公民館へ避難する。

ある程度、子どもと遊び、
子ども達も慣れてきたので、
車に籠ってnoteを書く。

今の状況は顧みず、
またいろいろ毎度の
人生で固執していることを
書き綴っていた。
(後日また、投稿しますね)

車から見える道路は
川になっていた。

お昼を過ぎると
ピークも越して、小降りになってきたので
家に帰ると同時に、
畑の倒れたトウモロコシと落花生を
立て直した後、
田んぼへ向かった。

農道が陥没したり、
水路が土砂で埋まったり。

かろうじて、
稲達は、多少埋もれていたが、
救出可能なレベルだった。

一人で、出来ることをした。
まだ水の勢いを借りれるうちに、
詰まった土砂を川に流したりした。

出来ることはやったが、
先ずは、みんなで力を合わせなければ
出来ないことばかりだ。

他にも大きな被害が出たところは
たくさんある。

そんな最中でありながら、
僕は翌日、
千葉へ帰省する予定が入っていた。

中津の老人ホームに入って2年の
母を連れて、
まだ動けるうちに。と、
銀行やら何やらの
手続きをしに。

しかも、
「千葉、知らないから行ってみたい」
という、6歳の娘を連れて。

まだ、何とか動ける母と、
もう、ずいぶん自分で出来るようになった娘。

今なら可能であろう。
と、楽に考え、
翌日から、地元の復旧作業にがんばるみなさんに
申し訳なく思いながらも、

11日早朝、
洪水とは逆に、
流水が途絶え、
水気を失いつつある田んぼを確認して、
何も為す術のないまま、
大分を後にした。

*************

「ウクレレ要るの?」
と娘に言われた。
たしかに・・・。

それでも、
小さなウクレレは持って行った。
(震災直後に石巻に向かった自分を思い出す)

おばあちゃんと孫が、
一緒にいれば、
多少自由度が増す。
と考えていた僕は甘かった。

二人を数分、置いて、
チケットを取りに行ったり、
車を置いてきたり。
初日、そんな感じで
二人に待ってもらっていたりしたんだけど、

実家に着いて、とうとう、いきなり、
愛想の良かった娘が泣き出した。

「帰りたい・・・」

悪かった。

悪かった。
じつのおばあちゃんとはいえ、
いつも一緒にいるわけじゃない人と、
一緒に後部座席に座らせたり、
時にはおばあちゃんを優先させて、
娘には我慢させた。
(翌日からはを助手席にして、
娘の方を優先させ、
母には少し我慢してもらう態勢にした)

6歳で、初めての場所に来て、
不安でないはずがない。

でも・・・
母のケアが!

実家の窓を開けたり、
元栓開いたり、
ご近所に挨拶したり。

レンタカーの契約をしたり、
駐車場所が少し離れていたり。

*************

ウクレレが邪魔になる大きさではないけど、
ウクレレを持ってきている
僕の自意識がストレスを呼び起こす。

そんな余裕もなく、
パソコン開いて、
何かを発信する気にもなれず、
SNSのコメントを読む気にもなれず。

少し認知のおかしくなった母とは
別の部屋で、
娘を抱きしめて、寝た。

なんか、徘徊してるなぁ・・
なんて思いながら。

*************

早朝目が覚める。

いつもの我が家では、
この時間にnoteを書いたり、
内省する時間に
なっている時が多い。

ちょっと出かけてウクレレ弾いたり。

しかし、
娘が独りで目が覚めたら、
きっと泣くだろう。

しかし、
noteより、ウクレレより、
伸び放題の実家の庭の草を
刈らなければ!

まだ娘が起きないであろう、
5〜7時の間に、
庭の草を刈る。

朝ごはんを用意して、
10時には銀行へ行かなきゃ!

母にもあまり不安や混乱を与えて、
異常な状態になられても
困る・・・。

*************

本当に、
ワンオペ育児や、
介護で自分の人生を生きられなく
なっている、
同世代や、それぞれの事情で
こんな毎日を生きている人の
心持ちを垣間見れる。

母、娘、僕に
卵かけご飯を用意しようとする。
インスタントの味噌汁でも、
お椀を用意し、お湯を沸かさなければ
ならない。

袋を切ったらゴミ箱へ。

手が何かに当たる。
卵が落ちる。
卵が割れる。

母も娘も、何か
思い思いのことを言っている。

二人の食べる量を慮って、
結果、一番ご飯の多い僕に、
黄身だけの卵をかけて、
醤油多めで食べる。

結局、娘は食べきれず、
娘の分も食べる。

食べる量が多くても、
全然味わえん。

これだけ残り物を食べても、
ちょっとした隙に、
何かを満たそうと、
でも、歌うとか、踊るとか、
そんな時間も気力もなくて、
甘いお菓子で、
ひとときを味わう。

こんな毎日が、
日常だったら、
・・・太るよな。

付き合いで食べて、
プライベートで食べて。

こんな人生、ダメだ。
こんな毎日の人が
日本にたくさん・・・いるんだよね。
きっと。

*************

ほんとに、
表情が消える。

あわてて微笑みをつくる。

母に。
娘に。
親切にしてくれた人に。

*************

「誰かの役に立つ仕事がしたい」
そういう人、多いよね。

僕も、
誰にも求められていない、
僕自身が希求する音楽を、
やり続けるのは辛い。

だから、こうして、
他から必要とされる人材として
振る舞える時間に
ある種の充実感がある。

あ〜忙しい。忙しい。

みんなが
僕を必要としてくれているぞ。

僕はみんなの役に立つんだ。
求めに応えられるんだ!

・・・・・自分で
追い込んでいるんだよね。

どうしてこう、
自分のやりたいことを
言わず、やらず、
後回しにしてしまうんだろう?

*************

今日、成田から、
大分へ帰る、道の途中、
千葉で、
ATMでお金をおろしに言っている間に、
母がこけた。

車に戻ると娘が
「おばあちゃん、血流してる」

振り向くと「おわっ!」
額から血を流し、
顎からぽたぽたと
滴らせている母が
ぼや〜っと立っている。

どうしよう。どうしよう。
郵便局に助けを求める?
救急車?
病院?
いや、だめだ。
帰れなくなる。

母は言った。
千葉のお隣さんが
コロナで亡くなったことを告げた時
「いいときになくなったわね」

まぁ、いいか!

死んだら死んだでそれまでだ。
「大丈夫?」
「大丈夫」

そんなのわかるわけない。
けど、
人生、何もわからないのだ。

ドラッグストアを探す。

「パパ、おしっこ」
「10分待てる?」
「うん」

いい子だ。
いや、でもわからない。
無理してるかも。
間に合わなかったらどうしよう?

何をどうしてどうしよう?

え〜い!
予定遂行目指して進むしかない。
(これ僕の性分みたい)

無事福岡空港到着。
はらぺこ。

ラーメン食べる。

老人ホームに相談する。

やっぱ、頭なので、
脳神経外科を勧められる。

ググって電話する。

17時過ぎ診療時間外で渋られる。

もういいか。と思う。

疲れた。

長い電話待機の末、
受け入れてくれるとの返事。

娘が帰りたがる。

妻に病院まで
娘を迎えに来てくれないか?
と相談する。

妻も忙しい時間を割いて来てくれた。

母に異常はなかった。

明日の災害復旧の作業、
みんなに「参加」の旨をLINEする。

しかし、その後、
明日も最終判断のため、
母を病院に連れて来いと
告げられる。

調整する。

19時。

独りになる。

19:30までは明るい。

コンビニで
コーヒーとシュークリームを買って、
車に積んであった「ワンピース」を読む。

帰宅を妻から急かされていたが、
今晩はゆっくり帰っていいから、
明日の朝の子供の送り出しを
お願いされる。

「OK」

*************

僕は、
noteの方が、
少しばかりでも、
多くの人に触れてもらえることを
知っている。

だから、
noteの方が、けっこう夢中になって書ける。

でも、
音楽をしているわけじゃない。

だから、先ずは、
楽器を触ろう。

何の準備も、お知らせもしてないけど、
ツイキャスライブしよう。

「音楽は必要である」
という現実を
自ら放棄しないために。

「こんな曲を描いたら売れるよ」とか、
「こんな風に発信したら売れるよ」とか、
「何か」みたいなモデルケースを踏襲してみるとか。

けっこう、ウクレレうまくなったし、
描きたいイメージを
詩や音で、
具現化出来るようになりました。

もう、
やめないように、
やり続けるモチベーションで。

それは今。

人生の終焉は、
どんな風に「生」にしがみつき、
どんな風に手放していけるのか。

そんなことを、
母を見ながら想うのです。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。