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3-鬼

平魚泳
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※試聴版。オリジナル版(10:48)は購入後に視聴可能。

鬼だ。鬼が歩いている。

仕事帰り、川沿いの国道を緩い渋滞に合わせながらゆっくり運転していると、
川の向こう側の山々の稜線に夕日が落ちる。
そこに黒いシルエットとなって、何か巨大なものが動いているのが見えた。

毎日、会社の車で職場に帰る道である。
遠くに見える美しい山々と空と夕焼けのコントラストに、
ふと運転への注意が外れて、見入ってしまったそのとき、
私はそれに気づいたのだった。

それを鬼だと決めつけるには、何の根拠も証拠もないのだが、
べつに誰に話すわけでもない。
あの山の稜線を、黒く、のっしのっしと歩く巨大な生き物は
「鬼」である、と私は感じとっていた。

毎日同じ時間、同じように仕事をこなし、
夕方になると、その遠くに見える「鬼」に気づきながら、
いつも車を運転していた。

職場でも、家族や友人達との間でも、テレビのニュースですら、
このことに全く触れられることがなかった。
でも、まぁ、そもそも私の方からこのことについて
誰かに話すということもなかったわけだから
・・・まぁ、そういうことか。

1週間ほど経ったある日、
鬼がずいぶんと近くまで来ているということに気がづいた。

もう山の稜線のシルエットではなく、はっきりと見える大きさで
(と言っても巨大な生き物なので、まだ遠くではあるのだが)、
山を降りて、向こう岸の山の手の家々を壊し、暴れ、鬼の赤い肌のように、
真っ赤な炎を上げて、集落が燃えているのが見える。

そういえば、ここ数日、職場に来る人の顔ぶれが変わってきているような気がする。
いつも昼ごはんを食べる定食屋がここしばらく休みなのも、
あの集落から働きに来ている人のお店だったのかもしれない。

それなのにまだ、テレビでも、職場でも、家族や友人達との間でも、
このことが話題にのぼらない。
不思議な毎日だった。

数日経ったある日、川の向こうで、鬼が私を見て立っていた。
夕日からの逆光のせいで、その表情はわからない。

怒りを経た後の哀しみのようなものを
私は感じとっていた。

鬼が私を見ているのは
私が鬼に気づいたので、鬼が私に気づいたのかもしれない。

私は何故か、どうしようもない胸の苦しみにおそわれた。

次の日、私はいつもの川沿いの国道を、いつもと同じように運転していた。
いつもより道が空いている。

スピードをあげてカーブを曲がり、トンネルに差しかかる手前、
いつもの巨大な鬼が道を塞いで立っていた。

あわてて急ブレーキを踏んで止まる。
閉じていた目を開けて、ゆっくりと顔を上げると、
鬼はゆっくりとかがんで手を伸ばしてきた。

殺される!
とも思ったが、迎えてくれているようにも感じた。

怖いような、憎いような、悔しいような、恥ずかしいような、仕方がないような。
わかったような、わからないような、最初から全部知っていたような。

ひと通りの感情を味わった後、
私は鬼の手の平に乗っていた。
もう二度と帰ることはないのだろう。
それがただ本当は寂しかったのだ。

そして、誰も乗らなくなったあの私の会社の車は
次は一体誰が運転することになるんだろう?
誰かが運転しなければ、道が塞がって、誰も先に進めなくなってしまう。

そんな余計な心配をわずかな未練に残しつつ、
少しずつ「私」という意識が溶けてゆくのを見送ったのだった。

〜歌〜
ふりかえるよに
ふりかえるおに
おみやげがひとつ
あったらしい

くりかえすよに
すりかえるおに
あたらしいよに
なったらしい

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