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Oddworld Inhabitants 異端デベロッパーの冒険② Xboxへの移行からスタジオ閉鎖まで

97年12月に『Abe's Oddysee』をリリースしたOddworld Inhabitant(以下・Oddworld)は、翌年から同作の続編にあたる『Munch's Oddysee』の開発に着手した。しかし、プレイステーションのスペック的制約から、『Munch』をこのハードで実現するには難しい内容と判断したローン・ラニングは、『Oddysee』の拡張版的タイトル『Abe's Exoddus』(日本では『エイブ99』としてリリース)を98年11月に発表する。『Exoddus』には開発を先送りにした『Munch』への布石(登場人物などの固有名詞)がそれとなく盛り込まれており、後から振り返ってみれば中継ぎの役割をきちんと果たしていたタイトルだ。

Oddworldユニヴァースの根底にあるのは、我々が進んでいる現実世界を反映したリアリティである。明確な不平等、資本側から労働者への一方通行的な搾取が、被る側によって間接的に支えられている歪な構図。これがユーモアに包まれることで、遊ぶ者・画面を見る者は奇妙な親近感を抱く。『Munch』でもそれは健在だった。しかし、いかに図面が綺麗に描けても具体化できねば意味がない。Oddworldはソフトの開発面で座礁し、自分たちの理想と現実のギャップに苦しんだ。その原因は次世代ハードとして登場予定だったPS2の開発環境と、そこに割って入るように出てきたマイクロソフト移籍の話、つまりはXbox「専用」でソフトをリリースする案の二つだ。ラニングとシェリー・マッケナの二人は、ヴィジョンが資本によって修正される(歪められる)ことを身をもって味わうのであった。

Xboxへの移行

2000年はラニングとマッケナにとってビジネスの年だった。ラニングは開発者としてソニーに接するも、同社がデベロッパー即ちゲームを作る側の都合を無視した環境を維持してることに不信感を抱いていた。当初はPS2用に開発を進めていたOddworldだが、想定よりも膨れ上がっていく必要資金や、アンチエイリアス処理のコードを自分たちで書かねばならないなどの不自由が積み重なっていく。
1999年夏、かつては「Office」事業部でトップを務めて、95年からPCゲーム事業部に活躍の場を変えたエド・フリーズと、Xboxの生みの親に一人に数えられるシェーマス・ブラックリーがわざわざらOddworldに使いを送り、ラニングたちに交渉を持ちかけた。ブラックリーはもともとプログラマー兼デザイナーであり、『Trespasser』(『ジュラシックパーク』シリーズのゲーム)で商業的な失敗を経験したのちにのマイクロソフトに流れ着いた過去がある。3Dグラフィックが新しいエンターテインメントになるという考えでもラニングとウマが合ったため、ラニングにとっては少なくともソニーの面々よりはデベロッパー側に立っている人物だった。
Xboxの最終的な仕様が決定しないうちはPS2から離れられなかったラニングだが、2000年5月に開かれたE3中の会話がターニングポイントとなり、本格的にマイクロソフトとの契約を視野に入れた。

Direct Xの初代ロゴ。放射能マークを模したデザイン

ラニングがXboxに魅了された要素の一つは「Direct X」を搭載していたことだった。Direct XとはWindows用に作られた複数のコンポーネントをひとまとめにしたもので、グラフィック描画に関するDirect 3DやDirecy Draw、サウンド面はDirectSound~XAudioなどで構成されている。Windows用ゲームや90年代中頃のPCゲームを大きく促進させたものであり、Xboxという名前も当初はこのエンジンを積んだ新ハードという開発中の呼称だった。
Direct Xは94年の9月からマイクロソフト社内で「秘密裏に」制作が開始され、やがて独立した発明として認められる。旗揚げしたのは「ビースティー・ボーイズ」として呼ばれる凄腕かつクセのあるプログラマーたちで、アレックス・セントジョンとクレイグ・アイスラー、そしてエリック・エングストロームは、当初この企画を「マンハッタン計画」と呼んでいた。世界中の家庭に置かれている日本製ゲーム機をPCに置き換える(侵略する)という危なげな由来と名前を持つ企画だったが、本格的に採用が見込まれるにつれて、以前から開発者間で使われていた通り名「Direct X」に落ち着いた。Direct Xの初代ロゴは放射能マークそっくりなのも「マンハッタン計画」としての名残なのだろう(なんと当初はキノコ雲を模したロゴにする予定だった)。ビースティー・ボーイズの不遜で挑発的なユーモアは、芸術的過激派であるラニングとそう離れてはいなかった。

ラニングがマイクロソフトと腹の探り合いをしていた頃、パブリッシャーとの交渉を任されていたマッケナも問題に直面していた。これまでOddworldのリリースしてきたGT Interactiveが、フランスのリヨンから台頭してきたInfogramesに買収されてしまったのである。Infogramesは『タンタンの冒険』のゲーム化や『アローン・イン・ザ・ダーク』シリーズで名を馳せた一メーカーで、90年代後半からは国内外のデベロッパーやパブリッシャーを大量に買収し、自らのネットワークを拡張する過程にあった(2001年にはATARIの権利を買い取って、子会社として同社ブランドを再び復活させた。2009年には社名をATARIに統一している)。BASIC言語の教本で小さなヒットを生み、その売り上げを元手にInfogramesを創設したブルーノ・ボネルは、当初自社名を「Zboub」(フランス語で男性器の意)にするつもりであった挑発好きのデザイナーであり、ラニングにとってはPCゲームをヒットさせた先輩格でもあった。
GT Interactiveと提携していたデベロッパーへの出資額を削減しようとしていたInfogramesだったが、そこに目を付けたマイクロソフト内の担当者であり、シェリー・マッケナのかつての同僚であったスティーブ・シュレックは、互いのCEOと法律家たちによる会合の場(マッケナはこの36時間に及ぶ会議をディーン・タカハシ『マイクロソフトの蹉跌』の中で「生涯最大の悪夢」と形容している)を用意した。2000年10月23日、OddworldはXbox「専用」タイトルとして『Munch』をリリースする契約を結び、Infogramesは出資の増大を決定した。

2001年3月にシアトルで行なわれたビデオゲーム見本市、「GameStock」でラニングは『Munch's Oddysee』のデモを見せながらXboxが如何にデベロッパーに優しいかを説いた。だが、その日の目玉は今日でもFPSのクラシックとして人気を博す『Halo』で、マイクロソフトも売り上げを『Munch』以上に期待していたとされている。後述するが、この『Halo』を巡るマーケティングは、後にもOddworldを悩ませる。

『Munch's Oddysee』

『Munch's Oddysee』はXboxのローンチタイトルになることもあって、過去作の時にはないプレッシャーがつきまとっていた。『Munch』は一つの画面に大量のキャラクター(マドカン族など)が登場する場面が多く、Xboxのグラフィック描画能力をプレゼンするゲームショーなどの機会で、ハードの期待を煽っていたからだ。しかし、それまで2Dのゲームを手がけていたOddworldのスタッフにとって3Dはまだまだ未開の領域であり、最終的な納期が近づいてもバグチェックでは1000個以上もの不具合が報告されていた。さらに、最終的な締め切りは2001年9月11日。この日は米国で貿易センタービルへの同時多発テロが起きたことで、あらゆる業界のスケジュールが狂ってしまった。マイクロソフトも同様で、本体と『Munch』含めたローンチタイトルの発売は11月15日となった。日本では2か月先んじて発売していた任天堂のゲームキューブが北米市場で発売される、実に3日前のことである。
コアなOddworldのファンはマイクロソフトとの婚約そのものを否定的に受け止めた。PCとプレイステーションというプラットフォームを捨てたことへの反発はもちろん、常に多数派へのアイロニーと風刺を忘れなかったOddworldがマイクロソフトに下ったという見方もあった。あれだけメディアに出ては芸術家面していたラニングが資本に屈した、といった揶揄も表面化していた。最も有名な例はゲーム業界をネタにしたWEBコミック大手『Penny Arcade』だろう。Oddworldとマイクロソフトが契約を締結させた2000年10月23日に更新された「It Is Also Called "Moolah"」では、ラニングがドル札で出来た帽子を被った狂人手前の人物として描かれている。

『Munch』の主人公はおなじみになったエイブと、惑星オッドワールドで絶滅危惧種とされているガビット族のマンチだ。プレイヤーはこの二人を交互に操ってパズルを解いていく。エイブはマドカン族とコミュニケーションを取ったり、お馴染みのチャントで敵を操作する。対するマンチは、頭から放電することで機械を作動させたり、あらゆる「素材」にされてしまう家畜以下の存在「ファズル」たちに命令して敵を攻撃することができる。特徴はマドカンもファズルも、「大量に」けん引できるようになった点で、シリーズの持ち味である「GameSpeak」機能の進化として『Munch』の目玉になった。多くのNPCが「独自に思考して、プレイヤーについてくる」という構図は、AIという分野が進歩中であることを象徴づける例として、『WIRED』のようなメディアが着目するほどだった。『WIRED』誌は2002年3月号の「AI特集」(上写真)で、ゲームAIの進歩と可能性についての記事を掲載し、同記事内で任天堂『ピクミン』や『Munch』、そして『Halo』のNPCが持つ思考ルーチンが、『The Sims』のような従来のAI自由意志にはない、よりニュアンスに富んだ人工知能の入り口になることを指摘している。

後年、ラニングは「Xbox版」の『Munch』を「キャリア史上で一番の失敗」と悔しそうに振り返っている。納期とバグチェックに苦しめられたのはもちろんのこと、『Munch』のゲーム性はそれまでにリリースされていた3Dタイトル、たとえば『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』のような作品と比較されてしまった。いわゆる「お使い」(扉を開けるためにほかの地点でパズルを解いてステージを進むためのカギを拾い、再び扉の前に戻ってくる)ゲームとしては『Munch』はかなり大味だった。エイブがチャントを使うための条件であるキノコの収集はあまりに作業的で、何より「集めるオブジェ」の登場が、Oddworldを一気に任天堂のゲームのコピーにしてしまったように見えた。個人的に即死系アクションから不透明な体力制になったのは大きく、敵の銃撃を数発耐えてしまうエイブというのは違和感がある。
追い打ちをかけるように、『Munch』の発売から3週間も経たないうちに北米で任天堂の『ピクミン』がリリースされた。ピクミンと呼ばれる大量の生き物に命令し、収集や敵の撃退をこなしていくゲーム概要は『Munch』と被るうえに、グラフィックのレベルでも大きく上を行っていた。

救いは『Munch』がOddworldの、ラニングの頭の中を反映したストーリーまでは忘れていなかったことだ。ガビット族が悪役グラッコン族に乱獲されるようになった理由は、ガビットが富裕層に人気なキャビア缶の材料になることと、彼らの肺が支配階級であるグラッコン族の頂点に座するマーガレット(ゲームには名前しか登場しないが、マーガレット・サッチャーがモデルなのは明らかだ)のための人工肺に使えるという事実からだった。ラニングはガビット族およびマンチに、動物実験とそれを柔和しようとする欺瞞的な可愛らしいイメージ、高齢者が延命のために放射線治療を選択「させられる」不穏な現実を背負わせた。マンチが水棲という設定も、ラニングが幼少時から抱いてた汚染されていく海洋への哀れみが反映されている。

Stranger's Wrath、スタジオ閉鎖へ

『Munch』の製作からセールスに至るまで、あらゆる箇所で苦汁を味わったラニングは、次なるXbox用タイトルからエイブの姿を消した。かねてから構想していた、全5つの物語からなるOddworldユニヴァースの一篇ではなく、それを補完するストーリーで一本のゲームを作ることにしたのである。その結果が惑星オッドワールドを舞台にしながら、エイブとはまったく無関係の人物たちが出てくる『Oddworld Stranger's Wrath』だった。
『荒野の用心棒』で知られるウエスタンの巨匠セルジオ・レオーネの作品に強くインスパイアされている本作は、良い意味でエイブと正反対のイメージを持つ主人公像が確立された。プレイヤーは孤高で腕っぷしのあるストレンジャーを操り、賞金首たちを生死問わず捕獲して、ある目的のために賞金を得ていく。賞金首の捕獲が「カルマ」という見えないパラメータに作用するのがOddworldらしいところで、死亡させての捕獲の頻度やゲーム内の対応によって、街中の住民たちのストレンジャーに対する態度が変わっていくのだ。『The Sims』や『civilization』のようなシミュレーションが好きなラニングらしい設定である。アイデア自体に目新しさはないものの、現実の翻訳とも言える要素はOddworldになくてはならないものなのだ。
エイブと違ってボウガンを駆使するストレンジャーだが、射出する玉は惑星に住む生物たちを利用したもので、あくまで捕縛や威嚇が目的になっている。安直な弾薬の使用や、ターゲットを射殺することが前提になっていないのだ。それと同時に、ストレンジャーが他の生命を糧(仕事道具)にして生きていくことの立証にもなっている。このような人類含めた自然のサイクルをゲームのシステムに落とし込むことは、アクションパズルの枠内で展開されていた過去作にはできなかった。『Wrath』はそれ自身の個性を確立した。

街中や荒野でのイベンデモからゲームパートへのスムーズな移行、GameSpeakシステムの発展形ともいえる住人たちとの会話、そして北米で人気の高いTPS~FPSというフォーマットの適合と、『Stranger's Wrath』はラニングさえも予想しなかった着地を果たし、業界でも高い評価を受けた。しかし、Infogramesから大手Electronic Artsに代わったパブリッシャー事情が再びOddworldを悩ませる。『Wrath』は及第点の3分の1にも満たない60万本ほどの売り上げに留まり、Oddwolrdは大打撃をこうむった。「EA社は『Halo』(『Wrath』とほぼ同時期に新シリーズが発売された)のようなタイトルの広告にばかり力を入れていて、こちらのPRには非協力的だった」とラニングは主張した。
『Wrath』発売のわずか3か月後、経営的困難からOddworldはオビスポのスタジオを閉鎖した。公式ホームページのフォーラムでは、『エイブ』シリーズに登場する狂言回し的存在「アルフ」(実際はオフィスの受付だった女性が投稿していた!)が、ファンに向けて今までの支援を感謝する文言を投稿した。

ラニングとマッケナはビデオゲーム開発時代に培ったノウハウと経験をもって、自分たちの理想である「映画」に接近していく。そこからの道のりもまた失敗と方向転換の繰り返しなのだが、この受難がやがて彼らをゲームの世界へと引き戻し、二人が本来描きたかったOddworldユニヴァース5部作の再起動に結実するのであった。

続きます。








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