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⑯ V.A. / In Fractured Silence (1984)

Nurse With Wound(NWW)ことスティーヴン・ステイプルトンのレーベルUnited Dairiesからリリースされたオムニバスが、仏SouffleContinu Recordsから再発された。LPしか出さない版元だという認識だったが、珍しくCDも併発だったから嬉しい。

United Dairiesは79年のNWW『Chance Meeting On A Dissecting Table Of A Sewing Machine And An Umbrella』を皮切りに、当時のNWWメンバーの嗜好に沿ったレコードを発表した(82年以降はステイプルトン個人の運営となる)。その模範となったのは60年代の音楽実験で、ポストパンク全盛期ともいえる70年代末から80年代前半に参照された音楽とも換言できる。主にESP DiskやECMといった前衛的ジャズ、主に左翼思想から生まれた欧州の劇団たちの実況録音、英米以外のプログレシッヴ・ロックや自主制作された電子音楽スタジオの記録など。これらの音楽は多くが『Chance Meeting~』に封入された通称NWWリストに記載され、NWWひいてはUnited Dairiesのルーツとして明示されている。
SouffleContinu RecordsはNWWリストに入っているバンドをいくつか復刻しているが、その傾向はFuturaといった60年代のフランスに登場した自主レーベルが遺したものに偏っている。United DairiesにとってFuturaは理想形の一つであるからして、今回の再発は両者を改めて接続するだけでも意義がある。さらにA面にはフランスの作家たちが参加し、リュック・フェラーリにも提供してもらう予定であったという本オムニバスは、明らかに60年代のフランスから生まれた実験的な音楽への敬意が含まれているため、よりふさわしい場とすべきだろう。
なお、フェラーリの件だが、ステイプルトンは2006年『WIRE』誌インタビュー内で、電話口にフェラーリへオムニバスのコンセプトを伝えたところ、なぜか激昂されて提供の話はナシになったと述懐している。

収録バンドはUn Drame Musical Instantané、エレーヌ・サージュ、Sema、NWWの4組。即興演奏を通り道とするUn Drame Musical Instantanéは60年代の騒乱の余波といえる。音楽をブラインドシネマと呼ぶ彼らの方法論からは、とりわけ初期のNWWとの親和が見出だせる。本オムニバスへの提供曲も物語的な構成だが、NWWのようにドラッギーではない展開はより静聴を促す。続くエレーヌ・サージュの曲とはシームレスに繋がっており、A面全体で単一の曲という意向もあるのだろう。乗物の稼働音などフィールドレコーディングらしき時間を、ペレス・プラードにしか聞こえない男の叫びが揺さぶる。

Semaことロバート・ヘイは私的に本企画のハイライト。常にエリック・サティと比較しがちなヘイの音選びは、ピアノを主役たらしめるその他の音たちによってSEMAの音楽として成り立つ。ここでも展開を進めるのは何かしらのフィールドレコーディングめいた音響であった。本名名義のピアノ・ミュージックと共通している点は、個人が演奏している姿がまったく目に浮かばないところにある。停止した時間として録音物に封じ込まれている幽霊的な佇まいは、我執を断つヘイの挑戦の成果だろう。この時期に発表された各所のオムニバスを最後に、ヘイはSEMAとしての音楽を作っていない。

NWWはジャーナリストのデヴィット・エリオットのパートナーによる女性の朗読を主題にした音楽である。言葉から意味を剥ぎ取り、声というサウンドへこちらの聞き方を揺さぶる技巧は、今日の超ミニマリスティックな音楽にはない特色がある。のちにロバート・アシュリーの『Automatic Writing』をなぞった「A Missing Sense」や、同じく朗読と極少の音響操作で気が遠くなる時間を作り出す『Echo Poem Sequence』シリーズの原型と呼べる。
曲名はそのまま口を楽器とした音楽の意であると同時に、明らかにシモの含みがある。アカデミックな背景がつきまとう実験音楽に、盛った中学生男子ばりの短絡さを接続するNWW流のユーモアは今日までもずっと変わらない。

この時期のUnited Dairiesはドイツのアスムス・ティーシェンスのLPや、Guru Guruのライヴ音源を出している。西ヨーロッパの60年代に芽吹いた、革新を求める精神の(ちょっといびつな形の)果実を拾ったステイプルトンによって、その試みが継承された期間だった。

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