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ちむぐりさ。そして沖縄をもっと好きになる。

7月はパワハラで休職、メンタルダウンしながらも家族といい時間を沢山もてた不思議な1か月だった。この7月は自分が慣れ親しんだ著名人たちの急逝の報せが続いた。精神的に不調な時には非常に堪えるものだった。

・りゅうちぇる

・ジェーン・バーキン

・ジュリアン・サンズ

・シニード・オコナー

人が死ぬっていうのは至極当たり前の現象で、命ある限り必ず死ぬものなのだが、その現実を受け止めきれない往生際の悪い自分がいる。

仕事を休職しており時間ができた為、故人の活躍をyoutubeで沢山追うことができた。

そんな中で、楽しみも見つけた。

急逝したりゅうちぇるの動画を追っているうちにyoutubeで芸人コンビ「ありんくりん」やyoutubeチャンネル「おきなわちゃんねる」に出会い、今月は沖縄旅行があまりにも素晴らしかったので、いい楽しみができた。「ありんくりん」や「おきなわちゃんねる」を観て横浜で沖縄を堪能している。

沖縄には幼い頃から魅了されてきたけど、海も空も花も緑も人もまぶしく優しすぎる。よそ者の私でさえも優しく癒してくれる懐の深い凄い場所だ。7月、沖縄がもっと大好きになった。

ありんくりんのコントはクオリティが高くて非常にオモシロい。撮影現場が沖縄感満載で沖縄を楽しめる。

「カマドゥーおばぁ」が大好きになった。癒しと笑いが結合している。

COCCOの教えてくれる沖縄もディープで楽しい。

※私は横浜市鶴見区本町通りで生まれ育っている。そうすると朝の連続テレビ小説「ちむどんどん」で舞台となった仲通りっていうのは生活の圏内で当たり前のように沖縄の文化が街の中にあった。クラスにも沖縄から来た友達がたくさんいた。スーパーに豚の耳が並んでおり、幼い頃泣いて「お母さーん、豚の耳買ってー」と母に号泣し懇願したらしい。クラスのお母さん方が手作りのサンダーアンダーギーを教室によく贈ってくれた。それがすごーく美味しかった。私は灰谷健次郎が大好きだったため「太陽の子」で沖縄戦を知り、幼少時からずっと沖縄に興味を持ち魅了されてきた。1980年代、15歳の時、沖縄戦を学ぶための旅「ピーストレイン」という旅で沖縄と長崎に訪問した。18歳、灰谷健次郎に会いたくて「ピースボート」にも参加した。そこで夫と出会った。石垣島に行った。その後も何度も旅で沖縄に訪問した。

48歳、沖縄の虜だ。


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