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「評価されてないな」と思う人事がよかった話

森信三『修身教授録』致知出版社 第14講 真実の生活

若手教師時代、高学年の担任になるのこと誉であったように思う。
高学年の担任は大変であり、中学年から高学年に行ったり、自分の担任していた学年を持ち上がったりするというのは、管理職や周囲からも評価された証のようなものがあるからだ。
また、学校の異動にもややそういうものがあると思われる。いわゆる研究校への配属は、教育委員会の期待などがあるのだろうと思うのであった。

さて、若い頃の私はというと決して評価は高くなかったと思っている。
1校目では、初任の時、5、6年生を持ったものの、あとは持ち上がりはなかった。
初異動の2校目は小さい学校であり、いわゆる研究校ではなかった。

しかし、私の人生を大きく変えてくれたのはこの持ち上がりではない時、2校目の学校であった。

高学年の担任にはならず、2年生を担任したことがある。いっちょここは低学年で思いっきり勉強しよう!と発奮し、全力120%で取り組んだ。
学年主任も素晴らしい方でたくさんのことを学ばせていただいた。学年会でする授業の話が楽しかった。主任の授業論や学級経営の話を聞くのが本当に勉強になった。毎回の学年会が楽しみだった。
こどもたちとの生活も本当に幸せだった。かわいい2年生で、毎日笑顔になれた。
保護者の方々もあたたかく、とても幸せな時間だった。ポニーテールって好きなんだよね、と子供達に話していたら、授業参観でたくさんのお母さんたちがポニーテールで来てくれたこともあったw
その1年から学んだ細やかさや、声かけや優しさなどの対応だけではなく、授業についても低学年の基礎の重要性を感じ、6年間を見通せるようになっていった。教師としての基礎が固まったように思えた。

また、2校目では、よっしゃ!せっかくだし、全力でやってみようとここでも発奮した。
ほとんどの期間、研究主任を任せていただき、0から英語の研究を立ち上げた。そこで英語の専門性がある程度つくられた。学校での研究の作法を学び、多くの方々とつながることができた。尊敬する先輩方からの学びは貴重だった。
また、筑波の中央研修に行ったり、様々な研修の講師を任されるようになった。人生が拓けていったなぁと感じていた。
さらにその期間にであった子供達、保護者の方々も素晴らしく、幸せな教師生活だったと思える日々だった。やりたい実践はほとんどできた。新聞にも取り上げていただいたこともある。
子供、保護者の素晴らしさは日本一の学校だと思っている。

人生、いわゆる、俺評価されてないな、と思う人事の時ほど私は幸せなことが多かった。

森信三先生は次のように述べている。

人間の真の強さというものは、このような場合に、決然として起ち上がって、自分の道を雄々しく切り開いていくところにありましょう。
・・・中略・・・
たとえば、諸君らが卒業後受け持った学級のうち、仮に小学校だけで終わるような生徒が多いような場合には、学歴としては小学校卒業だけであっても、下手に中等学校を出たもの以上にたくましく、人生を歩むような人間を一人でも作り上げるということになりましょう。
そして私は、かようなところにこそ諸君らが将来国民教育者として、国家社会に尽くす最も意義深い道があると思うのです。同時にそれはまた、諸君ら自身にとっても、真に生きがいのある人生の道と思うのです。

P101〜103

よく、置かれた場所で咲く、という話を3月には聞いた。
思い通りにならなかった人事がある際によく聞く言葉だ。
きっと思い通りにならないことも多い。それが人生だと思う。

しかし、きっと神様がこっちの方が今のあなたにあってるよ、こっちの方が幸せになれるよ、勉強できるよ、という形で教えてくださってるんだと思っている。
評価されてないな、と思う人事があったら、いっちょやってみっか!と全力を尽くした先に幸せが待っているのだと思う。

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