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引越物語⑥25年の土佐日記

高知県内にある大学への進学を機に、18歳の凪は、この気候も人も喜怒哀楽が激しい土地にやってきた。

土佐人の気風というのだろうか。

喜ぶときの表情の豊かさと声の大きさに、引っ越して来た当初は圧倒された。また、怒って険悪になったとおぼしき人達が、再会した時には笑顔で談笑している。

人間っていいなと感動したものだ。

かつて紀貫之が、送別会を終えたのになかなか帰京できなかったのも無理はない。

土佐の人は現代でも酒盛りばかりするし、お天気は荒れるしで、遅々としてミッションが進まないのだ。

浦戸や前浜のような海沿いで暮らす人々は、平安の世でも人たらしだったようだ。

興味深いことに、土佐日記には和歌が詠める童も登場し、大人がそれを拝借するエピソードもある。

研究者によっては、子どもが酒を呑むわけがないし和歌を詠めるわけがないとして紀貫之の創作であるとされている。

しかしながら、わたしは真実も少しは入っているのではないかと考えている。

高知の子どもたちが、短歌や俳句、詩や小説を楽しい遊びとして披露する姿を25年も見てきたからだ。


人も食べものも『あっさり』を求めているわたしには、高知はどこまでも居心地が良い。

初めて読む人に説明しよう。

凪はわたし。
主人公ではないけれど、何故か語りに指名された。

夫の正雄と義妹の菜摘、そして愛犬のたけしと暮らしている兼業主婦だ。

話を高知に戻す。

高知は、米もあっさりしている。

各地の有名ブランドと違い日本の米らしくない香りがする、というと奇妙だが、どんな異国の料理とも絶妙に合うと思う。粘り気が少ないせいだろう。


牛や豚も霜降りを追求するよりは、生きているときにのびのび暮らしてもらい、赤身の旨さを味わう。

魚は生か炙るのが土佐の王道。

海のもの
山のもの
川のもの

素朴な見た目の高知の食べものは、いつも我が家に幸せを与えてくれる。

引っ越ししたら蒸し器かタジン鍋を買おう。


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