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LEO 箏(こと)リサイタル★和洋、今昔を奏でる新風

 箏(こと)の奏者は古来、女性が多かったとされるが、平安時代に書かれた「源氏物語(げんじものがたり)」では、光源氏(ひかるげんじ)が名手(めいしゅ)であった(正確には琴(きん)の名手。箏(そう)と区別され、「こと」は総称)。「春の海」を作曲した箏曲家(そうきょくか)・宮城道雄(みやぎ・みちお、1894~1956も思い浮かぶが、そんな箏の世界に、新しい風を吹かせる若きホープが現れた。

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チラシから 

 箏奏者、LEO(本名:今野玲央=こんの・れお)のリサイタルが、ハクジュホール(東京・渋谷区富ヶ谷)で行われた(2021年2月25日夕<ほかに昼の回>)。「第156回 リクライニング・コンサート LEO 箏(こと)リサイタルー和魂洋才 箏(そう)曲の未来形」と題した公演。リクライニング・シート(今回は全席)が特徴的な音楽ホールで、ゆったりと箏の音色に耳を傾ける。

https://www.youtube.com/watch?v=gND5pFB9nmU&list=PLWUx-0nfdpbcy7HqQrlNqKI4An7bC0VCC&index=3
春の海 Haru No Umi - Koto(LEO) ×Shakuhachi (Reison Kuroda)
LEO

 日本人にとって箏の音は、正月に「春の海」が流れているのを耳にするぐらい、というのが一般的だろう。義務教育の小・中学校における音楽の授業は、クラシック音楽といった西洋音楽が中心で、日本人を邦楽(ほうがく)から遠ざけてしまった。明治時代の近代化で、西欧文化を導入する中で、西洋音楽の教育を優先してきた経緯がある。

日本の伝統楽器で、和と洋を結ぶ

 LEOは今回のソロ公演で、「和魂洋才 箏(そう)曲の未来形」という副題の通り、日本の古典からバッハといった西洋のクラシック音楽、さらにはジョン・ケージの現代音楽など、時代やジャンルを超えたプログラムでのぞんだ。

 LEOは、1998年横浜市生まれで、アメリカ人と日本人のハーフ箏と出合ったのは、9歳のとき。通っていた横浜インターナショナルスクールで、音楽の先生だった箏曲家のカーティス・パターソンから指導を受け、箏によって自己表現する喜びを得る。

 自分はハーフでアメリカ人なのか日本人なのか、と思い悩んでいたLEOにとって、日本の伝統楽器である箏は、自分のアイデンティティーを確かめるものとなったという。さらに言葉の違いを超えて、自分を表現できる音楽の力を実感する。

 そうして夢中で箏の練習をしたLEOは、14歳のときに「全国小中学生箏曲コンクール」グランプリを受賞、16歳で「くまもと全国邦楽コンクール」の最優秀賞・文部科学大臣賞を受賞した。

 2017年、東京藝術大学在学中にデビュー。同大学の邦楽科では、圧倒的に女子学生が多かったらしいが、在学中からNHKや民放のテレビ番組にも出演、「第68回神奈川文化賞未来賞」も受賞した。2019年には「第29回出光音楽賞」を受賞している。15歳から箏曲家・沢井一恵(さわい・かずえ)に師事しており、現在は、沢井箏曲院(生田流)の講師を務めている。

現代から古典、西洋へ

 今回の公演で、LEOが最初に演奏したのは、NHK大河ドラマ「平清盛」の音楽などを手掛けた作曲家・吉松隆(1953~)が、二十絃(げん)箏のために書いた作品「すばるの七ツ」op.78(1999年)。

 ロックやジャズのグループに参加しながら独学で作曲を学んだ、現代音楽界の異端とも呼ばれる吉松隆の作品を、最初に選んだところに、LEOの音楽的志向性をみた気がした。「すばるの七ツ」は、星空を眺めながら感情に浸るような旋律が、伝統的な和楽器ならではの雅(みやび)な音色で美しいのに、エレキギターのような響きも感じられ、面白い作品だと思った。

 そこから古典へと戻り、伝統的な十三絃にかえて、近世箏曲の祖・八橋検校(やつはしけんぎょうの作と伝わる「みだれ」を演奏。ちなみに、京都の定番土産「八ッ橋」は、ことに似せた菓子を、八橋検校にちなんで名付けたとされる。

https://www.youtube.com/watch?v=QKaByVyGRao&list=PLWUx-0nfdpbcy7HqQrlNqKI4An7bC0VCC&index=6
みだれ(八橋検校 作曲)/ Midare - 箏/ Koto (LEO)
LEO

 江戸時代に、独奏楽器としての箏の基礎を築いた八橋検校(1614~1685)。「源氏物語」にちなんだ箏組歌(ことくみうた)も数多く残している。有名な「六段(ろくだん)の調(しらべ)」は、初段以外が一定の拍数で「序・破・急(じょはきゅう)」の構成。

 「みだれ」は、「六段の調」と同じ段物(だんもの)だが、各段の拍数が一定ではなく乱れており、多彩な緩急掻(か)き手の多用が魅力的な作品である。さまざまな解釈がされてきた作品だが、LEOの演奏は、ゆったりと入るという印象だ。

 この作品を聞いていると、筆者の勝手なイメージとして、川の流れが思い浮かぶ。川には時折、急な流れや滝があり、そうした自然の営みは「源氏物語」に登場する女性の髪のように揺れ動く人間の心情とも重なる。それは日本古来の仏教思想と自然観を背景に、自然も人の心も変化し続けていると捉える世界観である。

 続けて、J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004より”アルマンド”」。シャコンヌが有名で、ヴァイオリン奏者にとってはバイブル的な作品である。それを、箏で演奏するというわけである。

 J.S.バッハ(1685~1750)は、八橋検校の没年に誕生したことからほぼ同時代に活躍したとして、八橋検校の「みだれ」と対比的に配置した、とLEO自身は語っていた。だが、その対比によって、筆者にとっては、箏によるバッハの作品の演奏に対して、より強い違和感を覚える形となった。

 それは、邦楽と西洋音楽の間に存在する根本的な違いによるものだろう。西洋のキリスト教を背景に、完璧に作られた天上世界を音楽で表現しようとしたバッハの音楽(数神秘主義ともいわれる)。それに対して、変化する混沌(こんとん)の世界をありのままに見つつ秩序をも志向する仏教思想を背景として、邦楽は、間合いなどの時間の感覚、五音音階における揺らぎと音の密度などが異なるように思う(音の広がり方、即興性や身体性も)。

 ちなみに検校とは、仏教僧に由来する、盲人の最高位の官職名で、八橋検校は幼い頃から目が不自由だった。バッハは晩年、失明している。

時空を超えて

 LEOは、現代音楽の巨匠ジョン・ケージ(1912~1992)の「ドリーム」を、十七絃箏にかえて演奏。ジョン・ケージといえば、有名な「4分33秒」は東洋の思想に影響されたもの。「ドリーム」では、余韻(よいん)に通じるものも感じる。宮城道雄が考案した十七絃箏はチェロのような低音域があり、演奏ではハープやギターのような音色も感じた。宮城道雄は、邦楽に西洋音楽の要素を取り入れていた。

 続いて、箏曲家で作曲家の沢井忠夫(さわい・ただお、1937~1997の「(がく)」を演奏。失った息子の名前にちなんだ作品で、心が乱れるような無窮動(むきゅうどう)から静かな追憶、次第に感情が高ぶっていくように感じられた。 

 アンコール曲は、「さくら」。疾走感が、桜並木を足早に通り過ぎる多忙な現代人の感覚、すぐに散ってしまう桜への名残と重なる。そこから祭りで女性が舞うように、桜の花びらが幾重にも重なって舞い散る姿がみえた。

https://www.youtube.com/watch?v=K_CKtGBY9PY&list=PLWUx-0nfdpbcy7HqQrlNqKI4An7bC0VCC&index=4
空へ(今野玲央 作曲)/ Sorae - 13絃箏/ Koto (LEO)
LEO

 もう一曲は、LEOの自作曲「空へ」(2018年)。困難を乗り越えようとする感情の音色が、現代という風に乗って、空へ飛んでいったような気がした。

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