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あいつは誰なんだ?2

地元から東京に戻り、まず最初に高校の卒業アルバムを開いた
同窓会で再会した名前がわからなかった人達が誰なのか確かめるためだ

スマホに昔の地図や昔の街の写真を仕込み、隣の女子を釘付けにしていていた同窓会手練れの名はすぐに判明した
そういえばそんな感じの名前を名乗っていたという記憶があったので、アルバムで調べると確かにあいつだった
思った通り、3年生の時、同じクラスではなかった
多分、一度も同じクラスになったことはない

一方で、とても人相のいい禿げの捜索は難航した
同窓会に出席した人のリストがあるので、それと卒業アルバムの写真を一人一人照合したが、同窓会で見たとても人相のいい禿げはいなかった
私がその禿げのことが気になるのは、あまりにも人相が良かったので、高校時代、さぞかし優しい奴で、自分はその禿げに助けてもらったかもしれない、と思ったからだ
しかし、何度、同窓会の出席リストと卒業アルバムの写真を照合しても、同窓会で見たあのとてもいい人相は見つからなかった

こうなると話はミステリーとなってくる
いるはずのとても人相のいい禿げが、実は卒業アルバムに載っていない
あいつは誰なんだ?

考えられる仮説はこうだ
みんな同じ夢を見ていて、その夢の中だけあのとても人相のいい禿げは存在する
みんな同じ夢を見ているから、同窓会にいても彼が実在しないことに気づかない

そう考えると筋が通ることがある
それは彼の人相の良さだ
夢の中にだけいる存在だから、いくらでも美化できるからあれだけ人相がいい
また、夢の中だけにいる存在だから、世間の苦労とは無縁なので、あんなにも穏やかな表情をしていられる
それくらいその禿げの人相はよく、仏のレベルだった

不思議なのは、あれくらい鮮明に顔の印象があるのなら、思い出の一つもあっていい
だが、顔は覚えているが思い出がない
何か思い出そうとすると、意識が霧に包まれるようにぼんやりとしてくる

どうすればいいのだろう?
どうすれば、あいつは誰なのか知ることができるのだろうか?
同窓会に出席した奴に連絡を取り、「とても人相のいい禿げがいたと思うが、あいつは誰なんだ?」と聞けばいいのだろうか?

問題は、それで通じるかどうか?
ハゲはもう一人いた
そいつはオランダから来た禿げだった
オランダから来た禿げは、現在仕事でオランダにいるが、一時帰国していたので同窓会に出席できた、と言っていた
そしてオランダから来た禿げは、とても人相のいい禿げとは違い、すっかり毛がなくなっていた
「オランダ」というインパクトと「つるっ禿げ」という二つが重なり合って、同窓会に来た奴らにとって「禿げ」と言えば「オランから来た禿げ」となっていることだろう
そうなると「とても人相のいい禿げがいたと思うが」と聞いたとしても、そんな薄い情報では捜索できん、と突っぱねられることだろう

ならば「とても人相のいい奴がいたと思うが」と聞くことになる
だがそれは検索ワードとしては曖昧すぎる
みんないい歳の取り方をしたのか、それなりにいい顔をしていた
むしろ、人相が悪くなってた奴は一人もいなかった

そうなると「オランダから来た禿げほどではないが禿げていた奴がいたと思うが」と聞けばいいのだろうか?
今更だが、それは失礼な感じがする
禿げが禿げているのは禿げなので仕方ないからいいと思うのだが、禿げの程度に着目し、それを特徴として挙げるのは、それが気心が知れた同窓生であっても人間性を疑われるような気がする

万事休す
このままでは次の同窓会まであいつが誰なのかわからないし、そもそも次の同窓会に来るかどうかもわからない
あんなに人相のいい奴と自分はどのように関わっていただろう?
多分それは自分にとって癒しとなっていたはずだ
それがなぜ思い出せないのだろう?
これでは大切な宝物を海の底に落としてしまったようなものだ
まだ同窓会の記憶があるうちに、とても人相がいい禿げが誰だったのか思い出すことができなければ、私はこの大切な宝物を永遠に失ってしまうことになる

そこで私は一旦お茶を飲むことにした
妻に嬉野茶を淹れてもらい、実家の母が持たせてくれた手作りの栗饅頭を食べ、妻とたわいのない話をした
そうやって自分をリセットし、私は再度、同窓会出席リストと卒業アルバム写真との照合作業に取り掛かった
とても人相のいい禿げが夢の中にだけいる存在でなければ、必ずこの作業により発見されるはずなのだ
発見に必要なのは先入観を捨てること
3日前にちらりと見た顔の記憶から、40年前の顔を当てるのだ
心を一旦、無にしない限り、達成困難なミッションなのだ

照合は慎重に行われた
こいつは違う、こいつは知っている、という思い込みは全て排除した
初めてその写真を見るつもりで、卒業アルバムの写真を凝視した
高校は一学年10クラスあった
じっくり見ているとそれぞれのクラスに特徴があった

同窓会に来ている人数は、クラスによってムラがあった
私がいたクラスからは5人出席していたが、隣のクラスは2人、その隣のクラスは1人だけだった
当時、自覚はなかったが、私のクラスはまとまっていて、みんな仲が良かったということなのだろう

こんなふうにじっくりと卒業アルバムを見る機会は今後、あっても2、3回かもしれない
同窓会出席者だけでなく、他の人の写真も見ていると、忘れていたことがたくさんあることに気がついた
それは写真を見ない限り思い出すことはなかったことだ

思い出すことがなければ、それは存在しなかったも同然となる
しかし、全てのことを覚えているわけにはいかない
忘れるから、次の時間を生きることができる
覚えていることと、忘れていること
その差は何だろう?
卒業アルバムの写真を見ていると、顔写真と紐付いていい思い出が蘇り、顔写真と紐付いていいとは言えない思い出が蘇る
私の場合、覚えていたのはいい思い出ばかりだった

それなのに、とても人相のいい禿げが見つからない
記憶が顔と紐づいていて、あれだけ人相がいいのなら、きっと、とてもいい思い出があったはずなのに見つからない
謎は深まるばかりだった

そんな時、私の視線は一人の生徒の眉で止まった
この男、同窓会出席リストに載っている
その眉は、一旦上がって、間抜けな感じで垂れ下がっていた
あいつだ!
こいつがあの、人相のいい禿げだ!
私は意外だった
高校時代の彼は特に人相がいいわけではなく、間抜けな顔をしていたのだった

その顔はどこから見ても間抜けに見えた
進学校だが頭が良さそうに見えないし、喧嘩も強そうではない
見た瞬間、こいつはトロそうだ、と判断したら最後、その後すぐに頭の中から消えてしまうタイプの奴だ
なるほど、こいつだったら思い出がないのも頷ける
だが、この顔は一度見たらなかなか忘れない

私はしばらく、その間抜けな顔を眺めた
高校時代、間抜けとしか思わなかった顔が、40年経つと仏のような人相になっていたのだ
あいつは一体どういう人生を辿ったのだろう?
人に緊張感を与える顔ではないので、周囲と摩擦を起こすこともなく、穏やかな人生を送ってきたのだろうか?
一方の私は卒業アルバムでも今でも、恥ずかしくなるほどの好戦的な表情をしている
同じ高校に通っていたが、彼から見えていた世界と、私から見えていた世界は全く違うものだったのだろう

私は彼のように生きることはできないのだろうが、彼のような表情になりたい
でも、それはとても虫のいいことだ
多分、それはできない
生き様は顔に出る

私にできるのは、怒りが込み上げそうになった時、彼の顔を思い出すことだ
あいつは多分、こんなことで怒ることはないはずだ
そうやって、彼に助けてもらおう
そして今度会うことがあったら、どんな言い方すればいいのかわからないが、そのことを彼に感謝しよう

でも、なんと言えばいいのだろう?
「お前が誰だか知らないが、お前、とてもいい顔してるな」
うーん、上から目線すぎる
何様なんだ、俺?


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