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歳をとって着るもの

50代になった時、自分が何を着るべきなのか、確信が持てなくなった
それまではジーンズにジャケット
それで居心地の悪さを感じることはなかったが、50代でジーンズを履いていると、宿題をやっていない生徒のような肩身の狭さを感じるようになった
その宿題とは、大人になったらどうするのか、という宿題だ

いつまでも若いことはいいことのように捉えられているが、流石に50歳を過ぎ得ると成熟という課題について、自分なりの見解を述べねばならない気がする
それを、自分は若く見られるから、ということを盾にいつまでも逃げ続けるのは卑怯であり、若く見られるための技巧が優れているほど見苦しい、と感じるようになった

そういう時に頼りになるのが有名人である
成熟した大人というイメージの人を思い浮かべ、その人がどうしているのか考えると答えに辿り着けるのではないか

名前は思い出せないが、ある建築家のドキュメンタリーで、その人が夜の東京を黒のベンツSLで走るというシーンがあった
磨かれたボンネットには彼が設計した建築物が東京の夜景として写り込み、屋根が開けられた運転席で建築家がハンドルを握っている、というシーンであった
これほど黒のベンツSLをかっこよく感じたことはなく、それが自分の成熟のイメージとなった

以来、ベンツSLを見るとどんな人が乗っているのか運転席に目を凝らすのだが、ほとんどの場合、がっかりする
カネは持っているだろうが、カネ以外に何を持っているのかは不明、という人ばかりだった
建築家がかっこよく見えたのは、SLが彼の業績に値していたからであり、そこには、然るべき人が然るべきモノを使っているという収まりの良さがあった
それは、綺麗に整理された戸棚の中身を見せられているような爽快さであって、その爽快さを醸し出していたのは、彼が乗るクルマはベンツSLである、という必然性だった
これがフェラーリだったら子供じみた感じになっただろうし、ベントレーなら嫌味な感じだ
ポルシェだと仕事に身が入っていない感じになり、ジャガーだと、建築家なのにどうしてそんなガラクタを選ぶのかと、彼の信頼性が揺らいでしまう
超一流の建築家が、プロダクトとしての信頼ということを基準に選ぶと、メルセデスベンツの最高級オープンカーであるSLに行き着くしかなかったのだ

そいうなると、50代でジーンズを履いて爽快に感じられる人というのは、それなりのアスリートいうことになるのかもしれない
かつて日の丸を背負って戦い、今でもその戦った体を維持しているような人なら、50代でジーンズを履いていても爽快だ
だが、実際にそういう人がいるかというと、思い浮かばない
50代ともなれば現役時代の精悍さは、古代遺跡から当時の生活を推し量るようなつもりで目を凝らさないと感じられないし、精悍さがあったとしてもものすごくクセのある格好をして、たいていの場合、何の参考にもならない

ならばジーンズは諦めて、SLに乗っていた建築家のような格好をすればいいのかというと、あの人は確かスタンドカラーのシャツを着ていた
スタンドカラーのシャツは、私は芸術家ですよ、という主張が強すぎる
芸術家だから許されるシャツであり、それを勤め人が真似すると周囲の人の薄ら笑いを誘発させる

そんなわけで、何を着ればいいのかわからない
服なんて着たい服を着ればいいと思っていたのに、そこに躊躇を感じるのは50代になって初めて「大人」というものを意識したせいだろう
大人という存在に求められている役割があって、普段からそれに相応しい格好をしておかないと、いざという時、その役割を全うできないという恐れを50代になって初めて抱き始めた
多分、これはかなり遅い方だと思うが、生きていく上で避けて通れないプロセスのようなので、目を逸らすと問題は先送りされ、より解決が難しくなるように思える

そんなわけで何を着ればいいのか思いあぐねていたら、ふと、閃いた名前があった
ジョージ・クルーニーである
初めて世間の目に触れた時から「大人な感じ」で売っていたと思う
役者というのはいろんな役をやることに意義を感じる人種なのだろうが、ジョージ・クルーニーだけはいつも同じ感じの役しかやっていないような気がする
髪は短く清潔感があって、高級なスーツを着ているが、007のようなこれ見よがしの高級感ではない
007と決定的に違うのは、ジョージ・クルーニーはカーディガンを着てコーヒーを飲む点だ
実際、どの映画にそんなシーンがあったのか覚えていないが、イメージとしてはカーディガンでコーヒーであり、マティーニをシェイクで飲まねばならない007にはない呑気さだ
そう、自分がイメージする50代がするべき格好とは、ある程度、呑気な感じでサマになる格好である
そこに緊張感があると、まだそんなことやってんのか、と、子供扱いされそうで嫌なのだ
実際007って、子供の頃に見たときはかっこいい大人の話に見えたけど、50代になって観ると全てがパロディにしか見えない
一方、ジョージ・クルーニーの出る映画はオーシャンズ11くらいしか観てないが、やってたことは007より大人だったと思う
なかなか結婚しなかったが、結婚した相手がハリウッドのバカ女ではなく、頭の良さそうな弁護士だったことも彼の大人株を上げた

そんなことを考えながら、紳士服店の鏡の前に立っていた
選んだのはブルーグレイの厚手のカーディガン
その日はジーパンとティシャツだったが、その上から羽織っても様になる
「おっ、なんかジョージ・クルーニーみたいじゃないか」と心の中で呟いてみた
でも、そのカーディガンの値段は10万円
「フリースがあるからカーディガンは要らないよね」ともう1人の自分が呟く
「でもね、歳をとってフリースばかり着ていると見窄らしく見えるもんだよ、ある程度歳をとったのだから、少しいいもの着ていないと」とジョージ・クルーニー推しの自分が呟く
フリースでいい、という自分と、ジョージ・クルーニーみたいでいい、という自分
果たしてどちらの自分が正しいのか?
10万円は大金だ

結局、買った
ポルシェは買っても使う時がないが、カーディガンなら気温が下がれば着れる
これ着て大人について考えよう(もう56歳だけど)


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